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母の手


「お母さん、お腹痛い」



私が幼稚園の時

お腹が痛くなり
布団に横になった私のお腹を
優しくさすってくれた母。



母がお腹をさすってくれたことで
痛みがスッと消えるようになくなった。



さするだけで痛みがなくなったことに
子どもながらに驚き、

「お母さんの手は魔法の手だね」
と私が言った。




このシーンは実際には
私の中に記憶が残っていたのではなく

幼稚園のときのエピソードが
書かれた連絡帳を

大人になってから
たまたま見つけたものだ。



母と過ごしてきた44年間を振り返り

たくさんの愛情に満ちた
思い出の中で


その連絡帳に書かれていたことが
大切な思い出として
私の心の中に刻まれていた。



「魔法の手だね」
と言ったことの記憶はないのだが、

母が私のお腹を
ゆっくり
ゆっくり
優しく撫で

手の温もりを感じさせるように
さすってくれた感覚だけは
今でも残っているのが不思議だ。







2024年6月5日
母は間質性肺炎で亡くなった。

母が亡くなる前日の夕方
少し疲れがたまっていた私は

病室で母の手を握りながら
眠ってしまった。

その手の温もりも、まだ感覚として
残っている。




母はいつも笑顔で
怒ったところをほとんど見たことがない。

驚きなのが、子どもに対して
怒り方が分からないと言っていたこと。




父と母はよく喧嘩はしていたが
父が強い性格だったせいか
母が怒鳴るなどもなかった。

周りの大人に対しても

私たちが大人になってからも

どんな状況であれ
きつく怒ることはなく


”諭す”
"自分の思ったことを素直に話す"
という伝え方をする人で

”子どもを守る”ことが前提の
愛のある伝え方をいつもしていた。






私は三姉妹の末っ子で
3人とも結婚して子どもがいる。

私たちが出産し
母が赤ちゃんを抱っこすると
赤ちゃんはとっても気持ちよさそうに
眠っていることが多かった。

抱き方が上手だったのかもしれないが

今思うと
母の手が何かを発していたのではないか
と思っている。




以前、母の手の話を知人にしたとき

人の手からはフォトンというのが
出ているみたいだよ

ということを聴いた。

フォトンとは光の粒。






愛情というのは
形は見えないものだが、

体温としての温かさ以外に
手から発せられるものは
確かにあるんだと思う。


お腹が痛くて子どもが横になっていたら
今ならきっと薬飲むことや病院行くことを
選択する人も多いだろう。



でも、本来
病気や痛みを治すのは
人工的に作られた薬だけではなく

人のぬくもりによって
予防できたり、
緩和できたりするもの

ではないかと思っている。



私が生きてきた44年間。
母は、いつも3姉妹の近況を気にして
見守ってくれていた。


電話越しに母の声を聴くと
ホッとするし、

会う頻度が少なくなっても
いつも気にかけてくれていることを
感じていた。


仕事で嫌なことがあって苦しい時でも
”お母さんがいてくれるから大丈夫”という
安心感があった。

この安心感という愛情が
どれだけ子どもに伝わっているかが
親の役目でもあると

亡くなってから
わかった気がする。





私の父と母は自営業だったが
バブルを経験し
生活が苦しい時期が長かった。

亡くなる今までも
金銭的な余裕はなく
私たちの支えも必要だった。


お金がないことが
ずっと心配で安心できなかった
毎日だったから

「もっと、余裕のある生活を
両親にさせてあげたかった。」
「もっと、いろんなところへ連れていって
あげればよかった」と

母の病気が悪化してから
そんなふうに後悔ばかりしていた。


でも

母を亡くしてから
私は大切なことに気づいた。






お葬式の時

母が大切にしてきた物
母が一生懸命極めた習字の証
母へみんなが贈ってくれた宝物を
棺の中に丁寧に入れ

たくさんの素敵な思い出たちに
囲まれた母を見て


結局人が生きる上で大切なのは
お金でも
物でもなく


周りの人へどれだけ自分(母)が
愛情をかけてきたか

その愛情を受け取って
お互いの繋がりを大切に大切に
感じることができたか

それが何にも変えられない
”人生の宝物”
だということだ。



習字の先生をしていた母は
子どもたちや先生方から
絶大な信頼があった。


子どもたちにこうしてあげたい

子どもたちはいつも忙しいから
安心する場所にしたい

