轍のゆくえ
幼いあの日
「こっちに来」
手招きされてフラリと立ち上がる。そして、足元に頭を預けた。優しい手つきが頭を撫でて、腰の方まで流れていく。何度も何度も。
春の陽気と、あたたかな日差しに襲われて、緩やかに眠りに落ちていく。何か囁かれている気がしたのだが、きっと気のせい。鳥の囀りと川の流れる音、風の音ですべてかき消されていく。静かな眠りに落ちていった。
狐と神々
いつもの服装とは違う、高級な素材。重たいと感じる程に突き刺されている簪。歩く度に動きずら差を感じずにはいられない厚い下駄。朝からたたき起こされ、整えられた顔。
何もかもが気に入らない。着飾るほどの相手でもない。ちょっと顔を出して、すぐに帰る。それだけの予定なのに、どうしてもと強請られたが故に着てしまった。裾に汚れをつけるだけでも何百万が消し飛ぶ。何百万が…ただでさえオンボロ神社。その修復工事も進んで一旦、金をためてもう一度、という段階だというのに何百万の出費はキツい。
「馬子にも衣装とはよく言ったね。しっかりした神様に見えなくもない」
「もとから神だが」
花見月はいつも通りの態度。しかしその身はしっかりとした生地の衣冠に包まれていた。
「それ、汚すなよ。神事の際にしか着ないヤツだからな」
親指と人差し指で金の形を作る。その衣装だけでも何百万。歴史的価値も含めたらもっとだ。一生かけて払いきれるかどうかの金額が、花見月にまとわりついている。まあ、札束を着ているという感じだ。
花見月がマジマジと服の感触を確かめているのを他所に、俺は簪を抜き、顔を擦る。
「せっかくメイクをしたのにとっちゃうの?」
「何度も言ってるが、こんなお目化しして会う相手じゃない」
「同じ神だけど、相手は有名な神様。正装はしないと」
「それにせっかく人型に戻れたのに恩返ししなくてもいいの?」と痛いところを突いてくる。大国主命の住処_出雲大社_近くは、いつも大国主命の神力で満ち溢れている。その神力のお陰で人型に戻れているわけなのだが…恩返しと自身の気分を秤にかける。秤は右と左に揺れて揺れて、結局恩返しの方が勝利した。
渋々簪だけ刺すことに譲歩し、会場へと向かった。会場に行く方法は、招待状を持っているモノにしか明かされない。毎回違う方法が指定されるから、誰かが迷い込むということも少ない。便利なシステムである。
神社の敷地に入る手前で、ワタたちと別れ花見月と二人、神社の敷地に入っていく。観光者が多く、何処もかしこも人で溢れていた。よく分からない言語も飛び交う場所で、正装に身を包む俺たちは完全に浮いていた。人の目が突き刺さり、コスプレと勘違いした人々がシャッターを切ろうとする。
花見月は顔を隠し写真に写らないようにしているが、すでに何枚か取られているため手遅れである。観光そっちのけで集まってくる人々を置いて、俺は一人歩き出した。
「ど、どうしたら…こんなに人が集まってくるなんて思ってなかった」
「無視だ無視。どんなに警戒したって、次には対策されんだよ」
そう言って、階段を上り社務所の方まで行く。社務所前はグッズを求めた人々がごった返しだった。次々と人を捌いていく巫女の仕事ぶりが素晴らしい。俺はスタスタと並ぶ人々の前を通り過ぎて巫女の前に割り込んだ。慌てて花見月が、俺の袖を引く。素知らぬ顔をして、突然割り込んできた俺に戸惑う巫女に言った。
「招かれて来た。大国主命のもとまで連れていけ」
巫女は首を傾げる。何も知らないという顔だ。面倒なことになってきて、ため息をつかずにはいられない。
「大国主命。来てやったのに、無視したのはそっちだからな。後で文句言うなよ」
ぼそっと呟いて、踵を返した。割り込まれた客が何か言いたげにしていたのが見えて、少し頭を下げておく。巫女に目で追われているのが分かったが、足早に去った。俺が悪い自覚はあるし、明らかな場合は頭を下げた方が円滑に解決にたどり着く。後からごちゃごちゃ言われても、お互い良い気がしない。
