轍のゆくえ 弐
眠れ、眠れ、眠れ、眠れ
意識を流れにまかせて
眠れ、眠れ、眠れ、眠れ
もう二度と目が覚めないように、全てを忘れるように
眠れ、眠れ、眠れ、眠れ
目が覚めれば、全てが終わっているように
眠れ、眠れ、眠れ、眠れ
私のことなど忘れ、俺のことを
覚えていてくれ
狐と怪しい雲行き
狐と子妖
「見える、見えるよ…あんさん、取り憑かれてるね」
ある神社には人語を話せるだけでなく、妖怪を見ることができる、猫がいる。
「え、マジで!」
「怖い怖い。なに憑いてんの!?」
その猫に任せれば、その妖怪を追い払ってくれる。さらには、幸運が訪れるように祈祷してくれるとか。
「そんなあんさんらに!お得な情報が!
なんと…500円追加でこの神社のお払いをたったの500円で受けれちゃう!どうだい?」
グイグイと客に顔を寄せる猫もとい、エセ猫。客たちは顔を見合わせどうするか相談しあっている。それもそのはずである。自分達には妖怪が見えない。見えないものを信じることは難しい。
「じゃ、じゃあ…お願いするか」
「毎度あり!」
500円を受け取って、エセ猫は境内の中を案内する。途中で看板に従うように言って、客たちを笑顔で見送った。そんなエセ猫の頭を鈍い痛みが襲う。
「何すんだい!」
「それはこっちの台詞!いつからそんな胡散臭い商売始めたんだよ!」
正体は、箒を片手に持った花見月だった。花見月は箒の柄の先でもう一度エセ猫を叩いた。エセ猫が逃げると花見月は追いかけていく。最初はお遊びだったが、次第に全力で走り回る。その様子は、さながら猟師と獲物のようだったとか。
その一方で、虚翠はというと。
「じゃあ、お願いします!」
「…何を?」
困惑していた。ここ数日なぜかお払いをしてほしいという参拝客が大勢訪れる。一体何が起こっているのか不明だが、仕事はする。とりあえず、客たちに取り憑く妖怪たちを引きはがせばいい訳だ。
まず、交渉してみる。
「あー、あー。取り憑くのをやめてもらえねぇか?」
温厚に終わらせられれば、万々歳。まあ、大体上手くいかない。これで剝がれなくても、問題ない。剥がれないことは想定済みである。
その弐、実力行使。ちなみに作戦は二つしかない。
「少し、失礼するぞ」
参拝客の手を握って、呪いをかける。妖怪には効果抜群だが、人体には影響は無い。さらに人間には印すら見えはしない。いわばマーキングのようなものである。下位の妖怪であればあっさりとこれで出て行く。余程の不幸な人間でない限り、これで出て行かないヤツに取り憑かれることはない。
今回の妖怪は、大したものではないようだ。ブツブツと呟く恨み言を聞くと、参拝客たちが縄張りに入り込み、追い出すために取り憑き続けていたらしい。お疲れ様としか言えない。
「追い払うけど、これで懲りてこれ以上変なところに行くなよ。また行ったら、これより手ひどい目にあうぞ」
「え…そんなことも分かるのか。すげぇ」
感動しているところ申し訳ないが、するならするで自分で責任を持ってほしい。無責任に勝手して、面倒をかけるな。反省をしていない様なので、さらにやり過ぎ位にくぎを刺しておく。参拝客は心当たりがあるらしく少し青ざめた顔をしていた。
妖怪には二通りある。高位と下位。その違いは妖力の量もあるが、言語を通して会話できるかという点にある。人の尺度でいうと人語もマスターできれば、秀才と言われる程だ。その点をクリアした中でも数パーセントのモノたち_それを人間は妖と呼ぶ。
「ほら、どっか行ったぞ」
参拝客たちは体が軽くなったと騒ぎ、500円を払って帰っていく。500円って破格の値段だと思うのは俺だけなのだろうか。もう少し高くてもいいと思うが、あまり高くすると客が来なくなるとかなんとかエセ猫が言っていた。
日頃から人を商売道具に使うなと言ってやりたいが、実際集客に役立っているので何とも言えない。花見月も何か言いたげな表情をしていたが、結果が出ているので黙っているようだった。今日あたり、怒りだしそうな気がする。
500円を懐に入れ、今日も今日とて日課の漫画を読む。昨日発売の漫画を買ってきたばかりなのだ。神が出歩いて大丈夫かと本屋の嬢に言われるが、親しみやすさが無ければこんな神社やっていけない。決していち早く手に入れるためではない。花見月は中々買ってきてくれないからとか、そういって理由ではない。
