春の強い風 されど 春風不度 とか。
黄河遠上白雲間
一片孤城萬仭山
羌笛何須怨楊柳
春風不度玉門關
こうがとおくのぼる はくうんのかん
いっぺんのこじよう ばんじんのやま
きょうてきいずくんぞ ようりゅうをうらむをもちいん
しゅんぷうわたらず ぎよくもんかん
黄河を遠く離れた西域の荒涼たる土地で
遠く聞こえる楊柳を恨む笛の音
を聞きながら、玉門関を守る兵。
王之渙の涼州詞です。
結句は
「春光不過」「しゅんこうすぎず」
としていることもありますが、私としては、やはり春は強い風。
「はるかぜわたらず」
ともしたくない。
やはり「しゅんぷう」と読みたい。
そよそよ穏やかなはるかぜでは「吹风」。
ではなくて「刮风」のしゅんぷうこそが大陸の春だと思います。
黄砂とともに巻き上がる、乾いた強風がいいんですよ。
※「風がふく」は日本語ではこの一通りですが、中国語では「そよそよ」と「ごうごう」では動詞から違うのです。
涼州詞は王翰もあるし
「葡 萄 美 酒 夜 光 杯
欲 飲 琵 琶 馬 上 催
酔 臥 沙 場 君 莫 笑
古 来 征 戦 幾 人 回」
ぶどうのびしゅ やこうのはい
のまんとほっすれども びわばじょうにもよおす
よってさじょうにふす きみわらうことなかれ
こらいせいせん いくにんかえる
玉門関といえば庾 信の
「玉關道路遠
金陵信使疏
獨下千行涙
開君萬里書」
ぎょくかん どうろとおく
きんりょうしんしまれなり
ひとり せんぎょうのなみだをくだし
きみがばんりのしょをひらく
を連想できます。涼州 玉門関。そういうところか・・・!!
私のために書いてくれましたか・・・(震)?というような私の好きな要素だけで構成されている高村薫デビュー小説「我が手に拳銃を」。
ここでも春の強い風の中、湿度の低いストーリーが進行します。
(これ、重版しないようですね・・・文庫化で改題の「李鴎」は湿度高くなってちょっと別物になってしまいます・・・)
この小説、さりげなく
「絶望する必要はない。風が吹いたら、白雲一片去悠悠よ」
はくうんいっぺん さってゆうゆうたり。
と張若虚「春江花月夜」の一句がなんの説明もなくさらっと台詞としてでてくるのです。こういうのがクールです。
この句、小説の中に出てこなかったけど後に続くのは
「青楓浦上不勝愁」
せいふうほじょううれいにたえず。
白い雲は悠々と自由に行ってしまうけれど、
川辺に残る青い楓はただ憂えるしかない。
という句が実は続くんですよね、
この台詞聞かされる相手の心象の一つが、
書かれず、説明されない。
そしてウェットなストーリーにしない、
ただ風が強く吹いている高村薫小説のかんじが大好き。
杜甫の「春帰」、李白の「静夜思」とかもはいってた。素晴らしかった。
私は標準値より機械的に物事を処理する傾向の人間らしいです。情に訴えるような話、忖度や同情の強要を感じると、私はどうにも大きな精神的負担を感じます。しかしそれでも、練り上げられた詩詞や散文、透徹した群像劇、思いもよらない視点や作り方の歌曲や歌劇はただただ感動します!