「お、おい。もう帰るのか。大国主命に会うんじゃ…」
「それはやめだ、やめ。本人…本神が出てこないなら、仕方ないしな」
速足で歩く俺を花見月が引き留めようとする。これ以上いても仕方ないと言うと、花見月は何も言い返せず眉をひそめた。招かれているのに勝手に帰るのは、とか考えていそうだ。招かれているが、招かれざる客だったという訳で、それを後から責められる謂れはない。
鳥居のもとまで戻ってきて、鳥居を潜ろうとすると小さく鈴の音が響いた。花見月にも聞こえたらしく、辺りを見回している。やっと開けてくれるらしい。鈴の音は次第に大きくなっていく。鳥居はいつの間にか消え去り、大きな木製の扉が出現していた。
花見月が感嘆の声を上げた。シャンシャンと鈴は鳴り続け、大きな扉は錆びついた音を立てながら徐々に開いている。その隙間から見える光景に嫌悪感を抱かずにはいられなかった。さっさと帰ろうと思いながら、重たい脚を持ち上げた。
どこを見渡しても神、神、神。本当に嫌気がさしてくる。堂々とした表情を作り、前を見て歩いていると、色々な話が耳に入ってくる。神議りではないため、来ている神は少ないが有名どころがチラホラといた。ただの親睦会ではなさそうである。
「花見月、あ、あれは…」
花見月に肩を叩かれ、指差された方を見ると一頭…一柱の龍神がいた。蛇のように長い体に、鋭い爪が生えた手。立派な髭が、荘厳さを引き立てている。「龍神だな。気になるなら、ご挨拶してくると良い。気さくな神だから、歓迎してくれるぞ」と背中を押してやる。花見月は首を横に振り、強い力で俺の腕を掴んだ。遠慮しなくてもいいといいっているというのに…
遠慮するなと花見月を連れ龍神の方に歩く。こちらに気付いた龍神と目が合った。
「龍神。久方ぶりだな」
「おお、狐の坊主じゃないか。お前がこんなところに来るとは珍しい。明日は槍か、それとも会議が白熱するかどっちかだな」
「またまた御冗談を。冗談にしては面白いものではある」
「半分本気だったんだがなぁ…」
ニコニコと笑いながら、俺は背後に隠れようとする花見月を押し出す。「今日紹介したいのがいてな」と花見月を隣り立たせた。龍神が目を細める。
「こちら、私の神の使い…名を花見月という。気が弱い故、龍神に世話になるかもしれない。そのときは宜しく頼む」
「坊主が使いを連れてくるとはな…やはり明日は槍か。
それはそれとして、花見月と言ったか。我は龍神、名を砕時結之草間という。単純に龍神でいい」
花見月は頭を下げ深く礼をして、砕時結之草間と唱えていた。龍神は初々しいとか何か抜かしていた。
龍神の気遣いで、花見月に龍神の知人…知神を紹介してくれるらしい。俺の交友関係では限界があるから、顔の広い龍神がいて助かった。
花見月は神々に頭を深く下げたり、丁寧に言葉遣いを変えたりして大変そうだった。忙しそうな花見月と対象的に、俺は花見月の後方で堂々と突っ立っているだけだった。周りからヒソヒソと厚顔無恥だとか言われているのが聞こえたが、チラリと目線を動かして睨むようにすればあっという間に逃げ去っていった。
「何かあったか」
「何もないぞ。ちょっとした虫が五月蠅くてな」
花見月は喉が渇いたらしく、片手に水を持って来ていた。サービスとして提供されている水である。名水と呼ばれる秘伝の湖の汲水で、確か飲めば万病が治るとかなんとか。値段は人間の通貨で何千万、何億とつくだろう。そんな貴重なモノと知らず、花見月はグイッと飲み干す。虫なんていたかと首を傾げていたが、気にするだけ無駄なことで教えてやらなかった。
「ほら、次の神を紹介してもらってこい」
またヒソヒソ話す声が聞こえて来たので、花見月を急かすとグチャグチャ抜かしながらも龍神と名の知らぬ神の元に戻っていった。噂話をするヤツらに睨みを利かせれば話をやめるが、一時的な抑制にしかならない。すぐにまた湧き出す。本当に虫みたいだ。
