見出し画像

「これでいい」と「これがいい」の違い

息苦しい正解の沼から、片手くらい脱出し始めた、25歳の私のエッセイです。
私は「これがいい」をたくさん言う人間になりたいです。

”優しい”と言われる優等生の鎧を羽織ってた自分は
「これでいいか」で人生の選択を決めてきたことが多かった。

消去法で、
そして適用力が高いというか、ポジティブ麻痺で、
また次に押されるままの「これでいいか」を選んできた。

人生で選べるのは、
目の前の手札からババを引かないように、
その中で自分の身の丈に合った選択肢しか見えてなかった。


「これがいい」って、
お金持ちの坊ちゃんお嬢様しか選べないもの。
それかよっぽど反骨精神がある、才能がある別世界の人が選ぶもの。

自分は「これがいい」って、思える前に
学校では追い立てられるように3年間の競争があるし、
それ以外の選択肢って怖いから、”大人が薦める、正解”の中から、
「これでいっか」という短期進路を決めてきた。


浮かないように、出た杭にならないように、
日本の集団に馴染むのにばっかり、必死で、怖かった。
人目が苦手すぎて、自分を守れる安心感もなかったから、
「これがいい」を考える余裕なんてなかった。

私のこれがいいは、
働きたくない(多分フルタイム通勤とか、そもそもバイトもしんどい)。

でも、なんかこの「これがいい」は、
みんないいねって言わないから、
罪悪感ありますってフリしながら、

「これでいい」でなんとか、取り繕ってる。
息苦しい環境なのかもしれない。
親世代も年金払いなさいだから働いて安心させて欲しいという槍。
メディアで、女も働け、専業主婦撲滅、もっと税金払えって槍。
そして自分をみんなの安心のために、自分を殺して、その型にはめる理性って自分の槍。

どうすれば、自分の「これがいい」を大切にしていけるんだろう。


”役に立ちそう”っぽいことに使うお金と時間は減らし始めました。
「これがいい」は楽しいし、無駄って言われることも多い。
役に立ちそうっぽいことは、「これでいい」を生きていた。
もっと、誰かの役に立てるために、資格勉強しなきゃスキル身につけなきゃって。

でもそれらは「これがいい」のリソース全部奪ってるのに、
ちっとも幸せな未来として返ってこなかった。

ステートファーストでいい。
自分がご機嫌になれる方を優先していい。


「これでいい」は妥協といろんな不純物が混じってて、重い。
他人軸で、狭い。自分に言い聞かせて納得させようとする時も出てくる。

「これがいい」は脆いけど、軽くて綺麗。
主体性があって、選択肢は自分でいくらでも創造できる。
わりと反射みたいに、ワッと一瞬で、チャンスの女神の前髪くらいの瞬間風速で理性の検閲官に抑えつけられる。

確かに、「これでいい」の方が楽。自動運転でもいける。
「これがいい」を実現するのは少し大変そうに見える。
自分で考えなきゃだから。
でもせっかく生きてるなら、「これがいい」で埋まってる世界を見てみたくないですか?

ハンバーガーから嫌いな野菜抜いてもらったら「これがいい」になるなら、店員さんに言ってみると案外あっさり実現したりする。
思っているほど、「これがいい」を叶えるのは大変じゃないかもね。

少しずつ「これがいい」を叶えていくと、
自分の「これがいい」の声は少しづつ回復していく。


あなたは「これでいい」と「これがいい」、
どちらを口にしていきたいですか??


こだわりが強めでも、ちょっと歪な人間でも、
みんな違う方が絶対世界は面白くなる。
量産人間はもう解放されていいんじゃないかな。

少しゆったり休憩して、「これがいい」が湧いてきたら、叶えに動いてみるか。


サポートしていただける発信ができるよう、頑張っていきたいと思います。