「津波てんでんこ」の誤解④

第4の意味 生存者の自責感の低減
(亡くなった人からのメッセージ)

歴史の中で起こった巨大津波は、何度も多くの人命を奪い、財産を破壊してきた。
日本では特に、「てんでんこ」が誕生する舞台となった三陸地方が繰り返しその憂き目に遭っている。
それでも、多くの人が危機的な状況を生き抜き、「てんでんこ」を誕生させ、語り継いできたのである。

”そうだとすれば、「てんでんこ」は、津波来襲という緊急時に人命を守る智慧・教えであると同時に、大災害という悲劇の後を生きていこうとする人びとに対しても、何らかのメッセージを持っているはずである。”
”実際、筆者の見るところ、「てんでんこ」は、緊急時のみならず、災害後を生きる人びとや地域社会に対して独特の心理的作用を生む一面、すなわち、第4の意味をもっている。”

論文の筆者である矢守氏は、次のような「仮想的なケース」を提示している。

「仮想的なケース」
・幼い孫とその祖母を含む家族が津波に襲われた。
・一緒に暮らしていた孫を含む家族は、幸い津波を
 振り切って高台に避難することができた。
・しかし、別居していた祖母は、不幸にして間に合わず
 津波の犠牲者となってしまう。

この孫が、「おばあちゃんは、常々、津波の時はてんでんこだよと繰り返していた」という形で祖母の死を振り返った場合を考える。
いくら災害前に「私もてんでんこするし、お前も絶対てんでんこするんだよ」と言われていたからと言って、祖母を亡くした悲しみや苦しみを克服できるわけではない。
しかし、「てんでんこの約束=てんでんこなのだから、祖母を救いに行くことは望ましくないし、祖母もそれを期待していない」という心理的作用を通じて、孫の自責の念をわずかであれ緩和することも事実であろう。

このことの重要性は、家族や親族などを災害で亡くした遺族が、長きにわたって独特の自責の念に苦しめられることを考えてみればよくわかるだろう。
たとえば、阪神・淡路大震災の被災者が結成した語り部グループで活動を共にした研究者が、「トラウマ」に関して指摘していることを挙げてみる。

”災害の遺族は、被災から15年以上を経てもなお、たとえば「もっと丈夫な家に住んでおけば」「自分がもう少し早く起きていれば」「もう一泊していけなどと言わなければ」など、亡くなった遺族に自分が何ごとかをなしえた可能性、すなわち、自分の力で大切な他者の死を回避しえた可能性をベースにした自責の念に、多かれ少なかれ苛まれ続けている。”

被災のトラウマとは、悲惨な出来事の体験自体に直接由来するものではなく、そうした出来事の中を生き延びたという体験の特異性に由来している、という。

「どうして、あなたじゃなくて私が生き延びたのか」
「どうして、私ではなくあなたが死んでしまったのか」
「私にはそれに対して責任があるのではないのか」

被災者はこの答えのない問いによって苦しめられ続けるのである。

前述した「仮想的なケース」でも、上記の「生き延びたことへの自責の念」が発生する状況に陥る可能性はある。

「おばあちゃんは私の助けを待っていたのではないか」
「おばあちゃんを救うことができたのではないか」

という感覚を、この孫が強く抱く場合がそれである。

しかも、「被災のトラウマは長期にわたる」旨は指摘されている通りであり、この孫は、そうした感情に長きにわたり苛まれる可能性もあるのである。

以上を踏まえれば、「てんでんこ」が災害後にもたらす被災者への心理的作用、すなわち、「『自分は生還したが大切な他者を救えなかったこと』への自責の念」を軽減する作用を持つことは明らかであろう。
また、この作用は個人だけではなく、コミュニティ単位にも及ぶと思われる。
つまり「てんでんこの精神的作用」は、被災したコミュニティ(集落)にも作用し、「もっとなすべきことがあったはず」という自罰的な感情から解放する働きがある。
そして、みんなが一致団結してコミュニティの再起を目指し、新しい生活と集落を作り上げていくための態勢を整えるための知恵としても、「てんでんこ」は機能してきたと思われる。

矢守氏の論文には、故・山下文男氏の父親のエピソードと「てんでんこのメッセージ」が記してある。
是非原文を読んでもらいたい。

日頃「てんでんこ」をモットーとしている人は、たとえ亡くなったとしても、ただ亡くなったわけではなく、「てんでんこをしながら大切な他者と共に生き延びよう」として「力及ばず亡くなった」のである。
そこには「生き延びた大切な他者への許しと励まし」のメッセージがきっとあるはずだ。

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