【思い出の授業】Show and Tell
幼少期を海外で過ごす中で、思い出深い授業がいくつかある。その中のひとつが、Show and Tellという授業だ。
今思い返すとあれは道徳以外の何物でもない授業だったと思うのだが、当時はただただ楽しい授業だった。
Show and Tell―-見せて、語る、という言葉の通り、これは生徒が持ち回りで、自分の一番大切にしている物品を学校に持ってきて、それをクラスメイトたちに発表する、というものだ。(書きながら調べたところ、Show and Tellは一部地域ではオーソドックスな授業のようだ。プレゼンの練習も兼ねた授業で、一番大切にしているもの、でなくて、みんなでテーマを決めて、そのテーマに沿ってものを持ってくるところも多い。夏休みの思い出、とか、最近はまっていること、とか。私のクラスのShow and Tellは、私の宝物、がお題として先生から与えられた)
毎晩一緒に眠るクマのぬいぐるみ、兄妹と河原で遊んでいる時にみつけた小石、恐竜の模型、キラキラとひかるビーズのネックレス、家族旅行の写真が入ったフォトフレーム、親友とおそろいのマフラー、自分の習い事の楽器、最近買ってもらったゲーム… 毎週持ち回りで、生徒がひとり、いつもは先生の座る椅子に座って、自分の宝物を紹介する。他の生徒たちはその子のまわりに集って、静かに話を聞く。
それぞれが持ち寄った宝物の詳細はそこまで思い出せない。みんながキラキラとした笑顔で話す光景はしっかりと覚えているのに。ただ、小学三年生くらいだったと思うのだが、みんなとても上手にその宝物の説明をしていた。結構な長さの時間が取られていて、最低このくらいは話しましょうというガイドラインはあったが、みんな気持ちよく、それぞれの宝物のバックグラウンドを熱く語り、さっさと終わらせるような子供は一人もいなかった。プレゼンが終わった後の質疑応答も、その子供の仲良しが質問することもあれば、普段はあまり関わらないクラスメイトが手をあげることもあって、非常に盛り上がった。
私がこの授業をよく覚えている理由は2つあるように思う。1つ目は、自分の私物をいつもは持ってきてはいけない学校に、私物、それも一番の宝物を持ってきて良いというのが、ひどく魅力的で、自分の番になるのがとても楽しみだったから。2つ目は、どんなへそ曲がりの問題児でも、素直に宝物を持ってきたから。そしてなるほど、確かにこれは素敵なものなんだな、と思わせる何かを語れることに、私が驚いたからだ。
通っていたのはラオスのインターナショナルスクールで、割と平和な、みんなお利口さんなクラスだったと思うが、個性は強かった。中には喧嘩っぱやい男の子もいたし、無口すぎる無口な女の子もいた。私と仲良かった子も、そうでない子も、国籍も、宗教も、家族構成も、違うみんながいた。
正直、誰かの宝物をうらやましく思うこともあるのかな、なんて始まる前は子供心に思っていたのだが、なんというか、そういう気持ちには不思議とならなかった。ぱっと目を惹く宝物ももちろんあるのだが、どちらかというと、その持ち主が語るお話の方が魅力的なのだ。普段から知るその子らしいものを持ってくる子もいれば、こちらの予想と全く違うものを持ってくる子もいた。でも、わぁ、この子、こんな風にものを、世界を、捉えているのか、と共感をしたり、感動したり、小学生の私は毎度少なからず心を震わせた。
ぱっと見ただけでは、それが宝物かなんてわからない。でも、その子にとっては唯一無二の宝物なんだ。そして、どんな子にも、大切なものがある。これってすごく大切な、人として持っておくべき前提の知識だと思う。そして、今私が見る日本の社会では、この知識を持っていない大人も子供も、多い気がする。
普段から良い子にして、みんなが納得するようなものを宝物にしている人もいれば、なんだかはじきものにされていて、周りが理解できないものを大切にしている人もいる。でも、どんな人でも、ものでも、それはリスペクトされるべきなのだ、と自然に思えると心がとても楽だし、豊かになると思う。
今回この話を書いたのは、コロナの自粛中、オンラインで授業をするのが難しいという話を聞いた時に、ふとこの授業が頭に浮かんだからだ。一斉に会話するのはオンラインでは難しいが、ひとりがしゃべり、あとからそれに対してボールを投げる、みんなが参加できる形になっているShow and Tellはとてもオンライン授業に向くものではないだろうか。このままコロナが去り、子供たちが学校へ普通に通えることを願っているが、もし、たくさんのお宅と遠隔で授業をする方がいたら、こんな授業はどうですか、と提案したい。そしてアフターコロナの社会が少しでも豊かになったらと静かに思う。
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