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ワタシの全てを愛するとは·͜·ᰔᩚ🌈
基本的に方向性はブレてないと思うから
長いことnoteに書いてる
言いたいことや
気づいたことの内容は似通ってるのかな
過去の記事とタイトルかぶりとかも
ありそうだよね
でも書いたこととかもすぐ忘れちゃうから
ワタシとしてはあまり気にならないのだけど
目に見える世界と
目に見えない世界があって
それは同時に存在してる
だから
どっちかだけではダメなんだよね
どっちもある
それは常に同時に
気づいてないだけで
見えてないだけで
ある
そう思うだけで
感じたり気づいたりするモノがある
だって
あるからね
ないと否定してると
ないを選びとるからまるでないけど
あるとすると
あるを見ようとするからあるみたいな
ただそれだけだったりするよね
自分が見たいように世界を見てる
それだけだったりするよね
ワタシはワタシであり
ワタシは全てである
そんなことをワタシはいつからか言ってる
そのおかげで
何者でもなく
何者でもあるを地でいってる感覚
虫だろうが龍だろうが
島だろうがヒトだろうが
この世界に存在するしないも関係なく
そのモノの想いを感じたり
コトバにして伝えられるようになった
ワタシは誰かと特定すると
そこ止まりになる感覚
ワタシはワタシであるからいい
ワタシは全てであるからいい
ワタシはワタシであり
ワタシは全てである
これは特別なことじゃなく
みんなそうなんだと思う
ワタシはいつも
両極端を経験してると感じるから
今ここに存在してる
今ここのルミに集中してきて
そして全てであるワタシとして
全てと繋がっているワタシを感じてきた
それがあり
あらゆるモノが自分と思えるようになった
まるで違うモノに見えても
そこに自分を感じる
まさに鏡の世界
今ここのワタシであり
全てであるワタシ
それはトンネルの両極みたいに
その端と端が繋がる真ん中の部分は
今ここのワタシという全てであり
全てであるワタシの全てであり
そこが重なる
全てであるワタシは無限に存在するから
そこを追ってもキリがなくて
そこを見てても
全てにはなり得ない
だから
今ここに存在する自分を見る
全てを愛するのは
目に見えるモノの全てでも
目に見えないモノの全てでもなく
自分と認識してる自分の全てを愛する
ルミとして生まれてから
今の今までの全てを愛する
そうするとね
ルミというワタシが
ワタシに愛されるだけでなく
ワタシに関わるあらゆる全てが
愛され感謝される
嫌だったことも
嬉しかったことも
それを経験させてくれた
誰かや何かも
どれひとつが欠けても
今のワタシにはなり得なくて
だから
いいも悪いもなく
今までの全てに感謝ができる
そしてそうすると
目に見えないモノも
愛され感謝される
そして目に見えないモノ全てが
愛され感謝される
そのようなことになるんだろうね
ひとりはみんなのために
みんなはひとりのために
ひとりはみんなのために自分を愛する
みんなはひとりのために自分を愛する
きっとそんな世界なんだよね
だから自分に集中する
自分以外の誰かや何かが気になるほどに
自分に集中する
自分を愛する
それだけでいいんだから
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そうしてよ
周りに悪いとか
そんなこと思わないでさ
周りを想うように
自分を想ってよ
それが嬉しいんだよ
君に愛されることが嬉しい
君が君を愛することで
僕も君に愛される
僕はいつも君を愛している
君がどうであっても
僕は君を愛している
君が君を信じてくれれば
僕も君に信じられる
僕の愛が君に受け取ってもらえる
だから愛してよ
自分のことを
思いっきり
バカみたいに愛してよ
僕はそれを待ち望んでいるんだ
君と繋がれるその時を
僕は楽しみに
待ち続けているんだよ
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