高校生二人でロンドンとパリを旅した
時々、どうしようもなく遠くに行ってしまいたくなる時がある。
病んでいるとかそういうことではなくて、
この広い世界を知りたいというとてつもなく大きな好奇心が湧く。
私が今立っている地面は海を超えた先にもあって、そこにも別の誰かが立っている。その人はどんな人でどんな生活をしているのだろうか。
実際に目に焼き付けるまでは死ねないなと日々思う。
旅に行く前、半端な気持ちで時が過ぎていってしまわないように、私は今回の旅に『変化』というテーマを定めた。ロンドンやパリの何かに旅の目的があると言うより、旅に行った後の自分に興味があったからだ。
旅で人生が変わったというような話はよく聞くし、実際に私も受験が終わって目的なく過ごす日々に飽き飽きしていた頃だった。
旅が終わってみて思うことを少しネタバレすると、
これからの人生できっと何度も思い出すような、本に閉じ込めた物語のような、
本当に本当に最高すぎる旅だった。
おかげでまだ記憶の隅がふわふわしている。
世界の広さとそれを知る楽しさを伝えるために、記事を残そうと思う。
ロンドン
日本の蒸し暑い空気を通り越し、カラッとした夏のロンドンに降り立った。
飛行機を降りて最初に感じたのは匂いだった。
甘い。
なぜかわ分からないけど、明らかに日本とは違う匂いがした。
海を越えるとこんなにも違いが明らかなのかと不思議に思った。
そして宿泊先のお家がかわいくてかわいくて。
玄関で植物柄のガラスがついた青いドアが迎えてくれる。
扉を開くとギシギシと響く木の廊下の先に日当たりのいいリビング、さらにその先に奥行きのある庭が見えた。隣の家とは木の塀で区切られていて、庭に出るとまるで大自然に来たかのように空と緑を一望できる。
リビングの壁には様々な柄のお皿とたくさんのベーグルが置いてあって、
毎日好きな柄のお皿を選んで朝ごはんを食べるのが楽しかった。
キッチンには一見家電が何も置いてないように見えるが、一つ、引き出しを開けると大きめの食洗機が出てきたりする。
クラシカルな外観と比べるとミスマッチだななんて思った。
絨毯がひかれた階段を上って2階にいくと、本棚の横の狭い通路を通って部屋にたどり着く。上下開きのメルヘンな窓がある部屋が私たちの部屋だった。
家の近くには大きな公園があった。
ロンドンにはそれなりに大きい公園が数百メートル間隔くらいである気がする。
朝早く起きて、公園の近くのスーパーで作りたてのシナモンロールを買い、それを食べながら公園を歩く。食べ終わったら、好きなプレイリストをかけながらぼーっとする。こういう時間は人生を有意義に過ごしている感じがした。
東京の家の近くに大きな公園はないし、もっと忙しく1日がすぎていってしまう。ロンドン何がそんなに余裕を生み出しているのだろうか。
ロンドンが、というより、東京の人の多さ故の忙しさかもしれない。
もっと一日をゆっくり過ごしたいと思う反面、ずっと東京に住んでいるからか、
たまにその忙しさが恋しくなる。
ロンドンにCamden Townという場所がある。
私はここに他の場所以上の期待を寄せていた。
なぜかというと、私の父が20年ほど前に訪れた場所だったからだ。父はその時の話を私によく話した。それだけ刺激を受けた場所だったんだろうなと思って、Camdenに行くこと=父の記憶のタイムカプセルを開けにいくこと
というようなワクワク感があったのだ。
そしていざ、Camdenに降り立った。
わぁーこれがあの話に出てきたCamdenかぁと感心する一方で、
治安の悪さがひしひしと伝わってきて少し危機感を覚えた。
多分現地の人からするとCamdenはすごく治安が悪いというわけではないのだと思うが、なんというか、誰かがどこからか狙っているような気配を感じたり、道の隙間隙間に整備されていない部分が見えた。
ただ、私はこの危機感も旅の醍醐味だと思うので、一つの世界の端を見れた気がしてうきうきしていた。
