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心照古教〜『大学』を考える〜【三五】

義を以て利と爲す

本文

孟獻子もうけんし曰わく、
馬乘ばじょうたくわうるものは雞豚けいとんを察せず。
伐冰ばつぴょういえには、牛羊ぎゅうようたくわえず。
百乘ひゃくじょうの家には、聚斂しゅうれんしんたくわえず。
其の聚斂の臣らんよりは、むし盜臣とうしん有れと。
これくにもっさず、を以て利と爲すとうなり。

國家こっかちょうとして財用ざいようつとむる者は、必ず小人しょうじんる。
かれこれくすとして、
小人しょうじんをして國家こっかおさ使むれば、菑害さいがいならいたる。
善者ぜんしゃ有りといえども、またこれ如何いかんともする無し。
これくには利を以て利と爲さず、義を以て利と爲すと謂うなり。

「大学」

我流訳文

大夫たいふである孟獻子もうけんし
こう言っている。

「四頭立ての馬車を使用する身分の大夫にもなれば、
 鶏や豚を飼って生計を立てている市民の経済に
 干渉してはならない。」

「氷をるということは、
 夏に祭祀用の供物が腐らないように冷凍の用意ができる家ということ。
 そういう、氷を用意できるような富を持つ大夫の身分になると
 庶民や農民のような牛羊を蓄えない。」

これは民の生業を奪うことになるからだ。

「戦車百乗を出すほどの、卿大夫けいたいふともなれば、
 重税を民から取り立てるような厳しい(衆斂)家臣を置いて
 安心していてはならない。
 それよりもむしろ、
 家臣の中に府庫の財を着服するような盗人が紛れている方がマシだ。」

損失はその大名自身のうちで済むからだ。
民衆から搾取してはならない。

この言葉は、国の財政というものは
私利をもって国益となさず、
公義を持って国家の利益となすべきだ
ということを言ったものだ。

国の重責にあたって財用(消費に偏った経済問題)に熱意を注ぐ君主は、
必ず才あまりあって徳の足りない小人を任用しがちになる。
こういう君主は、利にさとい小人を善しとして重用する。

徳性が発達していない、心がけの良くない小人に
政事を任せてしまうと、必ず禍いが押し寄せてくる。

こうなれば、どれだけ善良な賢人が政局に加わっても
手の施しようがない。

これが
「国は私利をもって国益となさず、公義をもって国の利益となす」
という所以ゆえんだ。

思うところ

高く広く物事を見渡せる位置にいるなら、
自分のことばかり考えていてはいけない。

見えたり、動かせるものが多い分、
干渉すれば確実に利益は得られる。
それでも、見える範囲のことを考えるからこそ、
あえて干渉しない領域が出てくる。

陳腐かもしれませんが、今回の章では
「適材適所」という言葉が頭をよぎりました。

私自身にも、苦い思い出があります。
(私の場合は上下の云々とは無関係ですが)

「ダイジョウブ、ワタシ、デキル!」と思いたいがために
自分の不得手な分野にも構わず応募してしまった
三件のおてつたび…

自分の力量に対してシビア(すぎ)だった幼少の頃なら
絶対に選ばなかった職種を、社会人9年生にして選ぶという
若干血迷った選択をしてしまいました。

それによって気づきを得たり、ご縁が繋がったりと
この人生にとってはとてもありがたい経験だったのですが、
ひとへの妨害になっていなかったかを考えると、
「やましい」気持ちが出てくるので、
今後は是非とも違うやり方を選びたいと
切に願っている思い出です。

「人の能力は環境と遺伝で決まる」というのは、
橘玲さんの著書を取り上げたweb記事や
youtube動画を通して知りました。

その流れで出会った「多重知能」という考え方は、
「自分の持ち場」を特定するのに画期的なアプローチ方法だと
ワクワク診断させてもらったと思います。
(針の筵ショックで「焦り」も大きかったですが)

その結果を受けて、
ひとまずできることとして、
こうしてnoteに書きたいことを書く
ということをしている次第であります。

→『大学』に心を照らして読み解いてみた結果


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