「俗世」の「俗」に属せない気がする男
どうも皆様ごきげんよう。
「谷」って漢字だけ見ると、めっちゃ落ち込んでる人に見えません?
嵩音ルイです。
コロナが下火になって随分経ち、世間も自粛などという言葉をすっかり忘れて狂喜乱舞している昨今ですが。
まぁちょっと前にコロナ陽性になりましたけどなんだかんだ元気でやっていましてよ。
数年間の空白を経て世間がはっちゃけてるのを傍目から見てもまあまあ感じてるんですが、ここ最近は特に強いなと感じてまして。
具体的に言うとお酒を飲む機会、誘われる機会が増えたなぁと。
僕自身がまだお酒の楽しみ方を見出せていないという点もさることながら、移動手段に車を選びがちなのでそもそもアルコールを飲めないという状況がよくあるんですが。
飲んだ後の分解時間を考えると、あんまりやりすぎると翌日の運転を全て嫁にお願いしなきゃなこともあったりするのでまあまあ難しいんですが。
周りの人はそう考えてないみたいで、度々そういうお誘いが会社やら仕事仲間同士やらであったりする。
全断りもちょっとなぁ、でも全出席するほどでもないしなぁ、と思うので三回に一回くらいは参加するようにはしてるんですが。
すごいね。
飲む打つ買うの話がたくさん出てくる。
こればっかりは参加者の関係でブレはあるんですが、やっぱりなんか会社関係とかだと特にそっちに寄るというか。
僕としてはGガンダムだとネーデルガンダムが一番面白いよねとか、カービィのコピー能力だとウイングが一番好きとかそういう話で盛り上がりたいんですが(そんな話題に付いて来れる人がいるのかというのはさておき)。
やっぱり共通言語なんだなぁ、としみじみ。
僕は正直この手の話題で盛り上がれる語彙を持ってないので、ちょっと難しいなと思いつつ、知らない世界を垣間見て喉を唸らせてたりするわけなんですけれども。
最近あちこちで話題になってる何某も鑑みると、人間って思ったよりも『欲』に忠実な人間が多いんだなと感じますね。
やりたいことやるのが一番いいのは否定しないですが、それって公共の福祉を阻害しないことが前提じゃねーの?とは思っておりますが暖簾に腕押しというか。
そしてそれがマジョリティなのだとしたら、ちょっと居た堪れないな〜とは。
趣味やネットの世界で仲良くしてる人たちからはこの雰囲気をあんまり感じてなかったのですが、やっぱりネットは突き詰めると開放的なくせに閉鎖的でもあるので偏っちゃうのはあるんでしょうね。
好きなように生きるとは決めておりますが、社会と波長を合わせるのって難しいですね。
そう思うと僕の楽しみってのは社会的に見ればやっぱり大それたものではなくて、脳を酩酊で蕩かしながら色欲に塗れるのが正解なんだろうか、でもそうなりたくはないんだよな、という諦観。
俗世とは言ったものですが、その俗には僕は居ないのではなかろうか。
ま、だからといって何も変える気は無いんですけど。
嫁さんとほのぼの過ごす日常は何物にも代え難いからね。
なるようになれ、僕の人生。つって。