「この猫が!今日の今日こそ許さない!」
「そ、そんなに怒んなくてもいいじゃないかい。実際役に立ってんだからさ」
「胡散臭さが増してんだよ!噂で集客できてるからいいものの、噂が消えれば誰も来なくなるんだぞ!」
エセ猫を抱えた花見月が虚翠の方へやってくる。先程から聞こえていた言い合いに決着は未だついていないようである。話が虚翠まで飛んでくるが、本神は適当に相槌を打ち、話を右から左に流すだけである。
そうして、今日も何だかんだと日が暮れて行った。
雲行きが怪しくなり始めたのは、その日の夜。誰もが寝静まった丑三つ時のことである。
花見月は眠れず、ぼんやり縁側で外の景色を眺めていた。昼間が温かかったこともあり、虫の鳴き声が聞こえ始めている。時期に夏が来るだろう。明日の食事について考えていると、ぼんやりと光る空を見た。
「な、なんだ」
花見月は思わず、声を上げた。最初は小さな粒だった光が、次第に増え夜空を多い尽くさんばかりの勢いで輝いているのである。SF映画でしか見たことの無い景色に驚きを隠せない。だれかに知らせた方が良いのか、それとも見ていないふりをした方が良いのか。咄嗟に判断できかねる。
「あれは、妖だな」
どこからともなく虚翠の声がした。虚翠は屋根から庭へ下り立つ。長い髪が月光に照らされ、空と同じように輝いていた。色々言いたいことが込み上げてきたが、花見月は一旦口にはせず話を続ける。
「妖怪ってことは…百鬼夜行みたいなものってこと?」
「そうだな。まあ、少し違うがそんなもんだ。あれは妖の引っ越しだと考えられる」
虚翠は袖の中で腕を組む。そして空を見上げた。妖の引っ越しが起きたということは、それほどのことがあったということ。しかもこっちに逃げて来たということは、反対側で何かあったのかもしれない。
虚翠の考えなど露知らず、花見月はのほほんと話す。
「綺麗だな」
虚翠は鼻で笑う。花見月は睨みを利かせるが、虚翠はどこ吹く風である。
「あれはな、あの妖たちの妖力で発光しているんだ。アイツらは夜行性だからあの光があれば、何処にいても追える…そんなもんだとよ」
昔の記憶を引っ張り出す。その他にも何かあった気がするが、思い出せない。二人で眺め、そしてそのまま眠った。
そのつぎの日の朝のことである。本当に現れた。
「御狐様、どうか手伝ってくださいませんか」
虚翠の腰よりも背が低い子供。齢にして約10ちょいといったところだろうか。それ程の子供が、虚翠に頭を下げている。絵面といったら、恐喝されて金を差し出すシーンに見えなくもない。
「あぁん?お前、妖だろ。力を持ってるなら、どうにかできるはずだ」
最もらしいことを虚翠は並べ立てる。しかし、子供は目を潤ませるばかりであった。
様子を見かねた花見月が間に入って、仲を取り持とうとするも失敗する。
「花見月。エセ猫のこともだが、先見の明が無さすぎる。自分で解決できないことを背負おうとするな」
「それは分かってるけど…」
花見月の弁明も聞かず、分かっていないと虚翠はピシャリと言い切った。花見月は言い返すが、虚翠は聞く耳をもとうとすらしない。負けじと食って掛かるが、あっさりと避けられグチグチと小言を言われる。
次第に花見月は怒りが沸き上がってきた。
「…いい加減にしろよ」
花見月は堪忍袋の緒が切れてしまい、虚翠の胸倉を掴み上げた。虚翠は無表情で花見月の顔を見つめる。
「なんだよ。言いたいことがあるなら、言ってみたらどうだ?」
煽るように虚翠は言いきり、花見月は乗せられて怒りをぶつけた。
「そう言って、何でも自分で判断しようとするなよ!俺の話を聞け!いつまでも子供扱いするなよ!」
机を乱暴に叩く。湯飲みが倒れ、茶が零れるができる花見月は気にした様子はない。そして子供妖の手を引いて、その場を離れていってしまった。残された虚翠は大きなため息をつく。
「本当に何回目だい…喧嘩するなって言われないと分かんないのかい」
少し不貞腐れたような顔をする虚翠のもとに、布巾を片手にもつエセ猫がやってくる。せっせと机の後処理をしながら、虚翠の話を聞く。
「…今回はマジで首を突っ込まない方がいいだろ」
