ボウイが青春を過ごしたブロムリー
2016年10月3日
今日は朝から近所のホットヨガに行くと決めている。
昨日の夜はこのホットヨガスタジオのHPを見ながら眠ってしまった。
なんだか12時間飛行機に揺られてから体の重たさが抜けないのでヨガでなんとかしようと思う。そしてヨガが終わったら、ボウイが小学校時代から高校時代を過ごした実家があった街ブロムリーと、一人目の妻アンジーと結婚し息子ゾーイを育て、70年代後半にロンドンを離れるまで暮らしていたベッケナムへ行こう。
ホットヨガは汗を大量にかくので、化粧をして行けないし終わってからシャワーを浴びないととてもじゃないが出かけられない。だから今はサッとシャワーを浴びるだけで出かけよう。ホームページに、レッスン開始2時間前からは何も食べず、水を1.5リットル飲んでおいたほうが良い。と書いてあった。食べないことは出来るが、水を1.5リットルはちょっと無理。1リットル弱を頑張って飲み、いざ出発。ヨガマットが有料かもしれないので、野田秀樹のヨガマットを勝手に持ち出そう。そんなことで怒る人はそもそも私に家など貸さないはずだ。お借りします。
ロンドン到着日からずっと気になっていたスタジオなので楽しみだ。受付のお姉さんがとても可愛くて明るくて優しい。スタジオはとても広くて日当たりも良い。レッスン開始20分前。まだ人が3人しかいない。この広さでスペースも充分でヨガをするのはとても気持ちが良いだろう。と思っていたら、レッスン開始直前になって続々と人が入ってきた。あっという間に満員だ。老若男女様々である。
日本のヨガスタジオは大体20~40代前半の女性ばかりで、男性は少し入りにくい印象があるが、こちらでは全くそんなことはないらしい。筋肉隆々の黒人男性のヨガ姿はなんとも迫力満点な美しさだ。見とれていたら「ルイコサン、自分を見て!」と注意されてしまった。そりゃそうだ。ヨガは自分と向き合うものなのに筋肉隆々に見とれているアホな日本人になってしまった。
きつい。驚いた。日本のヨガと全然違う。もはやヨガというよりストレッチと筋トレを交互にやる新しいスポーツだ。しかも90分もある。ホットヨガで弱音を吐いたことがない私でもさすがに頭がボーっとしてきた。
そして気づいたらレッスンが終わっていた。今まで経験してきたヨガは最後のほうにシャバーサナという床に横になり、心身共に落ち着かせ、自分の呼吸と内面に集中する時間があるのだが、ここのヨガはストレッチと筋トレを交互に行っていき、盛り上がってきたところで突然終わった。これはヨガなのだろうか…?しかしとても気持ちが良かったので良しとしよう。
快晴の秋の空がとても清々しい。最高だ。
昨日、ボウイの出生地へ赴き、彼が生きていたことを実感してしまったおかげで彼が死んでしまったことを実感してしまい、彼が亡くなってから一度もそんなことはなかったのに、喪に付した気分になってしまっていたのがさっぱりと解消された。
こんな時、私は身体を動かすことが好きで良かったと心から思う。あまり身体を動かすことが日常的でない人達は大丈夫なのだろうかと心配になるくらいだ。心と身体は繋がっているのだと実感する。だから私は身体を使った表現であるダンスや芝居は真実に近いと思っているのだが、ボウイ並びにミュージシャンの方々が生業としている音楽というものも身体を使うことだよな、なんてことを考え出したら、そもそも身体を使わない表現など存在するのかという疑問に行き当たった。
身体不在の存在が有り得ないのだから、表現は必ず身体を通して行われる。言葉を話すにしろ、感情によって瞬きのタイミングが変わったり、そんなことも身体表現と言える。
そんな事を考えながら昨日と違うカフェに寄ってカフェオレを飲みながらチョークファームの駅へ向かう。今日向かうブロムリー地区というのはロンドン中心部からは離れているし、普通観光客は用がないであろう住宅街、分かりやすく表せば「田舎」だ。国鉄というものに乗らなくてはいけない。これがなかなか分かりにくいのだ。ホームが沢山ある。しかし、なんとか間違えずに電車に乗ることができた。
ボウイが小学校から高校時代を過ごしたという街、ブロムリー。最寄駅は
Sundridge Park駅。この駅は物凄くノスタルジックだ。なんだここは。まるでピーターラビットが出てきそうな景色である。
Sundridge Park駅
人が全然いない。でも怖くない。“物騒”という単語はこの街の辞書には載っていない。そんな空気が流れている。ブロムリーという地区は治安がとても良いらしく、子育てに向いているらしい。ボウイの、グラムロックという煌びやで艶やかな表現をしていながらもどこか育ちの良さや品の良さが漂う雰囲気はこんな環境で幼少期から思春期を過ごしたことが影響しているのだろう。