Camdenは東京でいう高円寺みたいな感じなので、サブカルチャー的な側面でも、そのくらいの危機感がちょうどいいんじゃないかと思う。
古着屋で安く売っていたレースの羽織(?)をゲットした。まだうまい着方を見つけれていない。
帰りの時間が遅くならない日は、家主がディナーを用意してくれていて、たまにアップルパイを焼いてくれた。これがイギリスでメジャーなのかは分からないが、パイの生地がパイ生地ではなくクッキー生地だった。
一回目に焼いてくれた時は普通のアップルパイで、
二回目に焼いてくれた時はマシュマロがのっていた。
めっちゃおいしかった。
ロンドンから電車で二時間ほどの場所に位置するRyeという田舎町に行った。
イギリスに来たならアフタヌーンティーをしないと帰れないだろうということで、ロンドン市内でゲットした三万円もしたドレスを着て向かう。
こじんまりとした駅に着き、駅から出るとそこには映画の世界が広がっていた。
決して誇張した表現ではない。
本当に街の道から建物から空まで、映画のようで、
自分の目にフィルターがかかているんじゃないかと思うほど、
素敵な景色だった。
もうそろそろ綺麗を表す言葉が尽きてきたのだが、本当に本当に綺麗なのだ。
今回の旅では、このような視覚から得る刺激が一番多かったと感じる。
アフタヌーンティーのお店は、大きな道から一本逸れて小道を進んで行ったところにある。のびのびと成長した葉っぱの隙間から溢れる木漏れ日が心地い外の席に案内してもらった。
三段のワゴンでくるものもいいなと思ったのだが、一段でも量が多かったのでちょうどよかった。ヴィクトリアケーキとエリザベスケーキの違いを初めて知った。
高い建物がひとつもなく、川とボートだけが田んぼの合間合間に見える。ライ城からの平坦な風景は、一昔前に描かれた絵画のようだった。
Ryeにはヴィンテージな雑貨屋が多くて、
あるお店で出会ったかわいいカラフルなお皿を二枚購入した。
思い出が物として残ればきっといつまでも忘れないだろうと思った。
ロンドンでの最後の夜、惜しみつつもRyeからの帰路を辿る。
今自分がいるのは日本から遠く離れた地、ロンドン。私は世界を見たくてここまで飛んできた。高校生たった二人で。どんなことにワクワクしてどんなことに気づいたのか。これからどう生きていこう。
そんなことを考えて、少し暗いリビングでロンドンという土地に浸りながら
二人で夜ごはんをいただいた。
早朝、家主に別れを告げて、ユーロスターの駅に向かった。
パリ
天気は雨。どんよりとした暗いパリにお昼ごろ到着した。
ロンドンとパリ、どちらかというと期待していたのはパリの方だったのだが、ロンドンとお別れした寂しさも相まってパリの街が想像より暗く寂れた街に見えた。
午後にヴェルサイユ宮殿を訪れた。
これ以上ギラギラという擬音が合うものがあるだろうかというほど、見渡す限りギラギラしている宮殿だった。こんなに薄い感想しかなくて申し訳ないと思いつつ、本当にギラギラという印象しか残らなかった。
夜、ホテルに戻る途中、ところどころ大きな声が聞こえたり全然人が歩いていなかったりすれ違う人に凝視されたりと、全体的にロンドンより治安が悪い感じがして、パリへの好感度が下がり続けていた。
が、翌日の天気は晴れ。
昨日の街の暗さが嘘のように明るくなり、私の気分も上がりまくっていた。
どこにいっても天気って大事なんだなと思った。
朝食はホテルの近くのパン屋でクロワッサンとカフェラテを注文した。レジの横には所狭しとフランスパンが並んでいて、まるで絵本のイラストがそのまま出てきたような光景だった。
クロワッサンは日本で売っているものより二倍くらい大きくて、外の生地がパリパリで、バターがよく香って、本当に美味しかったのでぜひ食べてみてほしい。
隣の席のおじさんにコーヒーをこぼされて、白い靴下の一部が茶色くなった笑。
パリに着いた日はテンションが下がりすぎて気が付かなかったけど、
街の至る所がいちいち可愛い。
