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離れてみるとわかること

一緒に誰かと時間を
過ごすことが多くなると


その人のいいところよりも

その人の悪いところが
気になってしまうこと
ありますよね。




誰でも、
自分の中の世界で生きているので






自分の世界の中に
自分の価値観と違う言葉や
態度を受けたときに




ついついイラッとしてしまって
ぶつかることもある








離れてみると



その人がしてくれていたことに
感謝の気持ちが芽生えたり




逆に

寂しい気持ちになったりもして


自分はなんてわがままな
人間なんだろうと
思ったりもします




でも
一緒に時間を過ごすことが
なかったら



楽しい時間を共有することも
何かを協力することも
もちろんないし



自分の価値観に気づくきっかけも
ないと思うんです





相手の嫌なところが見えた時


自分が感じた負の感情に隠れている


自分が大切にしたかったこと

大切にしてほしかったことが
必ず見えるはず



感情だけで終わるから
自分のことが良くわからない
という状態が繰り返されて



自分の心が満たされない


自分が自分のことを
雑に扱っている、
ということだから








怒り口調で話されたら
なんでそんなことで怒るの?!
という怒りの感情がでてきて




怒りの奥底には

私の話を最後まで
ちゃんと聴いてほしい、
という思いが出てくる



されたら嫌だと
わかっているのに


私も子どもたちに対して
そうしてしまっていることが
たくさんあります


自分はそんなことしてないのに!
と変な自信持った態度さえ
とってしまうことも、、





本当は


どこにいても
どんなときも

大切な家族が
今日何事もなく1日を
過ごしてくれること以上に
幸せなことはないのに・・



毎日食べることができて
あったかい布団で寝られて
朝おはようと挨拶し合えること


こんなに幸せなことはないと
この文章を書いていて思うのに


実際には
色んなことで言い合ったり
ムキになったりしてしまうのは


その当たり前のことを
まだ本当に心の奥底から
感謝の気持ちを持って
いないから、と
反省もしています





でも

ぶつかるのを避けるのではなくて

ぶつかるからこそ
少しずつ少しずつ
気づきという、自分の魂の成長に


つながっていくんじゃないかな


と思っています





自分が真摯な気持ちで
感謝の気持ちを持って接しても

何も受け取ってもらえない場合は

離れることも
場合によっては必要かもしれません



どんな状況になっても
幸せになるために
生まれてきた
と信じる力があれば大丈夫



生まれるタイミングも
死ぬタイミングも


全て自分が決めて
生まれてきているから



最後を迎える日まで
たくさんの経験に出会って
心に向き合って

楽しい人生だったと
胸を張って
笑顔で人生を終えたいな、と
思います


最近
死生観について思うことが
多すぎて

同じことを書いてしまうことも
多いですが許してくださいね笑










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