「津波てんでんこ」の誤解③
第3の意味 相互信頼の事前醸成
第2の意味も第1の意味と同様に、緊急の避難の局面において「てんでんこ」が発揮する機能に関わるものであるが、第3の意味である「相互信頼の事前醸成」は、その名の通り、災害が起こる前、つまり「準備期(日常期)」に関係するものである。
それは、避難の本番で「てんでんこ」を行う前に、とある前提をクリアしている必要がある、というものである。
”実際の避難時に「てんでんこ」が有効に機能するためには、ある重要な前提条件が事前に満たされている必要があるからである。”
”その前提条件とは、「てんでんこ」しようとする当人にとって大切な他者――当人がもっとも助かってほしいと願っている人(人たち)もまた、確実に「てんでんこ」するであろう、という信頼である。”
つまり、例を挙げるなら、
津波の危険を感じた時に、
親は、「子どもも『てんでんこ』してくれている」と
信頼していなければ、実際に避難するのが難しくなるだろう。
また、同じような状況で、
子どもが、「親も『てんでんこ』してくれている」と
信頼していなければ、また同じような状態になるだろう。
「てんでんこ」が有効に機能するための信頼関係について紹介しよう。
①あなたが「てんでんこ」することを、私は信じている。
(そうでないと、私も「てんでんこ」できない)
②私が「てんでんこ」することを、あなたは信じている。
(そうでないと、あなたは「てんでんこ」できない)
③「あなたが『てんでんこ』することを、私は信じている」(上記①)
と、あなたは信じている。
(だから、2人とも安心して「てんでんこ」できる)
④「私が『てんでんこ』することを、あなたは信じている」(上記②)
と、私は信じている。
(だから、2人とも安心して「てんでんこ」できる)
「てんでんこ」の効果的な実現の前提条件としては、ここで言う相互信頼が、家族・隣近所・あるいは地域社会で、多方面に、多段階で成立していることである。
東日本大震災で多くの人々が避難に成功した釜石市において、群馬大学教授・片田敏孝氏は事前の防災教育で次のように指導していたという。
「いざ津波が襲来するかもしれない、というときに、本当に家族のことを放っておいて、自分一人で避難することができるでしょうか?
多くの場合、不可能ではないでしょうか。…(中略)…
しかし、それでは先人が危惧したように、一家全滅してしまうのです。
つまり、『てんでんこ』の意味するところは、いざというときにてんでばらばらに避難することができるように、日頃から家族で津波避難の方法を相談しておき、
『もし家族が別々の場所にいるときに津波が襲来しても、それぞれがちゃんと避難する』という信頼関係を構築しておくこと」
(群馬大学広域首都圏防災研究センター、2011)
これを踏まえ、津波防災教育にて子どもの保護者に対して、
「子どもには一人でも避難することができる知恵を持たせるための教育をしっかり行うので、いざというときには子どものことを信用して、保護者の方々もちゃんと避難してほしい」
というメッセージを発信していたという。
上記のように相互信頼を醸成するのを促すことが、日常時における「てんでんこ」の本質の一つだと言える。
ちなみに、大切な他者との信頼関係が構築できずに亡くなった事例というものが存在する。
ウェザーニュース(2011)が行った津波避難調査を参照したものである。
本調査は、同社が展開するインターネットや携帯型端末のサービス利用者を対象に、2011年5月18日~6月12日に実施されたものである。
回答者は、北海道・青森県・岩手県・宮城県・福島県・茨城県・千葉県の1道6県で被災された方で、回答総数は5296件である(矢守ら、2011)。
本調査に盛り込まれたのは、パート1では回答者に自分自身に関する回答を求めるものであり、パート2では「身近でお亡くなりになった方の状況」について尋ねるものであった。
回答者(生存者)自身に関する回答は3298件、亡くなった方に関する(回答者の)回答は1998件である。
この調査の中で注目すべきところは、「避難場所から再び危険な場所へ再移動したかどうか」という質問に対して、「再移動した」が、
生存者(回答者)……23%
亡くなった方(に関する生存者の回答)……60%
となった点である。
そして、亡くなった方が「なぜ再び危険な場所へ移動したか」という質問に対して、生存者による回答の第1位は、
「家族を探しに」(31%)であった。
つまり、亡くなった方は生存者よりもはるかに多く危険な場所へ再び戻っており、その理由は大切な他者への安否の懸念であったということが推定される。
もうひとつ、中央防災会議(2011c)の調査(回答総数870人)において、同様の傾向を示すデータがとれたので紹介しよう。
「揺れがおさまった直後に避難しなかった人びと(何らかの行動をすませて避難した人びと・用事後避難群、267人)」および「何らかの行動中に津波が迫る中で避難した人びと(切迫避難群の94人)」に、「すぐ避難しなかった理由」を質問したところ、以下のような回答を得ている。
1位「自宅に戻ったから」(22%)
2位「家族を探しに行ったり、迎えに行ったりしたから」(21%)
3位「家族の安否を確認していたから」(13%)
4位「過去の地震でも津波が来なかったから」(11%)
5位「自身で散乱した物の片付けをしていたから」(10%)
6位「様子を見てからでも大丈夫だと思ったから」(9%)
〃 「津波のことは考えつかなかったから」(9%)
つまり、「家族の安否」を理由にすぐに避難しなかった人々が上位を占めているという結果が出たのである。
論文内の言葉で言えば、
”すなわち、即座に避難しなかった(あるいは、できなかった)のは、津波の危険の過小評価よりも、大切な他者に対する懸念(別言すれば、大切な他者の避難に対する信頼の低さ)からであることが、ここでも示唆されている。”
上記の調査結果を踏まえ、中央防災会議(2011c)は、「『家族を探す』『自宅へ戻る』といった行動が、迅速な避難行動を妨げる要因になっている。この要因を減ずることが被害軽減に結びつく」と指摘している。
そしてここから、てんでんこの極意は決定的なものとなっていく。
”「てんでんこ」の極意は、単に、「そのとき」のふるまいにのみあるのではなく、関係者が日常的にどのような信頼関係をつくっているかにもかかっている。
すなわち、親と子、教員(学校)と保護者(家庭)、職場(雇用者)と従業員の家族などの間で、即時避難に関する相互信頼を醸成しておくこと”
上記の引用の内容が、「てんでんこ」の第3の意味なのである。
ちなみに、「てんでんこ」には避難することが困難であろうと考えられる人々に関する問題が残っているが、この問題については後述する。