「ほらアレが例の狐です…」
耳障りな話で、いい事なんて一言も含まれていない。抑えはするが、きっとそのうち花見月の耳にも入るだろう。そのとき変にこじれなければ良いと思う。
…本当、面倒だ。
暇になったので、仕方なく酒を頂戴した。まだ昼だとか気にしていられない。神が集まれば宴会が開かれるのが定石だ。酒が準備されないわけがない。そしてその酒がまずい訳がない。舌の肥えた神々に飲ませる酒は、最高級のものが用意されるだろう。
度数が強いもので喉の刺激を楽しみながら、つまみを食べているとまたヒソヒソと話し声が聞こえた。暇神ばっかりが集められているように感じてきた。
「これはまたドブ臭い…どこかの狐がいるからかもな」
「料理が台無しになってしまう。さっさと追い出してしまいましょう」
陰口には慣れている。くだらないことに突っかかるよりも、つまみを堪能することに集中することが楽だった。口封じしたらしたで、またあることない事が広がっていくだけである。
いつもならそれだけで終わっていた。火のないところに煙は立たないというのに、わざわざ燃やしにいくヤツがいるのをすっかり放置してしまっていた。言い聞かせるんだったと後悔しても後の祭りである。ソイツは無視すればいいのに、陰口を叩き続ける神の方にズンズンと歩いて行った。
「ちょっと、そんなこと言うのやめてください。言われた側の気持ちを考えないんですか」
ホント最近余計なことを起こしている花見月である。花見月は龍神の友神と話していたというのに、そっちをすっぽかしてこちらに来ていた。龍神の方を向くと、推定龍神の友神が呆けており、龍神自身は腹を抱えて笑っている。この状況で笑うことを許される龍神が恨めしかった。気分は目の前で怒られる友人を見ているときに近い。
花見月は、陰口を叩いていた神々に堂々とした態度だった。イレギュラーな存在の花見月は、きっと何も知らない。知らないからこんな態度を取れるのだろう。陰口を叩いていた神が、突然噴き出す。急に笑い始めた神に花見月は白い目を向ける。
ツボにはいった神は俺の方を指差しながら言った。
「お前、確か|この狐≪コイツ≫の神使だったなぁ。そんな態度を取っていいと思ってんのかよ」
その言葉を聞いて、周りの神々が笑う。龍神は一切笑っていなかった。さっきまで笑っていたのが嘘のようだ。表情がまるで氷のように冷たい。
「俺は間違ったことはしていない」
鋭い目つきで、いまだ笑う神を睨んだ。その態度を見て、笑う神含め周りがどっと笑った。
「俺は間違ったことはしてないと思う…だってよ。聞いたか?何もかも間違ってんのによぉ。可哀そうになぁ、何も知らねぇんだなぁ。教えてもらえてねぇんだなぁ」
煽る神に花見月は次第に怒りが湧いてきて、殴りたい衝動にかられたが何とか抑え込む。神は花見月の努力を水の泡にするように、ドンドン煽っていく。会場もいつの間にかゲームのように楽しんでいるように見えた。
「…何のことです?」
「やっぱり、教えてもらってねぇんだなぁ。だから、そんな態度をとれるわけだ。分かった分かった、親切な私が教えてやろう」
俺は何も言わなかった。いや、言えなかったと言った方が正しい。隠していたつもりはないと言い訳できない訳じゃない。しかし、口が動かなかった。
「そこの狐はな、化け物なんだ」
「知ってる」
汚い笑いを零す神に花見月は作り笑いで流した。会場がシンと瞬時に静まり返る。
「ただの化け物じゃない。近くにいるものを喰い、周りのモノを祟る。実際に祟られたって神もいるって噂だ」
「そうですか」
またも花見月はアッサリと流し、変な噂されてるぞ、気をつけろと俺に呼びかける。分かったと俺はなんてことないフリをして返事をする。なんてことない返事をしたが、実際はそうでなかったかもしれない。
「たいそうな噂ですが、俺は嘘に聞こえます。何処の誰が言ったんです、そんなこと。普段のアイツを見たほうがいい。神のすべきことさえ面倒ごととして扱う。