それを素直に言えばいいのにと思わないこともない。エセ猫は盆に机上のものを寄せ集める。そして虚翠の隣に腰かけた。
「そうだねぇ…アイツはヤバいよ。例のあれだろうね?さらに光ってたってことは」
「ほ、本当によろしかったのでしょうか」
「問題ないです。あんなどうしようもないヤツ」
怒りを露にしたまま花見月は自室に子供妖を連れ込んだ。日頃部屋を綺麗にしていて良かったと思う。急に客人を招き入れることがあっては困ると思い、色々準備していたのが役に立った。
「あの狐様の考えも理解できない訳ではございません」「肩を持たずとも、いいんです。理解できなくていいんですよ。あんなヤツ。
日頃からぐうたらしてばかり、一度は形見の狭い思いでもしてろ!」
「ぐうたらはどうか分かりませんが、私に手を貸さないと言い切ったのも…護りたいものがあったからではないかと」
花見月が眉間にシワを寄せる。普段を知らないからそう言えるのだ。普段の姿を見れば、イヤでも思い知る。役立たずだと。
言い合っても仕方ない。花見月は子供妖を座らせて、茶を用意し話を進めることにした。
「それで、お名前をお聞きしてもいいですか」
「これはこれは申し遅れました。私、旅蛍と申します。このような身なりですが、長として妖の一団を率いております」
旅蛍はことの顛末を話し始めた。両親の急死により、家督を次ぐことになったこと。さらに、急死を知った妖怪たちが暴れ始め元いた住み処を追い出されてしまったこと。そして新たな地を探して、この辺りを縄張りにしているという虚翠に顔合わせに来たこと。
「そ、そんなことがあったんですか」
花見月は上手く言葉にできず、口どもる。旅蛍は花見月を見て優しく微笑んだ。
「同情は必要ありません。これは私共の宿命なのですから」
旅蛍は力瘤を作って見せた。その表情は明るいものであり、宿命を受け入れているという話は本当のようだった。
暗い話はそこそこに、花見月は旅蛍を連れて外に出た。長い階段を下り、街中を旅蛍に案内する。旅蛍は目新しいものに目を輝かせ、辺りを見渡した。そんな反応が珍しく、花見月も楽しんでいた。
休憩がてら、街の広場にある階段に腰かける。花見月の顔見知りから貰った氷菓を食べながら、旅蛍は口を開いた。
「この土地は良いところですね」
「そうでしょう?田舎ですけど、都会にも負けない楽しい場所だと自負しています」
花見月が笑って自慢すると、旅蛍は一層元気に返事をした。暫くの会話の後、おもむろに旅蛍は花見月を見つめる。視線に気づいた花見月は首をかしげた。
「どうかしました?」
「その…急な話ですが、私たちもっと仲良くなれるのではないかと思います」
旅蛍は花見月の手をギュッと握り締めた。空になった氷菓の容器が階段を転がり落ちていく。落ちていく容器を視界の端にいれながらも、花見月は嬉しそうに肯定する。穏やかな時間であった。
しかし、話は次第に雲行きの怪しい方向へと向かっていく。
「私の立場上、中々友人といえる人間はいません」
旅蛍はすこし寂しげに呟く。そしてだからと口を開いた。
「もっと仲良くなるために、花見月さんと一緒にいたいのです!」
「は、はい」
あまりの熱の籠った言葉に、花見月もようやく雲行きの怪しさに気付き始めた。
「それでですね…どうか家に婿入りして貰えないでしょうか」
「…へ?」
花見月は急な話に戸惑いを隠せない。それを他所に旅蛍は話を続ける。
「そうすれば私は花見月さんと一緒にいれますし、花見月さんも私といれて嬉しい。そうでしょう?両方に利益があります」
「は、はい…?」
花見月は話は理解しているものの、飲み込めなかった。婿入りといっても、花見月には早すぎるように思える。それに了承していない。それにも関わらず、旅蛍によって話はどんどん進んでいく。
「それに妹も花見月さんのような方と婚姻を結べれば、幸せにちがいない」
「あの…間違いしかないと思うんですけど」
花見月がツッコミを入れたが、旅蛍は無視をして進める。次々に旅蛍の口から出る言葉に、花見月は戸惑うばかり。しかし、これだけは分かっていた。このまま進められるとヤバいことになる、と。
「ちょっと、ストップ!」
花見月は旅蛍の肩を掴み、意識をこちらに向ける。旅蛍は今更花見月が慌てていることに気付いたようである。
