夢の話
夢をみた。
最初は、友人が出てきて、提出期限が過ぎた課題が全然前に進まないんですよと、真剣に悩んでいた。私は、「そんなの役に立たないからやめたらいい」と言った。「それよりも今できること、したいことを考えて、それを一つ一つ実行して行ったらいいよ。例えば、〇〇ちゃんと遊ぶとか・・・」そしたら彼女の顔がほころんだ。安心した。
次に、タバコ吸ってる随分会っていない知人が出てきて、難しそうな顔してその場にいた。あまり好きな人じゃないけど、夢の中では、それほど敵対心を持っているようでもなかった。今頃どうしているのだろう。最後に会った時は、もう10年くらい前になるかな。かなり、あがいていた印象を受けたけれど、それほど悪い人でもない氣がしてきた。不思議だ。自分もかなり突っ張っていたのだろう。きっと。
そのまた次に出てきたのは、いつもしっかりしていて、自分のことは自分でする、人に負担をかけないお手本のような友人。あまり、自分のことは話さない人だ。「時には、自分の中で処理できないことを友達に話すのも大切だよ。」というと、彼女は、ムッとした顔で、「それは自分のことですから・・・」とはねのけた。
なんか、そうじゃないよ。と言いたくなって、自分が若かった時(今でも若いつもりでいるけど)、誰かとケンカして、引きこもってお昼を食べに行きたくないと行った時に、無理やり連れ出してくれた友達の話をした。彼女がいなければ、お腹を空かせてメソメソしていたであろう私は、ご飯を食べながらメソメソ話をした。自分の弱さをさらけ出している私の話を、友達もご飯を食べながら黙って聴いてくれた。
自分の弱みを人にさらけ出すことは、時にはさらけ出す相手に大きな贈り物を与えることになるんだよと夢の中で氣がついた。なぜなら、人の弱さに寄り添えることは、自分の弱さを乗り越えて、「人の為になる自分の強さを見つけることになる」ことだから。自分の弱さを知っている人は、人の弱さを感じることができる。なんでも出来る自立した人は、全て完璧に自分で処理してしまうから、人の弱さに寄り添う余裕がなくて、というか氣がつかなくて、本当の友達ができない。なんだ、それ昔の自分じゃん、と夢の中で思った。
私は、境界線を引くことを、結構しつこく言う人です。自分のものと他人のものを区別することの大切さを繰り返し言います。確かにそれは大切なことなのだけれど、境界線を引くことを覚えたら、次はそれを敢えて崩していくタイミングを見計らうのが、本当の人間関係を築く鍵になると思う。それはチャンと境界線を引けて初めてできることかもしれない、と夢の中で腑に落ちた。
あまりにも鮮明な夢だったので、きっと書けと言われたのだと思う。まだ太陽は上がっていないけど、暗い部屋の中で思いのまま文を書いている。もうすぐ夜があける。