そんなアイツを見ていたからわかることもある。自分の見たことを信じる」
花見月はだからと続けた。
「いつもバカしかしない、バカでしかないけど。俺に全部ぶん投げることしかしないけど…そんなバカを信じれるバカでありたい」
どっと笑いが起こる。花見月を嘲るような声も交じっている。
「ねえ、聞いてたか?神の噂ってのは、実際に起きたから起こってんの。分かってる?おバカさん」
花見月の前にいるヤツは、花見月の肩をポンポンと叩いた。花見月は何も言わず、何も動かない。
自分の分だけなら無視してやるのだが、今回はそうはいかなそうだった。いつもなら俺は鼻で笑ってやるところ。しかし今回笑うのは止しておこう。その代わりに盛大な仕返しを。
「おうおう、言いたいこと言ってくれんな」
花見月の隣に立ち、花見月に散々言っていたヤツの目の前に立つ。俺の姿を見て、ワザとらしく鼻をつまむ仕草をした。
「獣臭が強くなったなぁ。やっぱり獣を神の会合に連れてくるべきではない。臭くなるだろう。ほとほと迷惑だ」
品格がどうちゃらこうちゃら言って、ソイツは罵ってくる。それを聞いて、花見月が堪えきれず突っかかろうとする。引き留めるように、俺は花見月の頭を勢い良く撫でてやった。上目遣いの花見月と目が合い、安心させるように笑みを作る。
「…ほう?それは失言ではないだろうか。貴殿、今すぐ取り消すのなら、間に合うぞ」
「失言だぁ?俺が言っていることは真実だろう。何を取り消す必要がある」
「ふむ、そうか。分かった」
ソイツは下衆のような笑みを浮かべ、一部の神々も便乗して笑う。見物していた大半は、不穏な気配を感じてか口をつぐんでいた。ここまでやって手を引くとは情けないと思わなくもない。この状況では、賢明な判断ではあるが。
右手を口元に当て、ワザとらしくゆっくりと俺は話した。分かりやすいように。
「つ、ま、り、貴殿は大国主命様の命に逆らう…と?」
さっきまでの下卑た笑いは、ぴたっと止んだ。目の前の神は、眉をひそめている。
「いつ命に逆らったと?」
「貴殿は言ったではありませんか。”俺を連れてくるべきではなかった”と。それはつまり、連れて来た大国主命様に”連れてくるな”命令しているのではないか」
「それは曲解ではないか」
「だから、取り下げるように言ったのに…貴殿は言い切ったではありませんか。”何も取り消す必要はない”と。何か間違ったことを申し上げましたか」
にっこりと笑いかけると、神は口元を引くつかせた。そして自分が不利でそうしようもない事を悟ると、負け犬の吐き台詞を吐いて逃げていく。続いて取り巻きの神も逃げて行った。
完膚なきまでの敗走。見事なまである。ここまでしてやったら、もう放って置いても良い。良いのだが、今回は少し言い過ぎた。彼の神らがいつも通りに抑えていれば良かったものの、やり過ぎてしまった。罰が必要だ。
空に浮き上がって、逃げる神を目下に収める。そして指をパチンと鳴らす。瞬時にヤツらを青い炎が襲った。轟轟と燃え上がり、消えることを知らない。焼け死んでしまうと思ったヤツらは慈悲を乞うているが、誰も助けようとしない。実は、炎は五分ほどすれば鎮火される。きっとあの神は、これで助かったと喜ぶだろうがこれでは終わらない。炎は幻術で実際に燃えてはいないし、精神的にしか追い詰めていない。これから、もっと酷いことが待っているだろう。狐の祟りを受けてしまったのだから。
地面に降り立つと、拍手で迎えられた。黒髪を垂髪にした女神のような男。大国主命である。その場の神々は頭を垂れた。花見月は遅れて、頭を垂れようとする。それを邪魔するように腕を掴んで制止した。
「な、なんだよ」
花見月は振り払おうとするが、力で勝てるはずも無く頭だけを下げた。
大国主命は中途半端な姿勢の花見月を咎めることなく話し始めた。
「ようやく来てくれたんだね。会えて嬉しいよ」
