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鋭利な刃を見紛うな

多分いまちょっと、好きなこと言いたい期。
ちょっと暗い話だけど、長年かけてなかったことのように消化できるほど、私の胃は全くもって丈夫ではない。
己を繊細だなんて言わないが、人並みには傷ついてきた。

洗いざらい、暴露したい欲求がある。
あの日、私が何をされて、何を言われて傷ついたのか。
どんなふうに悲しかったか、加えて、未だに時々思い出して怒ってることとか。

例えば、筋の通らない嫌味を言われたり。
例えば、4人で話をしていて、私以外を指して「3人で今度出かけよう」と言われたり。
例えば、後ろに私たちがいるのを知っているのに、聞こえる距離で不満を話されたり。
例えば、私と先輩の間に無理矢理入ってきて、いないもののように扱われたり、露骨に仲間はずれにされたり。

酷いことをされる度、酷いことをされる私が悪いのでないか?という気持ちと、それはそうとして悲しいし許せないという気持ちがせめぎ合う。
最終的には、大抵自己嫌悪にたどり着き、落ち込み、悲しみに浸って時間が失われていく。

幸い、限界が来ると記憶がポン!と消える体質だった。
何かを言われたのに、何を言われたか思い出せない。はじめて体験したのは、中学の技術の授業中。
未だに当時のことを全く思い出せない。
ただ、一分前の記憶が消えた。嘘みたいな本当の話。
どうせなら傷ついたこととか、何かをされたという手触りごと全部奪ってほしいが、そこまで求めるのはやっぱりわがままなのでしょうか。

なんにせよ、この便利体質のおかげで、私は今日までたまたま生き延びている。
覚えていたら、確実に死んでいる気がする。
根拠ではないが、私は未だに、人間不信が治っていない。なんなら、時々悪化している。
そのくらい、不要な傷がたくさんある。人並みに。

色んな傷が遠い過去になると、忘れはしなくても、多少冷静になれる時がある。なれないこともあるが。
冷静な時、ふと思った。あんな奴ら、全員さっさと損切りしておけばよかった。

筋の通らない嫌味はパワハラだと言えばよかった。そうじゃなくとも、声を上げるべきだった。仕事に突然いかない日があってもよかった。

一人だけその場でハブられた時から、全員こちらから無視でもなんでもすればよかった。彼らと一生話さなくなっても、私の人生は100%変わらない。

酷いことを言うお姉様も、そういう人だと見切りをつければよかった。長所のない人間などいないのだから、「でも恩があるし…いい人だし…」などと思わず、こちらに対して敵意がある彼女のことを、真正面から向き合う必要はなかった。

露骨に仲間外れにされたあの日は、もういっそ途中で帰るとかすればよかった。傷ついてないみたいな態度を取らず、壊れたふりでもすればよかった。

ああいうものは全て、私を叱るものや乗り越えるべき試練などではなく、向けられた鋭利な刃だった。
立ち向かわなくても、もっとがむしゃらに逃げておけばよかった。

色んな限界があった。
私が悪いんだと考えて落ち込む日ばかりだった。
ただ、仮に私が悪いとして、だからといってこんな仕打ちを受ける必要はなかったし、悪意をもって人を傷つける行為は、どんな理屈を以てしても許さなくてよかった。

許してもいいけど、許すには私の器はちっちゃすぎるし、ちっちゃすぎる故にキャパオーバーとなって、壊れてしまう気がする。

私は人として多分ずっと間違えてる。
普通じゃない。ズレてる。
じわるとか、天然とか、言われるたびに悪口だなぁと気付いてる。
自分が少なくとも決定的に何か足りなくて、まともじゃないのだろうなと知ってるけど、何が違うのかわからない。
本物の木偶の坊です。

とはいえ、木偶の坊だろうがなんだろうが、悪意を向けられることに寛大である必要はなかった。
木偶の坊が鼻についたかもしれない。
でも、それで傷つけようとして傷つけられることが合法なのだとすれば、私が傷ついたことを根拠に、私があなたたちの大切な人に本物の刃を向けても、文句は言えないと思うのです。

それは品がない比喩かもしれないけど、私は今も怒ってる。
忘却時々苛立ちの天気模様をずっと抱えてる。
怒りを手放せない幼さごと、本当は身投げしてしまいたいのだ。

鋭利な刃は、さっさと損切りすればよかった。
あんな経験はなんの役にも立たなかった。

いつか、風の便りでその刃を向けてきたあの子たちの訃報を聞けることを、切に祈っております。
先立つ不幸を、どうか。
五寸釘は打たないでおきます。実は優しいから。


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