コーヒーこそが「日常の幸せ」の象徴である
みなさんはコーヒーを飲むときはどんなときですか。
朝の目覚めの一杯、
カフェで他愛ない話をするとき、
読書の傍らに相棒として ー。
さまざまシーンが想像できると思います。
それらは、きっと多くの人にとって
旅行ほどに心躍るような体験でもないし、
素晴らしいレストランのコースを堪能しているときのような
非日常のスペシャルな体験ではないでしょう。
けれど、「日常が日常である」ことが、
もっというと、何不自由なく毎日の生活を営んでいることが
どれだけの人にとって幸せに満ち溢れていることなのか。
それらをヒトは、日々の忙しさや、その当たり前さが故に
忘れちゃっている
生き物だと思っています。
もちろん、例に漏れず私もその一人です。
私は、東日本大震災で大切な人たちとの死別を経て、
それを強く思い知らされました。
日常が、音をたてて崩れ落ちるそのとき、
やり残したことはないですか。
話したかった人はいませんか。
そんなことを考えると
今我々の生かされている日常が、
当たり前に在るその姿が
時折り残酷で無機質ながらも堪らなく
愛おしく、そして尊いもので、温かみのある瞬間に私は感じます。
当たり前にインスタントコーヒーを淹れる朝も、
お決まりのカフェでの談笑も、
コーヒーが傍に在るシーンたちには、そんな日常の
何気ない幸せがたくさん詰まっていると私は考えています。
私にとって、朝に自宅でコーヒーをドリップしているときが
お気に入りの日常のひとつであり、当たり前が故の幸せを感じます。
(逆にそれを幸せに感じれていない時は、日常の忙しさに
当たり前が見失われそうになっていることの指標で在るとも言えます。)
ー 挽いたコーヒー豆のフレグランス、ケトルの沸く音、ドリップするときの緩やかな水と豆の接触。
慌ただしくしていることが多い朝の束の間に、
生き心地と、1日の活力をコーヒーから受け取っています。
自分でコーヒーを淹れないお客さまには、
私が、コーヒーを介した日常を送るバロメーターで在りたいですし、
ご自身でコーヒーを淹れて楽しむお客さまにも、よりその瞬間が
1日の中での当たり前の楽しみの一つになるお手伝いが
できたらなと考えています。
みなさまの日常が日常で在ることの
少しばかりのお手伝いを、コーヒーを通じてすることができれば、
大変嬉しく思います。
これからも、何卒ご贔屓によろしくお願い申し上げます。