「喧しいのがいたからな。コイツが言い出さなかったら来なかった」
そう言って、顎で花見月を指す。花見月はピクリと反応したが、頭を上げることは無かった。恐らく礼儀を重んじたのだろう。大国主命は花見月の目の前までやってきて、しゃがみ込んだ。お付きのものが慌てて大国主命を止めているが、本神はお構いなしだ。花見月といえば、大国主命と目が合って固まっている。
「初心だからそっと扱ってやってくれよ」
「うん。そのつもりだよ」
大国主命は花見月に挨拶をしているが、花見月は単純な返事しかしない。
「僕は大国主命。君の名前を聞いていいかな」
「俺…僕は花見月です。お初にお目にかかります。お会いできて光栄でございます」
「そんなに固くならないで。固いのは苦手なんだ」
ホワホワとした雰囲気の大国主命に花見月は、たどたどしく話す。ポツポツと話したかと思えば急に姿勢はそのままで、大国主命は俺に向き合ってきた。
「ねえ、どうして皆君みたいにフランクに話してくれないんだろうね」
「それは自分の身分を考えればわかるんじゃないか?」
遠回しに無理もないと伝えると、大国主命はしょげた様な顔をした。大国主命とは神話にも登場し、ウサギを助けた話で有名な神である。その神話通り、目の前の大国主命は心優しい青年である。誰に対しても温和に接し、害が無さそうに振舞う。
立ち上がり、服を整える大国主命に先程のことを伝えた。少し嘘を交えながら。大国主命は俺の話を相槌を打ちながら聞いて、嘘を疑う様子はなかった。恐らく一緒になって笑っていた神々は内心冷や汗をかいているだろう。今回は害を及ぼさなかったので、見逃した。
「それで、その神は帰った」
「なるほど」
唸りながら首を傾げたり上を見上げたりして、大国主命は考え込んでいた。悩んだかと思えば、独り言を言い出す。自分で言い出したことを否定でぃたり、本当に忙しい男である。
「うん、そうしよう」と一頻り考えた大国主命は、俺の方を見た。
「…彼らがやったことは正にできない。君に対する侮辱に値するし、過去のことを言い出したって仕方ない。一応やめるように入っておくよ」
花見月が過去のことという言葉に反応していた。やはりというか、疑問に思っていたのだろう。そろそろ話さなければならないのかもしれない。今回のことで俺の不当な扱いを見ただろうし、それを気にならないはずがない。しかし知ったところで過去の話。掘り返してくる神が一部いるが、大半には忘れられつつある。
「それで許してあげてくれないかい」
まあお仕置きはしたから、手を出してくることは無いだろうしこれ言うことも無い。
「さあアイツら次第だ」
「分かった。キツク言い聞かせておこう」
後ろに控えるお付きたちに大国主命が頷くと、お付きたちがどこかに駆け出して行った。一体何を命じたのか知らない。というか知りたくもない。絶対碌なことじゃないと思う。
「それはそうとして」
嫌な笑みを浮かべて、大国主命が向き直る。嫌な予感がした。
「彼らが正しくないことをした。それは事実。しかし、君も祟るまではしなくても良かったとも思うんだけど…どう思う?」
だから来たくなかった。さっき来たばかり、ましてさっき俺の説明を聞いただけの大国主命が、俺があの神らを祟ったことなど知る由は無かったはず。つまり全て知っていたのだ。それで知らないフリ、恍けたフリをしていた。ヤツの住いに来ている時点で、ここでの出来事は耳に入ると予想していたが、知らないふりをしてくれると思ったのが誤りだったらしい。
「何のことだか…知らねぇな」
「…まあ、君がその知らないフリを貫くのならそれでいいよ」
何を思ったか、大国主命は花見月の方に向き直る。
「花見月、君はいい友達になれそうだ」
「…はい」
花見月は急に話を振られ、戸惑いながらも返事をする。
「君にお願いがあるんだ」
俺が無理そうだから、花見月に標的を代えたらしい。花見月の性格を考えれば、何でもほいほい引き受けそうだ。絶対碌な話じゃない。やめとけ。
