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2024年5月23日 この身体の発するシグナルを適切に汲み取って「然るべき状態に戻す」。

2024年5月23日、
朝の6時に寮を立ち、私は京都に向かいました。

目的は、友人を訪ねるため、です。

私はいま、淡路島にて
住み込みでお仕事をしながらこの土地を徘徊し、
神様へのご挨拶や思索に多くの時間を費やしているのですが、

5月15日、オンラインで友人と久々にお話しした際に
お誘いいただき、ぜひ一度おうかがいしたいということになって
ちょうどよさそうな日程があったので
そのまま高速バスに飛び乗ったという経緯です。
(※ちゃんと事前に、友人の都合も聞いて飛び出しました。)

友人の案内で土地の神様にご挨拶をしたあと、
ご自宅にうかがい、
その方がいま伝え広めようと活動をされている
「野口整体」の勉強会に参加させていただきました。

余談なのですが、
その日ご挨拶した神社では、
もともと三柱の神が祀られている由縁から
三拍手が習わしとされていて、
いつのまにか二拍手に上書きされていたところを

友人のパートナーの方が、文献資料を読み解いて
その事実に気づいたことで
新たに「二拍手ののち、三拍手」という作法に慣習が変わった
というお話しをうかがいました。

新たな作法でご挨拶したのですが、
歴史の動きの一端を、
身体で感じることのできる貴重なひとときでした。

野口整体について

「野口整体」というのは、
野口晴哉はるちかさんという方が提唱した整体法で、

その指針は、
活き活きと生を全うすることーーー

実生活の場で溌剌と自らの能力を発揮するために
生命の自発性を理解すること

その自発性に支えられて
自らの心と体を悠々と使いこなして生活すること

を目指しています。

この身体は、
自分の「然るべき状態」をすでに熟知していて
自らその「然るべき状態」を維持しようと活動し続けている。

「誰か(何か)に快くしてもらおう」というつもりで、
自分以外の“外物”をアテにすると、

自分の身体のシグナルを無視して
「あるべき基準」に無理矢理寄せようとしたり、
「こうすれば良くなる」に飛びついたりして

その人の身体本来の形に戻ろうとする流れを阻害し、
その阻害が長く続くことで
身体の流れが次第に歪み、本当の不調に陥っていく。

自分の身体を信頼して
“何が必要かをすでに熟知している”身体のシグナルを親身に聴き、
何を求めているかを真摯に汲み取っていくことでこそ、
自分が生きている感覚を実感しながら生きられる。
「自らの生を十全に生き切る」ことができる。

…というのが、友人の言葉を受けて、
私なりに理解したことです。

私はつい先日、
大好きな「歩く」と、
生きるために必要な「食べる」を
欲求に任せてやりすぎたところ、
「苦しい」という感覚を実感したことから

「特定の感覚を避けようとすることもまた、
 不自然なことなのかもしれない」

という発想に行き着いていました。

巷でたまに見かける
「〇〇の力によって
 苦しいという“特定の感覚”を感じさせなくする(麻痺させる)=治療」
という考え方は、むしろ不健康なんだよなあ、
と思い至ったんです。

その身体の「苦しい」を感じる感覚器官を
抑圧(もしくは殺して)いるわけですから。

ちなみに私が欲求に任せて受け取ることになった
「苦しい」は、
その後の欲求に従って寝たらスッキリ治りました。
今はむしろ上機嫌に生きています。

私たち一人ひとりが、
「いま感じる感覚に、適切な反応を即座に取れるようになる」
ことが、本当の意味での治療であって、
野口整体はそのことを伝えようとしているのかなと感じています。

毎朝の「活元準備運動」宣言

野口整体では、
身体自らが不調を回復する動きを「活元運動」と呼んでいます。

この活元運動を促すためにするのが「活元準備運動」で、

ちょうど「この身体の純化」を進めるプロセスにある私にとって、
必要なことだと感じました。

ネットで改めて調べると、
ちょうどやり方が掲載されたページがありました。

24日から、
朝起きたらまずこの「活元準備運動」をやってみて、
その後の身体の様子を観察する
ということを続けてみようしています。

友人が言っていた、
「この身体をもつ私たち一人ひとりがすでに指導者だ」
という言葉が残っています。

私も、この身体から発した学びをシェアできるよう
感覚を研ぎ澄ませて生きたいと思います。

2024年5月24日 拝

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流記屋
知る・学ぶ・会いにいく・対話する・実際を観る・体感する すべての経験を買うためのお金がほしい。 私のフィルターを通した世界を表現することで還元します。