心照古教〜『大学』を考える〜【二九】
君子は誠実に、かつ、ゆったりと構えている
本文
我流訳文
『詩経』小雅の南山有台篇には、
「徳が豊かで常に心に楽しみを抱いている君主は、
民の父母に等しい」とある。
君主は天下の民を
我が子のように視ているので、
慈父母が我が子を愛するように
民が嫌がることを悪み、
民が好むことを好む。
これを「民の父母」という。
『詩経』小雅の節南山篇には、
「雄大で厳かに聳え立つかの南山は、巨大な岩石が積み重なっている。
権勢赫赫たる太師(周代最高の官位)である尹氏を、民はひとしく仰ぎ見ている」と。
(にもかかわらず、
尹氏は一己の私に流れて国政の要職に近親者ばかりを挙用した。
これによって、国政は尹氏の独擅場となり、
人民は塗炭の苦しみに呻吟することになった。)
上に立つ者の一挙手一投足は、人びとの仰ぎ見るところであるから、
国政に任ずる者は慎重でなければならない。
絜矩の道を踏み外して、一己の好悪に偏るならば、
ついには天下の刑戮にかかる辱めを免れないだろう。
思うところ
「辟すれば則ち天下の僇となる」
が大変身に迫ります。
「辟する」とはどういう状態かを考えてみると、
私が思いつくのは「排他意識」です。
自分を取り巻く世界に、
「敵がいる」と認識している状態なんだと思います。
私自身を振り返ると、
「世界は敵」認識を最も強くしていたのは
前職を退職する前後の期間です。
退職願を出すと決めた日から、
引き継ぎのために息を止めながら出勤していたおおよそ半年間と
自分の精神的・身体的消耗を顧みずに
次の環境を求めて「とりあえず動く」状態になっていた1年半くらいです。
昨年の下旬まで、この名残がありました。
この間、内観や瞑想、感情をノートに書き出すということを
意識的にするようになり、
自分を突き動かしているものが「怒り」と「焦り」だと
徐々に自覚していきました。
私が「天下の僇」となったのは、
「おてつたび」に挑戦した中でのことです。
自分の表層意識の上では
「自分が成長する場を借りて学び、
そこで培った力を発揮することで還元したい」
「前職でだって、私は私の誠実さを通すことができていた」
「環境が違っただけ。」
「もう1年もあの職場から離れている、
もう回復していてもいい頃合いだ」
と、前向きな意識で挑んだのですが、
実際にお手伝いに伺った際に
私の中で何が起こったかというと、
それまで自分を支えていた
「情報を積極的に取り込む気力」は湧かないし
自慢だった「集中力」も冴えず
過去の嫌な記憶に思考が呑まれる始末でした。
きっと受け入れ先の方や同じ旅人の方も、
短期間の付き合いだからと
許してくれていたのではないかと
情けなさに落ち込みました。
この落ち込みによって、
「口先ばかりで実力がないやつ」認定されることが、
それまでの私にとって「こうなるくらいなら死ぬ」レベルの
避けたい事態だったことに気づきました。
私は、自分が無力な状態にいると認めたくなくて
一度力尽きたのにも関わらず、休むことを蔑ろにして
次の仕事を求めて血眼になっていたのかもしれない。
自分の「前向きな社会貢献意欲」が
「ヒーロー願望入り混じるエゴ」と紙一重だった可能性に
背筋を凍らすことになった一連の経験ののち、
わりとすぐに空海さんから「自利利他」の諫言が入り、
「忘己利他と自利利他のちがい」を考察するに至りました。
今回も取り止めのないお話になってしまいましたが、
あえてまとめるなら
過ちによって首を刎ねられる立場でなくて命拾いした、
というお話です。