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創作意欲が枯渇した話 ※追記あり

「枯渇【した】」というよりは「枯渇【してる】」という、現在進行形の話ではあるのだが。
 もしかすると、創作意欲の溜池が決壊したのかもしれないが。
 ただ、やはり、自分自身の様子を見てみるという過程を、どこかで踏むべきなのだ、という話。


波のように引くもの

 どうにも、気持ちが萎えてしまうときって、きっとある
 そりゃあね。
 ニンゲンだもの。
 気持ちに波というものは、得てして存在するものだ。

 疑似科学の範疇は出ないものの、「バイオリズム」なんてものが提唱されていたりはする。
 しかし、たとえ擬似だの似非だの言われても、まことしやかに言われることには、まぁまぁそこそこの人数のニンゲンが感じるから言われるわけで。
 だって、ね。
 そりゃあ、本当にごく一部のニンゲンしか言わないのなら、それは新興宗教か何かでしょう。


 まぁ、なにはともあれ。
 そういうふうに、気持ちが萎えているときというものは存在するんです。

 何を隠そう、今の私がそれだ。

 

風船のように萎むもの

 正直に言う。
 白状する。
 本腰を入れてじっくりと創作に臨むという精神状態には無い。

 この名前で物書きを始めてからだいたい2年が経って、先月の末で3年目。
 むしろ今までよく保ってたな、と思うくらいだ。

 何せ、私は割と飽き性のタイプのニンゲンだ。
 連載モノとか長篇小説はきっちり完結まで持っていくことが多いくせに、である。
 どこかの自己紹介には書いているはず。
 私はふたご座でAB型。
 大抵の性格診断で言われるところの「捉え所がない」「二面性を持った」タイプである。

 正直、今もこうして、だらだら漫然と思っていることを怠惰に書き連ねるくらいならできる
 だけど、数万文字、数十万文字にもなるような物語を書き上げられるような精神状態ではもはや無い
 当然こんなときに書く物語なんて、おもしろいはずがない。

 原因は、まあ、いろいろだ。
 ここで書ける内容もあれば、書けないモノも当然ある。

 書けるモノならば。

 最近ゲームがおもしろい、とか(ん?)。
 なんとなくいろいろな物事が手につかない、とか。
 さまざまなコンテストに出そうとしすぎて、アイディアがまとまらないとか。
 SNSでの宣伝が案の定見てもらえていないということを、解析データとして突きつけられた、とか。


 書けないモノは、当然ながらここには書かないとして。


 とにかく、なんとなく創作意欲が湧かないのである


対処法のようなもの

 こんなときにどうするか。

 結論から言えば、そういうときは「本当に少し離れてみる」ということをしてみるのだ。

 たしかに、これはある意味「劇薬」みたいなものだ。
 原因は数あれど、そのままふらっと消えて戻ってこない創作者というのを、私は何人も何十人も実際に見たことがある。
 好きだった作品が完結しないままに消えてしまった好きな物書きさんを、かなりの数知っている。


 ゲームで遊ぶ時だってそうだ。
 音楽を聴く時だってそうだ。
 同じものをずーーーーっと続けていると、不意に冷めるときがある。
 この曲いいなぁ、ってずっとヘビロテしていたのが、ある時を境にぱたっと聴かない、みたいな。
「……あっ、なんか、もうイイや」みたいに、本当に不意にくる感情だ。
 どこから湧いてくるのかといつも知りたいところだが、いまだにその湧き潰しはできていない。

 ところが、ある程度の個数のモノでローテーションを回すようにすると、案外飽きが来ないものだったりする。
 RPGばかりではなく、たまにはアクションとかシミュレーションとかを混ぜつつ遊べば、案外どのゲームもエンディングまで辿り着けちゃったりするものだ。

 何せ、この『御子柴流歌』という名前を使う前、私は別名義で創作活動をしていた。
 その名義はもう使っていない。
 つまり、『前名義の私』はネットの海に埋没している『ふらっと消えて戻ってこない創作者』のひとりだ。

 だけれど、「私」はまたこうして物書きをして、それをネットの海に流しているのも事実。
 前名義時代に書いていた作品をこの名義で公開していたりするし、前名義時代に構想していた作品は現に今連載中だったりする。

 つまり、私は「本当に一度創作活動から離れ、再び戻ってきた」タイプの創作者でもある。


 だから、要するに、何を言いたいかというと。
 私は「創作のモチベーションがなくなったとしても、時間をかけていずれは戻ってくるタイプ」だということ。
 結局、好きなことは止められないということだ。


 決して『断筆宣言』では無いし、まして『筆を折る』わけでもない。
 ただ、愛用していた筆を一旦大切にぱっと見では見えないところに保管しておく、という話だ。
 違う筆を使うことならできる。
 
本来の仕上がりとは違うかもしれないが、ものを書くということは一応できる。

 もう一度書く。
 これは『断筆宣言』ではないし、もちろん『引退宣言』でもない。

 枯渇した創作意欲。 
 慌てて継ぎ足そうとしても、きっとうまくいかない。

 もしかすると、継ぎ足しに使うモノに不純物が入っているかもしれない。
 もしかすると、継ぎ足される器や溜め池には穴が空いていて、すぐに入れようとしてもそのまま溢れていくかもしれない。

 だからこそ、待つ
 そういうときこそ、待つ
 いつの日か、また自然に創作意欲が溜まってくるのを静かに待つ

 今はそういうタイミングだと信じることも必要なのだ。




※追記 2021/01/21

 当該記事の続き、書いてます。
 思ったより重症だったという話になります。




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御子柴 流歌
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