『亜細亜の共感』は1950年、
戦犯指定解除後に、立て続けに出版した本の中の一冊です。
発行者(出版社)は佐藤勝郎氏。
辻氏の、士官学校時代に教え子だった方です。
今回は、辻氏が東亜連盟の一員となった経緯を
探っていきたいと思います。
辻氏の回想によれば、
初陣前、陸軍歩兵少尉を任じられたばかりの当初は、
「中国」を外国として敵視していたそうです。
それは当時の日本の風潮であり、
メディアは盛んに大陸侵略の情熱を煽っていた。
辻氏自身は、陸大に入るまで
この「敵意」に同調してはいたものの、
大陸進出を夢見るような風潮とは一線を引いて、
冷徹に、またわき目もふらずに
「兵学の研究」と「与えられた軍務」に没頭していた…
ということなのですが、
陸大に入り、戦線の実際を見聞きするうちに、
勉強よりも実際問題が気になって、
そちらの解決に身を投じることに
意欲を燃やすようになったのだそうです。
陸大卒業の年、自身の成績よりも
「満州問題を解決するには、国内の革新もやむを得ない」
という思いが強くなり、
「国内革新」を謳っていた陸軍の秘密結社「桜会」に
参加されたそうなのですが、
その「桜会」に属する将校たちの
クーデター未遂事件の顛末を知ったことで、
以降、「国のため」を謳った煽動に
疑いの目を向けるようになったようです。
「国内の風潮」への信頼に傷を負った辻氏を、
東亜連盟の理想に導いた先覚のお一人に、
まず、「林大八大佐」という方がおられます。
「中国を愛し、中国に全生を尽くした慈父」
このかたは、辻氏が陸大卒業後に配属された金沢連隊の
連隊長をされた方で、
辻氏の中で1番はじめに起こった、
亜細亜意識の萌芽を扶けられた方…
と思われます。
ただ、林大佐は
辻氏の初陣である「第一次上海事変」で戦死されます。
辻氏は、当時の自分は
「慈父」と慕う連隊長を失い、十数名の部下を失った心痛から
「敵」として戦った中国に対して、憎しみを強くしたと
率直に語っています。
中国を愛した林大佐の在り方に感銘を受けても、
それは林大佐への敬意であって、
中国への敵意を簡単に拭うことはできなかった。
まして、林大佐の命そのものを
中国との戦いで奪われたような現実にあって、
即座に受け入れられるほど、辻氏は盲信的ではなかった。
この考えを改めるに至る経緯が、
『亜細亜の共感』には書かれています。
本書の流れを俯瞰するために、目次を引用します。
次回も、『亜細亜の共感』から、
後生の辻氏を突き動かした思想を読み解いて行こうと思います。
2024年3月29日 続く