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うつくしい人 2009年07月28日

汗をびっしょりかいて眠ったら
お母さんが心配してくれた
心配してくれる人がいるのは嬉しくて
ずっとずっと熱が出ていればいいと思った
自分の手足の感覚や動きがおとぎ話のようで
まったくウソのような感覚

引っ越すなってことじゃないの、
と言いながら、とうとう寂しいことを認めたお母さんは
ノースリーブのピンクのブラウスに
黒いネックレス、黒いパンプス

黒いネックレスなんて珍しいね?
というと
じいちゃんが昔買ってくれたのよ

じいちゃん、とはてっきり自分の父親かと思ったら
お父さんのお父さんだった
つまり私の中でじいちゃん、て言うときに
真っ先に思い浮かぶ、じいちゃん。
そんな、むかーし舅からもらった黒いネックレスを
終業式の日にしていくお母さんがいじらしい、
と思いながら
ぼーっとする頭で眠りに落ちた

Face to face のコミュニケーションがいかに効率的か、
ということについて。

「自分の感情を吐露してしまった。格好悪いところ、醜いところを見せてしまった、ような気に、なっていたのに。マティアスは結局私の日本語が早すぎて分からなかったようだし、坂崎は坂崎で、私のことなど何も気に留めない様子で、泡のないビールを入れている。」
(西加奈子「うつくしい人」より)

顔を見て話せば
こんなことが一瞬で分かるんだなあ。

これが小説だからなのか何なのか、
主人公は、ええっ、普通何年もかかるもんじゃないのん、
てことをほんの5日間の旅でやってのけるのです。

電話は一瞬の寂しさを忘れさせてくれるけど
その後のぐるぐるした不安や余韻が残ったり愛おしさが募ったりして
電話を切った後にさらに手紙を書きたくなるし

手紙は形として残る素敵なコミュニケーション手段だけれど
それを読む場所、読む時間、読む状況、
どこを読んでどこを読まなかったのか
はたまた読んでくれたのか読まなかったのか
どの程度本気で読んでくれたのか
そういうのが分からないし(そういうのが分からないよさもあるのだけども)
大きな時間的誤差が生じることがあるからむつかしい。

やっぱりひとは顔と顔を突き合わせることが一番だと思うのです。
そのときどんなに肌が荒れていようと。
顔が寝不足だろうと。
前の晩食べ過ぎたり飲みすぎたりで顔がむくんでいようと。
そんなことは後からしたら本当に些細なことです。

いつか、いつだったか、何年か前
一人で伊豆に行って何日も過ごしたことがありました。
とても海が綺麗で
でも私はあまり海にも行かず
ひたすら「ブラックジャックによろしく」を読んでいました
そこで出会ったイラストレーターの女の人が
どういうわけか私に興味をもってくれたようで
私の話を聞きたがって、ちょっと話をしては
「人生は当たって砕けろよ」と1日に1回は言ってました。
なんとなく、今なら私にそう言いたかったあなたの気持ちが分かります、おねえさん。
あの人は今も、元気にしてるだろうか。

旅先で出会った人といえば、
ちょっと人生に疲れたキャバ嬢と仲良くなって
海辺で二人で酢コンブ食べながら缶ビールを飲んだこともありました。
お化粧をしない彼女はちょっとびっくりするくらい地味で
ジーパンにTシャツを着てただ無邪気に笑う、臆病すぎる「いい人」で
お風呂につかりながら、ごはんを食べながら、ビールを飲みながら、
彼女にはいろいろと私の知らなかった世界を教えてもらいました。
裸の付き合い、とはこのことですね。
帰り道、途中で天ぷらそばを食べて、一緒の電車にのって
一緒に銀座に行く約束をして別れたけれど
私が一度ケータイをなくしてからはどうしているか分かりません。

とある県の大富豪のおじさまと仲良くなったこともありました
朝、早く宿を出て散歩をしていたら
おじさまも散歩をしていて
おじさま波乱万丈記を聞かせてもらいました。
パチンコ事業からはじめて、福祉まで、あらゆることを手がける
いかにも地方のお金持ち、という感じの人生記は
なんだかゆるくて昭和のにおいがしておかしかった。
おいしい大根があるから送る、と言われて別れたけど
結局大根は届きませんでした。

池袋の駅近くのコーヒーショップで
韓国人だけどカナダに留学中の若い女のひとと話し込んだこともありました。
「今、何時ですか?」
という、古すぎるナンパの台詞みたいな言葉を掛けられて
話し始め、結局大学で勉強していることについて
3時間くらいコーヒー一杯で話し
挙句、写真までとって、カナダに帰ったら写真を送る、と言われて
それから3ヵ月後くらいに
本当に写真つきの綺麗なお手紙が届きましたが
あちらの住所が書いてなかったのでそれきりです。

池袋というのはおかしなマチようで
やっぱり韓国人の若い男の人に
「時間があったら日本語を教えてください」
と言われ、マックでいきなり日本語教師をしたこともありました。
彼は韓国で建築(設計?)の仕事をしていて
もうすぐ日本のインテリアの学校の試験を受けると言うので
分厚い単語帳を作っていました。
勉強熱心で偉いなあ、と思いながら
一生懸命「が」と「は」の使い分けについて説明していると
「小説は何が好きですか?」
「日本の漫画はスバラシイですが何を読みますか?」
「焼肉は好きですか?」
・・・一生懸命教えているのになんだか無性に腹が立ってきた頃
「彼氏はいますか?」
・・・要はただのナンパだったようです。
紛らわしい。

私は旅先や出先で
簡単に人と打ち解ける癖があって
結構それが目的でふらりと出歩いたりしてたんですが
それはきっと
「恥」を「かき捨て」たいからだったんだろうなあ、と思います。
一人で知らない土地にいると
一対一の、効率的で単純明快な関係というのを築きやすく
そしてそれは泡のように一瞬で消えてくれるので。

つまり、フェーストゥフェースの関係
というのが心地よいのが分かっていながらそれを持続的にするほどまだ勇気がなくて
だから知らないところで知らない人と一瞬の体当たりをしていたように思うのです。

一瞬で消える泡では済まされない出来事があると
とても悲しい、辛い思い出になることもありますが。

どろどろとした眠りの中で
そんな昔話の夢を見て
つらつらと思い出しながら
顔を合わせて会う、ということの有難さを思いました。

お母さんと
こうしてちゃんと親子として暮らすのはほとんど初めてで
女同士の楽しさもあり
親子の楽しさもあり
この数ヶ月はあっというまでした。

顔を見て生活するっていうのは
本当に効率的。
効率的って言う言葉は色気がないけど
いろいろなものがみるみる埋まる。

お母さんには申し訳ないけど
だんなさまと一緒に暮らすのはとっても楽しみです。笑


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