ベランダの柵は似ているようでそれぞれ模様が違うし、地下鉄の入り口もまるでディズニーのアトラクションかのような装飾が施されている。
偶然通りかかった建物が100年前からあるアール・ヌーヴォー様式のアパートメントで、入口の彫刻がスペインにあるカサ・バトリョを思わせるようで素敵だった。
人生で初めて、ルーヴル美術館に訪れた。
オーディオガイドがニンテンドー3DSなんておしゃれすぎると思う。
一番最初に見学したのはやっぱりモナリザ。
私はモナリザがなぜあんなに世界中の人を惹きつけるのか、理解ができなかった。
空気遠近法とかスフマート法とか、技法の繊細さがすごい!!と言われているが
正直「そこまで、?」と疑っていて、だからこそ、その凄さをこの目で見てみようと思ったのだ。
実際に見てみて、残念ながら「そこまで、?」という感想は変わらなかったのだが
モナリザのあの不気味とも言えるような笑顔は見れば見るほど感情が読めない気がして、ずっと観察してみたくなるものだった。
有名な絵画を間近でみることができて迫力がすごかったのはもちろんだが、
意外にもルーヴルの建物に私は惹かれた。
ヴェルサイユと比較してみると、中は主張しすぎない装飾で、外観も落ち着いた色が使われていた。何より丸い屋根が柔らかい雰囲気をつくり、ルーヴルの象徴的な形をかたどっている。
美術館を出てすぐ、ラデュレの店舗があったので大人買いして、近くの広場で食べてしまった。パリもロンドン同様、広場や公園が日本の比にならないくらい多い。羨ましい。
パリ最後のディナーはフレンチを食べたい、という思いで入ったレストランで
私たちは『観光向けじゃないフランスの温度感』を体験した。
オーダーを聞きにきたと思ったら、テーブルクロスに直接ボールペンで書かれたり
一向に料理がこないので、店員を呼ぶと、無愛想すぎる顔で少しキレられたり
会計をしたいのに全然店員が来なくて、20分ほど待たされたり
自分書いたオーダーの文字が汚すぎて読めなくて、「わかる?」と聞かれたり
なんかもう色々面白くて、店員さんの前で笑ってしまった。
フランスの現地の温度感ってこんな感じなのか(もちろんこれが全てではないと思うが)と、日本との対応の違いを思い知った。しかも料理があまりにも口に合わなかったので、店を出た後ジェラートを買って食べた笑。
いまでは笑って話せることだけど多分一人だったら怖くて仕方なかったと思うので、旅に相方は必要だと感じた。
こういう心の支えという役割以外にも、旅先で感じたことを気軽にアウトプットできる場として、自分以外の誰かがそばにいてくれるのはありがたい。
翌朝、シャルル・ド・ゴール空港から日本へ帰国し、私たちの旅を終えた。
(ちょっとだけ札幌に寄り道した)
『変化』
行く前に旅のテーマとしていた言葉。
旅が終わってからずっと自分の価値観や考え方に変化があったのか、自分に問い続けている。まだちゃんとした答えは出ていないし、これからまた変わるかもしれないが、今の気持ちを綴っておく。
結論として、私の価値観は変わらなかった。
という言い方をすると誤解されるかもしれないが、何も得られなかったという意味ではない。変わらない自分の軸の周りに、増えていく知識やアップデートしていった要素が確かにある。街の景色や自然から感じる音・匂い・味。デザインやイラストとしてその興奮をアウトプットしたくなるようなワクワクにたくさん出会うことができた。
その上で、自分の根本的な価値観はブレずに同じ方向を向いている。
それは多分、今の私の軸となっているものが、ものすごい量の自己分析をして心の底から納得して表現された言葉だからなんだろうなと思う。受験のときの自分を褒めたい。
でもいつかどこかの世界の端に行ったとき、今までの私の軸が反対方向を向いてしまうような、それくらい衝撃的な”何か”との出会いを待っている私もいる。
その”何か”を探して、限りなく広い世界に好奇心を駆られながら生きていたい。
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