「ちょっと払い屋の会合に潜入してくれないか」
「…はい?」
花見月が思わず頭を上げる。俺の頭の中は、はてなで埋め尽くされていた。いまいち理解できない。払い屋の会合に潜入?それはコンビニに行ってこいとかお使いで頼むようなことではない。下手をすれば間者として処刑されても可笑しくない。
思わず口をはさんだ。
「何言ってるのかわかってるのか。お前…」
「うん。ちょっと行ってきてくれればいいから。準備はこっちでするよ。花見月は見習いとして潜入してくれればいい」
「花見月は俺の使いだ。勝手にされれては困る」
「なら、君も行くといいよ。お供することを禁止しているわけじゃないからね」
花見月の方を見ると、バッチリ目が合った。本人は受けようとも受けずともどちらでもいいらしい。なら、受けない一択だ。首を横に振る。
首を振ったのに…
「分かりました。引き受けます」
「はぁ?」
思わず花見月を見る。再び花見月と目が合って、花見月は首を傾げていた。
「…今どうしようもない諦めて引き受けろって意味の首振りだったんじゃ…」
「誰がそんなこと言ったよ。断れって意味の首振りだ」
静寂が二人の間を包み込む。その間、俺たちは目を合わせていた。お互い目を逸らすことなく。
「じゃあ、花見月よろしくね」
大国主命は、花見月の肩に手をのせる。そして足早に去っていった。
「…もしかしてやった?」
「やったな。自分でやったな」
その後も何とか大国主命と接触しようとするも、誰かと会話していたり、どこかに逃げられたりと完全に避けられていた。花見月と二手に分かれて、挟み撃ちにする作戦に変更し、捕まえに行くも逃げられてしまう。
「あー、逃げられたわ」
気怠げな声が出る。もう面倒臭くなってきた。挟み撃ちをする作戦だったが、肝心の花見月も見失ってしまった。仕方なく、見つかるまでと決めて酒をもらいチビチビと飲み始めた。足も疲れて来たので、近くにあった長椅子に座る。
神々が楽しそうに話しているが、その中に龍神はいなかった。それどころか、先程まで見かけていた有名どころの神が居ない。もうすでに帰ってしまったのだろうか。挨拶でもしておくべきだったかと内省する。
物好き以外近寄ってこない俺の後ろで物音がして、声をかけられた。
「隣、いいかい」
返事をする間もなく、隣にストンと座られた。物好きは疲れたと老人のような台詞を吐く。
「捕まらなかったくせに、今更なんだ」
「あれ鬼ごっこじゃなかったのか。捕まえに来てくれなかったから、自分から来たんだよ」
鬼ごっこじゃねぇと言いながら、用意されていた酒壺から酒を掬い大国主命の猪口に注いだ。それを渡すと大国主命が匂いを味わい、アッサリ飲もうとするので慌てて猪口を奪った。
「毒が入ってるとか思わないのか」
「だって、虚翠之狐御霊之身御が注いだものだろう。毒が入っているはずがない」
一応注ぎながら毒のにおいが無いかは確認したが、何が入っているか分からない。不用心さが桁外れだ。仕方なく、少し飲んで毒がない事を確認すると、残りの酒を捨てて新しく酒を注いだ。並々と酒を入れてすすめると、大国主命は少し口をつけて飲んだ。
「…なんで、花見月なんだ。他の神に頼めばよかっただろ」
「引き受けてくれそうだったから?」
「ほかの神に任せた方が、スムーズに進むぞ。アイツは非道にはなれない」
遠くから走ってくる人影が見える。足をばたつかせながら走ってくる姿は、鈍臭い。
「友達なら聞いてくれるんじゃないか…そういう風に思って」
「天下の大国主命様の話ならだれでも聞くだろう」
酒に反射する己の顔は、どうしてか笑っていた。大国主命は乾いた笑いを漏らすと、猪口に残る酒を飲んだ。
「ごちそうさま。またね、虚翠」
「宇迦様によろしく伝えておいてくれ」
「分かった」
背後にあった気配が消え、空の猪口が残される。片付けをしないとは、大した神様だ。
駆けつけてきた花見月が、大国主命が座わっていた場所を指差した。
