かわいい女の子は私だって大好きだ。でも、アイドル賛美の経営者の一部をどうしても受け入れられない話
ずっともやもやしてしまう。私はAKBや乃木坂のアイドルたちと同じ性別を有していようが、彼女たちのように容姿が優れているわけでも、芸を持っているわけでもない、アイドルとは無縁の世界で生きるおばさんである。それにも関わらず、時々、彼女たちのファンに厳しい目線を送ってしまうことがある。
こんなこと言うと、女の醜い嫉妬だと思われそうだが、前提、私は女子校育ちで、かわいい女の子が好きだ。美しい花に癒されるように、私はかわいい女の子、素敵な女性に癒されることが多々ある。一昨年、齢28にして、宝塚にはまり、人生で初めて推しができた。直接会わずとも、人生を豊かにしてくださる私の推しの尊さよ。もう考えただけでハッピーである。
いわゆるアイドルたちを目にしても、元気になることも多い。テレビ画面などを通して見る彼女たちは、ひとりひとりがそれぞれの魅力を持ち、人に感動を届けているのだと思う。人によっては歌や踊りだけでなく、専門的な知識や心豊かな感性を求められれば表現、披露する。そんなことができる、一回り以上年の離れた彼女たちへ尊敬の眼差しを送ってしまうのは、もはや自然なことだ。
だが、このもやもやを抱えて私は長い。前置きが長くなってしまったが、具体的に書くと、経営者が、組織論を語りながら、彼女たちを褒めるのにもやもやするのだ。数年前から、経営者×組織論(チーム論)×アイドルみたいな記事がよく読むメディアに登場するのだが、それが私はどうにも苦手だ。
人の好き嫌いに口を出すのは野暮なことだと思う。私も、宝塚が好きと言って、それを人にどうこう言われたら、むかつくだろう。
ただ、それでもノートに書きたくなったのは、日本のアイドルが、「世界」―-ファンはもちろんのこと、海外の投資者などといった人々、が含まれた「世界」からどう見られているかをアイドル好き経営者たちが認識しているだろうか、という疑問からなのだと思う。
私のもやもやを少し言語化してくれそうだなと、数年前のエコノミストの記事に出会った時に思った。アジア各国のアイドルグループをいくつかピックアップして説明していたその記事は、日本のアイドルとしてAKBを紹介していた。淡々とその人気ぶりを説明したのち、日本がジェンダーの平等性に欠けているという一文が入る。そしてコラムを「もちろんこのグループは男性がマネジメントしている」と締めくくる。
【追記】随分前の記事だが、発見したので置いておく
そう、アイドルグループ内にリーダーがいて、そのリーダーがいかにカリスマ性溢れていようが、チームをまとめあげていようが、残念ながら、私の目にするアイドルたちは往々にして男性がマネジメントした、編集した、時に性的なフィルターを通して視聴者に届けられるよう演出された存在だ。プライベートまで追いかけられて、何か問題が発覚すると、反省の文章だけで飽き足らず、土下座や丸坊主にするなどのパフォーマンスととられるような行動が私たちに届く。
だから、素敵だなと思った会社の経営者が、時々彼女たちに絡めて自組織について語るのが、どうにも苦手だ。キャッチ―で、わかりやすいかもしれないのだが、野球チームやオーケストラとは違う。一部の世界が日本のジェンダー差別に眉をひそめている時に、その象徴的なものとして出すアイドルをたとえにするのが、嫌だ。経営とか組織論にそれを持ち込むのが、日本社会の男女格差をそのままでよしとしているようで、とても悲しくなる。
数年前、起業した同期が、とあるアイドルを推していた。彼女たちは、地下アイドルで、0から100まで自分たちをセルフプロデュースをしていることが特徴だった。私は、その時もまたビッグネームの経営者がアイドルとチームについて語っているのを聞いたばかりで、心底、彼がそのアイドルを好きと公言していることに、癒された。きっとセルフプロデュースしていることは彼女たちの持つ多くの魅力のうちのひとつなのだろう。でもとにかく私は、まだ無名の起業家の彼が、地下アイドルの彼女たちを好きと大きな声で言っているのが嬉しかった。海外の友人に胸を張って紹介できる、自立した彼女たちがいることを私が知れたこともまた嬉しかった。
アイドルと組織論を紐づけて語る経営者その人に罪はないのだろう。罪があるのは、おそらくもうちょっとふわっとした文化面、それこそアイドルを囲む組織、社会の話なのだと思う。だけど、経営者でそこまで言及してくれる方がいたら、もうちょっと日本の格差社会も変わるのではないだろうか。そんなことを今日もちょっと思って過ごしている。
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