空は空だけで 2009年4月30日
昨日言ったことはウソになり
今日言うことは戯言で
明日言わんとすることはきっとかなわぬ夢になる
「搾取する側とされる側、気味の悪い勝ち負けが明確にされた場所で、 自分の個性や判断力を埋没させている姿に貧しさは漂うのである。
必要以上になろうとして必要以下に映ってしまう、
そこにある東京の多くの姿が貧しく悲しいのである。」
(「東京タワー」リリー・フランキー)
必要以上になろうとして必要以下に映ってしまう。
それは醜く、悲しく、虚しいように 思ってしまうのです。
ではそこから逃れることは出来るのでしょうか。
当たり前にさえなったその世界の中で
その虚しい川の流れに甘んじて
勝ち。負け。そして埋没。
あたかもそれが人の生きる道のように
社会も人も組み立てられているような気がします。
少なくとも東京というマチでは。
虚しさには目をつぶり
時には虚しさにさえ気づかぬまま
必要以上にピカピカになるよう
大理石を磨くのです。
きっと気づかぬほうが幸せなのです。
山には海はありません。
海には山はありません。
空には川はありません。
川には星は見えません。
それでもそれぞれは、美しいと思うのです。
山は山で、海は海で、空は空で、川は川で、星は星で。
それぞれ、美しいです。
山も海も川も星も
全部いっぺんに空に集めようとしたら
それはとても貧しい風景に
なってしまうと思うのです。
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※この記事は、2009年4月30日の日記を転載したものです