「そ、そこに、大国主命が…気付いて…なかったのか」
「全然知らなかった。もっと早く言ってくれれば捕まえられたかもしれないな」
「そのために走ってきたんだろ…ったく、もう少しだったのに」
隣に座るように促すと、花見月は言われるがままに座った。そして例の名水を飲み始める。お代わりを注ぎ、二杯飲み干したところでネタばらしをすると、花見月は震える手掴んだコップに注がれている名水を見るのだった。
狐と会合の初日
そんなことがあって、さっさと帰るつもりが寄り道をすることになった。今回の会合は運よく出雲で行われているらしい。絶対仕組まれたことだろう。
「やっぱ帰らないか。今なら間に合うぞ」
「もう引き受けたし仕方ない…というか連いてこなくてもいいと思う。俺が頼まれたことだし」
最初は連いていくつもりはなかった。しかしなんだかんだと考えているうちに、出発の時間になって連いてきてしまったのだ。帰ろうとそこの電柱までを繰り返して、ここまで来た。ここまで来たら言った方が良いと腹をくくっている。
「安心しろ、手出しはしない。後ろで面白いことは無いか探しているだけだ」
「そんなことをする暇があるなら、中に入るのを手伝えよ」
ブツブツと言いながら、払い屋どもが集まる会場に向かう準備をする。大国主命から渡された包みの中には、それらしい衣装と顔隠しの布面、何かの札等の道具が入っていた。衣装と布面をつけると、一般人の要素を残しながら払い屋らしさを演出していた。布面をとると、服に着られた一般人に戻るのだから不思議である。
包みの底の方にはまだ衣装が入っていて、花見月のものにしてはサイズが大きすぎる。つまり俺の分だろう。何と用意周到なこと。感謝はしないが、渋々着替えることにした。
「可笑しくないか?」
「ああ。馬子にも衣装って思うぐらいだ」
「根に持ってるのか。根深いな」
花見月の懐に何かの札たちをしまって、出立する準備はできた。後は、払い屋に混じるだけである。
会場は×森の奥にある館で行われるらしい。その辺の情報を掴んでいるなら自分で行けばいいのにと思わなくもないが、事情があるのだろうと思う。無かったら許せない。
館近くまでは大国主命の神使に飛ばしてもらった。何度見てもすごいものだった。目の前に水蒸気が噴き出したかと思うと、次の瞬間には到着しているのだ。大国主命よりも神使に世話になっている。
「ここから先は真っ直ぐでいいんだよな」
神使に聞くと、首を縦に振る。大国主命の神使は口を利かないと評判である。理由は様々あると言われているが、ただ単に無口なだけだと勝手に思っている。神使と話せないからといって、困ることは無い。主である大国主命がお喋りなため、特段話す必要もないのだろう。
花見月と共に不自然なほど続く階段を上っていく。すれ違う人もおらず、辺りは静まり返っていた。花見月はきょろきょろと周りを見渡して危なっかしかった。
遠くから茂みを切り分ける音がした。その音は近づいてくる。
「遅刻だぞ!貴様ら何を考えている!」
そして急に何か飛び出して来た。咄嗟に花見月を後ろに庇い、前に出る。そこにいたのは真っ赤な髪を頭の頂から一つに結い下ろした女…いや、多分男だった。その男は、俺と花見月の二人を交互に見つめる。
「見ない顔だな。遅刻を問い詰めたいところではあるが、初めてなら仕方ないな。今回は見逃してやる。今度から気をつけろよ」
男は、一人で勝手に納得して話を進めた。何も言わずに済んで楽ではあるが、話しを聞いた方が良い。
「…偉そうだな」
「お前が言えたことじゃないけどな」
思わずつぶやくと、花見月に肘で押された。こんなヤツと同等にされるとは心外である。ゴチャゴチャ言い合いながらも、こっちに来いと進んでいく男の後ろを散歩程遅れて歩いて行った。
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