見てほしいけど見てもらいたいわけじゃない
どうも皆様ごきげんよう。
二律背反。
嵩音ルイです。
何かをした、何かをつくった、何かを残した。
そういう時ってやっぱり誰かに見てもらいたいという気持ちになる。
例えばこうやって思いの丈をそれとなく残すnoteであったり。
例えば自分が面白いと思ったものを全て詰め込んで執筆した作品であったり。
そういうものはね、やっぱり出来ることなら見ていただきたい。
他でもないあなたに見つけていただきたい。
あわよくば面白いと思ってほしい。面白いやつだと思われてみたい。
けど、そういえば「僕」自身をそんなにちゃんと見てほしいかというと違う気がするんですよね。
あくまで僕がいる結果生まれたものには胸を張りたいけど、僕自身を指してどうこう言われるのは結構むず痒かったりする。
例えそれが褒め言葉だとしても。
なので「note読んだよ」ならギリギリ耐えられるんだけど「ツイート見たよ」って言われるの、実は結構そわそわしてしまったりする。
嬉しいよ?嬉しいんですけど。
例えるなら独り言聞かれてたみたいなそんなアレなんですよね。
不特定多数の人間に向けてばら撒いといて何を今さらって感じはしますがね。
このくすぐったさかどこから来てるのかな、とかも考えたんですよ。
他の誰でもないあなたに僕が残したもので何か爪痕を残すのはいいんだけど、僕自身の存在を刻みつけたいかっていうともしかしたらそうじゃないのかもな?って気はしてるんですよね。
それこそ、作品と作者の人格は切り離して考えろみたいなところにも繋がる話ではあります。
作品の面白さすら吹き飛ばすくらいとんでもねえ人物でもない限り、作者がヤベエやつだから作品も嫌い、とはならないですし。
坊主のついでに袈裟を憎まない、みたいな。
だからあんまり僕自身が表に出ようとしないのはそのあたりの感覚が理由でして、基本裏方とか司会あたりに徹してる方が好きなんですよね。
あくまで所属Vさんやお友達がワイワイやってるのを見ながら裏でコショコショやったり進行したり、とか。
同じ理由なのかはさておき、僕見知らぬ他人にリプもそうだし引用RTも出来ないんですよね。
なんか向こうからしたら急に知らん奴がなんか言うてきたわ、みたいになるよなと思って。
おそらくそういう反応をされてしまうんだろうなというのがなんか怖くて、そこを踏み越えないように徹底してたりします。
まぁ知り合いとか友達には程よくリプやら引用RTで絡みに行ったりするので、知らん人に声かけるのが怖いっていうただのコミュ障の可能性もちょっと出てきましたけど。
でもきっと一番の理由は、僕がすごい奴だと勘違いしてしまいそうだからなんですけどね。
あくまで僕が書いたものが少し他人の心を射止めたりすることがある、くらいのものであって僕そのものは別に大したこともないしただの人間でございますよ、の意識を捨てたくないだけではあるのかもしれない。
誰かがつけてくれた「いいね」は、多分僕自身ではなくて僕が残したなにかに向いているはずなので。
戒めるような何かがあったわけでもなく、本当にふと思い至って書いてるだけなのでこれから何が変わるでもないですが。
ともあれ、背伸びせずのびのびやっていこうとは思います。
今後とも推していただけると喜びます。
2024年もよろしくお願いします。
こんな感じでテキトーに生きてます。