「津波てんでんこ」の誤解①
私は、近所の中学校で行われた「クロスロード」を見学したことがある。
「クロスロード」は、グループになり、災害の内容を問題として出題し、
出題された行動をするかしないかを決めたあと、全員で発表し、
意見を出し話し合うというものである。
基本的には正解というものはない。
人それぞれに考え方があるからだ。
その中で出題された問題に、
「あなたは今家にいます。15分後に津波が到達すると防災無線で
連絡がありました。隣の家にはお年寄りの方が住んでいます。
様子を見に行きますか?」
というものがあった。
中学生の答えは「行かない」が圧倒的に多く、その理由は
「様子を見に行って、その間に津波が来たら助からないから」
という人がかなり多かった。
解説として参加していた地域の防災担当の方が、「津波てんでんこ」を例として話をまとめていたが、これも、「津波てんでんこ」の歴史を考えると実は難しい問題なのではないかと私は感じた。
兵庫県立大学・環境人間学部・大学院環境人間学研究科
木村玲欧教授の著書『災害・防災の心理学』において、
故・山下文男氏の著書『津波てんでんこ』の内容が
引用されている。
”今日の「災害時要援護者の問題」、体の不自由なお年寄りや障がい者の避難の問題はその家庭まかせにするのではなく、地域・集落全体の問題として捉えることが大切である。”
”自主防災組織などで手助けする人々をリスト化し、誰が誰の避難をどのように手助けするかを考え、必要資器材を整備するなど、日頃からの取り決めと準備・訓練が必要である。”
”「自分の命は自分で守る」という考え方を基本とした「自分たちの地域は自分たちで守る」という防災思想の実践である。”
”ただ単に漠然と「みんなで手助けしなければ……」というぼんやりした意識が、いざという時にかえって混乱を招き、共倒れを増やすことにつながる。”
つまり、「自分が助かるために他の人のことは放っておいて逃げる」ことは「津波てんでんこ」の考え方としては足りないのである。
中学生に「津波てんでんこ」の意味を教える場合、
”日頃からの災害時要支援者の避難の手助けと準備・訓練の必要性”や、
”「自分たちの地域は自分たちで守る」という防災思想の大切さ”も
付け加える必要性があると私は考える。
次回は、「津波てんでんこ」の意味を論文から読み解き、掘り下げていきたいと思う。