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東京国立博物館!本館とあの墓標・・・!


今年は国立博物館年パスがあることと、夏の東京仕事は昼からあきそうな日が何日かあるので、これを機に江戸上野の東博(東京国立博物館)に行こうと決意しました。私は近畿の速度と密度で育っているので、東京はあちこち行くのにいちいち勇気がいります。

奈良博と同じ、片山東熊 設計の、表慶館。
11月にはキティ展をやるらしいですよ?


この日は平日の午後だったからか、来館者の8割は外国籍。

奈良公園は鹿🦌がいますが、上野公園はパンダとかいうのを代表に、動物まで多国籍にいっぱいいるらしい。


羊までおるよ!六甲山でもないのに!


そうそう、力強く言いたいッッ
 上野は三重県の地名やに!!

徳川が鬼門方角に慄いて上野の地名(とか寛永寺とか東照宮)を江戸城東北においたんよね。伊賀越の恩とか御庭番の服部の出身地とかで加護を感じる名前なんよね。で、なんで三重県側が「伊賀上野」って言わされるん。「江戸上野」とこそ言うべきで「上野」は三重県の地名や。ついでになんで西大寺も「大和」を前につけさせられるん。「半蔵門」やって服部半蔵由来ですよ?江戸の治安は三重の兵(つわもの)と忍(しのび)と分かちがたいはずやけど。


あと、本文と全然関係ありませんけど、いま

推し飛鳥人総選挙中



この選挙の存在を拡散したいです。




とりあえず言いたいことはちょっと言っておいてから、本館に入ります。

【仏さま】

文殊菩薩騎獅像 と 侍者 「渡海文殊」 
鎌倉時代 康円作 興福寺勧学院

仏陀波利三蔵。賢そう。
菩薩を見上げる善財童子。


綱を引く宇蘭像。
後ろに大聖老人。


戦隊モノのようや。



あ!また、四天王が邪鬼を踏んどる。


「踏み倒されたら 踏みじられたら 答えはそこ止まりだろうか
 光へ翔び去る 翼の羽音を 地べたで聞きながら~」

中島みゆきの「倒木の敗者復活戦」の歌詞が脳内でまわります。


なんか、頑張ってもらいたい。








【蔵王権現】
今回、観たかったものの一つが吉野の蔵王権現シリーズ。
修験道の開祖、役行者が感得したという尊像。
(奈良博のは、撮影不可。)


山からノリノリキレキレで降りてくる蔵王権現!


すごい身体能力ではないか?


トレイルランナーと修験道は通じるものがある。






【アイヌ】
文字がないので、わからないことも多いアイヌの歴史ですが、文字がないことと技術や文化がないことは、また別のお話。

アクセサリーが重そうなのが気になります。


デザインは素敵ですが・・・
これ、首から下げたら重くない?
重くないんですか?


いま、サスティナブルだの、SDGsだの、外来語で目標掲げてるんだかやらされてるんだかしてますが、アイヌってずっと共存も循環も持続もやってきてたんでは?アイヌだけでなく、そういう集団や地域っていくつかある(あった)と思ってます。







【サムライ】

ヒカリモノ!!

手掻包永(てがいかねなが) 鎌倉時代
大和国の名工です。
反りは浅め。



私、刃物すきなんですよ。
ってこれちょっと聞きようによってはただの危険な人ですけども。



くまちゃん鎧。

熊毛具足。
耳が!ついとるよ!!くまちゃん!!
熊毛だったら梅雨時とか真夏とかどうすんの、戦場行く前に熱中症になるよ!


後ろもくまちゃんや!




【遮光器土偶】
本館で脳が受容量を超えました。平成館は埴輪とかいっぱいあったんですけどアイドル土偶だけみて帰りました。

教科書にもいるあれ。
横から見るのも違う趣。





帰路、東博を出て公園の反対側に西郷隆盛像があるんですが、それは置いといて・・・私が気になるのは、

【彰義隊の墓】
1868年 上野戦争。これは江戸上野で起こった戊辰の戦いのひとつ。
長州の大村益次郎の新政府軍 VS 一橋家臣団を中心とした幕軍
佐賀藩が不忍池の向こうからアームストロング砲で攻撃してきて、彰義隊はほぼ壊滅。戊辰戦争は、北越、会津、箱館へと北上してゆくのです。

十五代将軍徳川慶喜の助命嘆願のために結成された彰義隊。

上野松坂屋の二階に新政府軍が本営を構えました。

松阪屋も名前のとおり、三重県発祥の呉服商。
(三井も三重県発祥の質屋の高利貸。)

ここで合掌。


薩摩藩の西郷隆盛像の陰になるようなところに、静かに佇んでいます。

私は西郷隆盛もあんな見た目ではないと思ってますけども。犬の散歩中のあの像の見た目のひとに、薩摩隼人が心酔して命かけるとは思えませんが?

「賊軍」であったために彰義隊の文字はなく、
「戦死之墓」とあるのみ。



しかし
広いわ東博も公園も・・・
分ければ結構見れるかなーと思ってましたがまだ全然無理ですね。
また都合つけて来よう🦌


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