ボウイの実家があった場所は駅から歩いてすぐ。この街には家しかない。街というより村な雰囲気だ。ボウイの家も周りの家も三匹の子ブタの三匹目が一生懸命レンガで作ったような可愛いらしい家。
インターネットで実家の写真を見たが実際目の前に立つと、もう今となっては他の人が普通に暮らしている家なわけで、私はそんなに踏み込んで写真を撮ることは出来なかった。
ボウイが小学校~高校時代を過ごした実家があった場所
さてここから、ボウイが最初の妻アンジーとその息子ゾーイ(今は自ら改名し、ダンカン・ジョーンズという映画監督になっている)が3人で暮らし、地下には音楽スタジオも完備され、アルバム『世界を売った男』のジャケット写真の現場としても知られる【ハドンホール】という名の家に向かう。バスを2つ乗り継がなければいけない。今まで全く人の気配がなかったこの街だが、バス停の周りには人が少しいる。みんな学生だ。少女漫画でみたような女子高校生が私を二度見した。なんでこんなところに日本人が?とでも言いたげな顔で。なるほど今でも、学生がいるような家庭が住みやすい環境なのだろう。バスが来た。私は外国でバスに乗るのはこれが初めてだ。まず336号線でWhitefoot Lane Bromley Roadまで行く。バスが渋滞に巻き込まれてしまった。あと少しなのに。
もどかしくなってしまい、一駅前で降りて歩くことにする。降りてみるとこの町並みがまた良くて、道路に沿って大きなアパートのようにも見えるほど一軒家がタイトに並んでいる。至るところに教会があって、この教会がこじんまりとしていて存在が厚かましくないので見ているとなんとも幸せな気持ちになる。教会の中庭を横切って次のバス停への近道をする。そういえばボウイは幼少期にブロムリーの聖メアリー教会で幼なじみのジョージ•アンダーウッドと共に聖歌隊に入っていたのだが、その聖メアリー教会はどこにあるのだろうか。探してみたのだが、ロンドンの中に聖メアリー教会と言う名前の教会は沢山あるし、ブロムリーに限定して探してみたら見つからなかったので諦めてしまった。分かったらミサにでも行ってみたいものだ。
バス停に着いた。今度は54号線でStumps Hill Laneを目指す。バスはあと15分くらい来ない。それにしてもこの景色は言いようのない魅力がある。普段東京で雑多な景色を見て来ているせいか、とても落ち着く。日本でも田舎のほうに行くほど“日本らしさ”のようなものを感じることが多い。日本文化の日本家屋や畑仕事の習慣などは歴史を感じる。それがロンドンでも同じなのだろう。中心部にいる時よりも“ロンドンらしさ”を感じる。もっとも私は“ロンドンらしさ”たるものが何かは知らないが、自分の中の“ロンドンらしさ”を感じている。
バスが来た。ここから四駅目で到着する。実家から程近いところに自宅を持つとはボウイもなかなか普通の家族想いな男だな。到着した場所は団地だ。70年代といったらボウイが全盛期の頃で【ハドンホール】の地下のスタジオではミック・ジャガーやイギー・ポップ、ルー・リードなど当時の名だたるロックミュージシャンが集まりセッションしたりレコーディングしたり騒いだりしていたというのだから、もっと騒々しかったり、もしくは近隣を気にすることのないような広大な土地を想像していたのだが、集団住宅街とでもいおうか、ここは3人から4人家族が生活するのにはちょうど良すぎるほどの団地だ。派手な表向きとは反対に大分生活臭のする場所に住んでいたのかボウイ。急に身近な人に思えてきた。
本当にここに住んでいたのかしら、何か間違った情報で私は全然知らない人の家を見に来ているのではないかしら。せっかく来たのだから、とりあえず写真は撮っておこう。パシャリ。
ここだ。写真のデータを見て分かった。確かにここだ。画面に収まったその家は私がずっと雑誌や本で見て来た【ボウイのハドンホール】だ。
涙が溢れる。ボウイはここにいたんだ。この木を眺めていたのかしら。このバス停でバスを待ったりしたのかしら。この道をゾーイを連れて歩いたのかしら。ミック、イギー、ルー、アンジー、ゾーイ、長い時間と沢山の思い出が詰まったこの家を出て行くときどんな決意があったのかしら。
この家を出てロンドンを去った。ここがボウイがロンドンで暮らした最後の場所なんだ。空が青いなぁ。当時と今では見えている空の広さは変わってしまったのかしら。
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