「どうしました?花見月さん」
「いえ、だから…俺は婿入りできません!神社のこともありますし、それに妹さんの意見も聞かないことには始まらないでしょう」
花見月は何とか時間稼ぎができる理由を用意したつもりだった。旅蛍は慌てた様子もなく、あっさりと言い返した。
「それなら問題ありません。神社の方には私の姉を送りましょう。求められるであろう才能、器量、顔。共に問題なし。きっと御狐様も気に入られる。
あとは…妹のことでしたな。そちらは問題ありません。質問は以上ですか」
「いや、色々言いたいんですけど」
そんなホイホイ進められれば困ると言えば、旅蛍はならばと爆弾を投下した。
「一度、家の者しいては妹にお会いしましょうか。身内がいうのも何ですが、美人です」
「そうじゃないんですってば!」
早合点した旅蛍は何処からともなく、お付きを呼び出した。そして花見月を拘束する。花見月は抵抗したが、あっさりと捕まってしまった。
「では、向かいましょうか」
旅蛍が背を向けた瞬間。花見月の目の前を暴風が吹き荒らした。思わず花見月は目を瞑る。
「危ない危ない…いけないところだった。少し目を離したら拐おうとするんやから…」
のびのびとした話し方。聞き覚えのある声に花見月は目を開いた。
「隠成…さん?」
「うん。花見月くん、呼んだ?」
花見月の呼び掛けに世隠成は手を振り返す。どういう訳かは知らないが、隠成は助けてくれるようだ。花見月は助けてくださいと叫ぶ。
「助けてあげたいんやけど…放せって言ったら、素直に放してくれるヤツじゃないと思うんよ。そこんところ、どう?」
隠世が尋ねると、旅蛍は首を横に振る。
「花見月さんは家に婿入りしてくれるんです」
「だそうやけど?」
「了承してません!」
隠成はウンウンと首を縦に振る。態とらしく、一見するとふざけているようである。
「蛍くんの言い分やと、花見月くんの了承が必要になるってことよな。でも、実際花見月くんは了承していない。つまり…?」
隠成は目を細めた。たったそれだけのことなのに、隠成の雰囲気がガラリと変わる。
ピりつく雰囲気の中、旅蛍が口を開いた。
「…お言葉ですが、どうして花見月さんの了承が必要なんです?家に来れば、私たちが至れり尽くせり花見月さんの世話をいたします。それで、花見月さんも幸せになるでしょう?」
「本性を出したね…ホント分からず屋なんやね。正直、それは迷惑っていうヤツやと思うんやけど」
隠成の声が怒りを纏い始める。旅蛍はもう取り繕う気がないらしく、ペラペラと話し始めた。
「花見月さんも幸せになりたいでしょう?…貴方が幸せになるためには、私たちの一家に加わるのが一番です」「余計なお世話ってのが、聞こえんかったか。坊主」
旅蛍の頬に突如切り傷ができる。旅蛍は流れる血液を服で拭い、大したことも無げに話続ける。
「なぜそこまで怒るんです。花見月さんと会うなと言っている訳ではないんですよ」
「それは花見月くんが決めることや。勝手に決めとんちゃう」
また旅蛍に傷ができる。今度は、お付きまで被害が及んだ。
「…風ですか」
旅蛍は服の裾をちぎり、傷口にあてがう。
「そうや。私は風を操る。つまりここは私の領域や。分かったら、花見月くん置いて逃げ出せ」
それでも怯んだ様子はない。隠成は渋々袈裟斬りに切りつける。流石に効いたらしく、旅蛍は膝をついた。
自分の不利を悟り、旅蛍はお付きに指示を出す。
「…仕方ありません。撤退しましょう」
「それは良かった」
隠成は、旅蛍の言葉に力を抜いた。その一瞬、ほんの一瞬のことだった。隠成が気を抜いた隙に、視界が真っ黒に塗りつぶされる。そして身体全体に重さがのし掛かった。
「そのまま抑えているように。厄介ですから」
旅蛍は花見月を連れていくように命令する。花見月は抵抗したが、鳩尾に一撃を貰い、気絶してしまう。
「…もしかして、嘗めてるん?」
暴風が吹き荒れ、隠成を取り抑えていたお付きは皆吹き飛ばされる。隠成が取り抑えられている時間は一秒と満たなかった。しかし、それだけで、彼らには事足りた。
隠成が重石になっていた妖を振り払ったときには、旅蛍はおろか花見月の姿さえ消えていた。
「してやられたねぇ…これはお説教では済まされないかな」