子どもたちに習字を好きになってもらいたい

習字をやっていてよかったと思ってもらいたい


ただただ、
自分がそうしてあげたいという一心で
10年もの間、支部長を務めあげた。


80名もの生徒を抱える習字教室の運営は
並大抵にできるものではない。


事務のほとんどを1人でこなし
習字のことを忘れる瞬間はほとんど
なかったと思う。


母が頑張りすぎているということが
父の怒り(=心配)となり、
ぶつかることも多かったが

孫の面倒を最優先にして
習字教室の大変さを私たちに
心配させないように
1人で奮闘していた母を

「人格者」と一言でいうのは
少し違うと私は思っている。



私が思う母は、”愛”そのもの。
愛を分け与えるのを使命として
生まれてきた人。


母は自分の不得意なことは
やらなかったし

自分ができないことを
悔やみ続けている姿を見たことがない。


自分ができることをひたすら行い
愛情を注ぐ。


当たり前にできることなのかもしれないが

多くの人は、自分のできないことを悔やみ続け
前に進めないことも多いのではないかと思う。

私もその一人だ。




母の死から1週間の間は
体が重く、今まで感じたことがない
大きなストレスを感じていた。




お風呂上りにふと
数年前に出会った”五感セラピー”を思い出し

自分の腕や体にオリーブオイルを塗って
優しくさすり続けると
体がみるみる軽くなるのを感じた。


体がスッと軽くなる感覚とはこういうことか」

この瞬間に
母が私にくれた使命はこれだ!!
と震える思いがした。



私は昔からストレスに弱く
よく学校を休んでいた。
人との関係にも悩むことも多かったし

自分も大嫌いだった。

でも、
どんな自分も受け入れ
私がやりたいことをいつも応援してくれる
母の愛情があったからこそ


今この自分の心からやりたい!と
思えるものに出会い、

亡くなった後にも
それをはっきりと思い出させて
くれたのだと思っている。





「人の役に立ちたい」
その思いは誰しも持っているものだと思う。


本来は生きているだけで
誰かしら人の役に立っている。


でも本当の意味で
自分の命を全うしたいと思う時


自分が何かをすることで

人が笑顔になり
喜んでもらえる瞬間を
どれだけ分かち合えたか、
ということに尽きるのではないかと思う。


母の手の温もり
手はどんなこともできるけれど

そこに愛情という体温が
のっかっていなければ

人に喜びを与えることはできない。


母は習字という自分の好きなことで
手、心、声を使って
周りへ愛情を注いでいた。


母がいたあの習字教室の場所を訪れると、
亡くなった今でも大きな温もりに
包まれ続けているように感じる。


そして何より母と繋がっていた一人ひとりに
その温もりが心に残り続けていると
思っている。


愛情というのは見えないからこそ
体全体で感じ取るもので

言葉で伝える愛情というのは
付属的なものではないかと思う。


母の笑顔や
手の温もり
声の温かさ、

それを私は生まれたときから
日々シャワーのように浴び

大きな安心感に
包まれて生きてきた。

これ以上に幸せなことはない。

私たちは本当に幸せ者だ。

母のもとに生まれてきた意味を
しっかり受け止めて

人の役に立てる人でありたいと思う。



母という存在が
いなくなってしまったことに
まだ心が癒えることはないが


どんな自分も受け入れてくれた母のように

自分の悲しみや寂しさの
感情や感覚に

自分自身に寄り添いながら
どんな私も受け入れていきたい。

愛情という土台は
もう私たちの中にある。

自分を受け入れ認め
母のように自然な形で
周りへ愛情を伝えられる自分
になりたいと思っている。



最後に



お母さんへ

受け取り切れないくらいの愛情を
注いでくれて本当にありがとう

お母さんの子として産んでくれて
本当にありがとう

三姉妹って最幸だね
それぞれに足りないものを補い合うように
今も支え合って生きているよ

お姉ちゃんたちの妹にしてくれて
本当にありがとう


お母さんの笑顔
あったかい手
安心する声が
大好きだよ

これからもみんなを見守っていてね

お母さんからもらった愛情を
今度は子どもたちに全力で注いでいくよ

命をつないでくれてありがとう

しばらく会えないけれど
また会おうね
お母さんまたね


泣き虫末っ子の
ルミ子より










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