頬をポリポリと引っ掻き、少し憂鬱な気分になった。
狐と反撃
「んで、言い訳は?」
虚翠が殺気交りに隠成を脅す。隠成はから笑いしか出来ない。
「ま、まあ…良くはないけど、食い止めようとはしてくれた訳だし」
「実際食い止められてねぇんだよ。つまり、ノーカウントだ」
虚翠がここまで怒っている理由。言わずもがな花見月の誘拐についてである。虚翠は喧嘩の後でもあったため、下手に花見月を刺激するのは良くないと判断し、見張りを隠成に頼んだ。それにもかかわらず、隠成は見す見す花見月の誘拐を許してしまった。
頭の中では完全なる八つ当たりだと理解していた。しかし、怒りが収まらなかったのだ。花見月が旅蛍を連れて出ていったとき、どうして忠告しなかったのか、と。あのとき喧嘩したばかりだと理由をつけなければ、今回の誘拐は起きなかったのに。後の祭りといえばそうなのだが、それでも生き物。人生には後悔が付き物である。
虚翠は深呼吸をし気分を落ち着けてから、隠成にもう一度向き合った。
「とりあえず、花見月は何処に連れていかれた?お前、知ってるだろ」
虚翠が威圧するように言えば、隠成は自信ありげに首を縦に振る。
「勿論。風の動きを見ればあっという間やよ」
片目でパチッとウインクを決め、隠成は両手を伸ばし唸り声を上げる。突然のことに驚いたエセ猫が虚翠の後ろに引っ込んだ。虚翠はエセ猫をチラリと見たが、何も言わず再び隠成に目を向けた。
隠成が息を吐く度に、木が騒めく。鳥が鳴き、子供の笑い声が聞こえる。洗濯物が靡く音、窓を叩く音。ありとあらゆる音が辺りから聞こえてくる。
「な、なんだい、これ」
「相変わらず気に入らねぇな。うるせぇ…」
虚翠は耳を塞いでいる。尻尾の毛が逆立っているのが目に付く。虚翠はあまり好まないらしいが、話の流れから恐らくこの音が隠成の力のようである。
暫くして、音が止んだ。隠成は唸るのをやめて、眉間に皺を寄せる虚翠を見て笑う。そしてそれに怒る虚翠が…とお決まりの喧嘩である。もうホトホトこの展開に飽きてきているのが最近のエセ猫である。
「もうさ…アンタらの仲の良さはもう思い知ったから、とりあえず何が分かったか教えてくれないかい」
「ああ、そうだった。すっかり忘れるところだったよ。ありがとう、エセさん」
エセじゃないんだけというエセ猫の突っ込みはさておき、コホンと一咳してから隠成は粛々と話し始める。
「彼らは近場の森にいる。古い館のような場所だったね、持ち主は居ないみたいだった。数十年ぐらい放置された場所に、あの旅蛍くん一団が所狭しといたよ」
「厄介そうだ。しかもあの妖…光るのは求愛のアピールだって聞いたんだけど本当なのかい」
喧嘩をしていたはずの虚翠と隠成は、両者揃って首を縦に振る。
あの妖は蛍から派生したものである。先程の通り、求愛のアピールとして自らを発光させる。それがこの前の空が光る現象である。寿命は妖の中でも短い方だ。そのため、人生の殆どを求愛に使うらしい。
「そんな妖がどうして花見月を?食うのかい?」
「そんな訳ないだろ。婿入りだとか抜かしていたなら、”婿にでも”みたいな感じだろう」
「人間をかい?」
「誰でも構わないんじゃないのか」
妖と人間の結婚。それは珍しい事ではない。二種類の生き物が混じり合った結果生まれるものを半妖という。半妖の容姿は人間と変わらない。妖怪としての能力を受け継ぐかは、運次第なのだとか。
どこのだれかは存じ上げないが、花見月と婚姻を結んだところで何か利益があるとは思えない。あるとするならば、子孫を残すため。きっと、それだけで十分なのだろう。
「まあ、自分から変なことに頭を突っ込んだ…ってことだね」
「その通りだ」
虚翠は面倒くさそうに毛先を弄っている。その後ろで微笑んだまま虚翠を見る隠成が、気味悪く口角を上げているのが気味が悪い。エセ猫はなにか寒気がする気がした。きっと知らないふりをした方が良いのだろう。
「じゃあ、助けに行かないん?自業自得で放って置く?」
「…分かって聞いてんだろ。そんなことする訳ねぇ。俺の雑用してくれるヤツが居なきゃ困るだろ」
見捨てることができる程、虚翠は器用ではない。
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