トラトラトラ🐅猛虎な信貴山
9月の初めの土曜日に信貴山。
信貴山下駅から歩いていきます。
駅前は大雑把な案内地図しかありませんでしたが、見えている山の方向を間違えるわけもないと思い、とりあえず道なりにアスファルトの通りを上りました。
ハイキングコースを出てからも舗装路を暫く上ります。
舗装路になると虫は消えました。
なんで ここ、 信貴山 朝護孫子寺 が虎なのかというと、
聖徳太子が寅年寅日寅の刻に祈願すると、毘沙門天(多聞天)を感得、その加護により見事に物部軍を討伐したぜッ!
ということで寅虎トラ信仰で毘沙門信仰。「和を以て貴しとなす」太子は、しっかり敵を呪って敵を討ち取っています。ここ、ちゃんと教科書で教えてほしい。聖徳太子は蘇我軍で戦ってるて、ちゃんと教えてほしい。
聖徳太子は十人の話を一気に聞き分けられたというけど、
・いろんな人の言い分をちゃんと聞いて沙汰ができた。
・各地の方言や朝鮮半島の言語など、複数聞き取ることができた。
・「多聞天」(毘沙門天)のイメージから派生した後付け。
のどれかが真相だと思ってます。
笛吹エピソード。
信貴山の龍田川で太子が笛吹いてたら山神が出てきて踊りだすとかいう話。雅楽「蘇莫者(そまくしゃ)」にもなってる。西域伝来の雅楽という説もあるけれど、諸説あり。法隆寺聖霊会の奉納舞にもある。「蘇莫者」ということばも西域の帽子を指しているとか、やはり蘇我氏由来の名前だとか・・・
聖徳太子は馬のイメージが強いです。
厩戸皇子で黒駒(愛馬)。
馬に強い関連のある氏族と、海に強い結びつきのある氏族がいる気がするのですが、聖徳太子たちは完全に前者だと思う。
信貴山は、松永久秀を城主とした山城もあったようですが、今は痕跡がほぼありません。
ハイキングコースで小さい虫に襲われたし、すこし大雨とか台風もあったので変な倒木あると困るし、二上山では虻の大群がでた話も聞いたので、山道は回避しました。本日はもともと信貴山下駅往復の予定。来た道を大人しく戻ります。
本堂の「毘沙門天王」の額にムカデがいるのですが、なんでムカデが毘沙門天の使いになったのかよくわからない。正直、眷属神獣シリーズのなかでも、ムカデは選りすぐって有難いかんじがない。ここも虎にしとけばいいのにな?
「毘沙門」+「天王」なのが気になりますね。「天王」と言えば牛頭が想起されます。やはり意図的な「天王」表記でしょうか。
毘沙門天、四方を守る四天王のひとり(柱)でありながら、七福神の構成員でもある。民間の需要に応えるべく、仕事が増えていったようです。
門を出て、橋のあたりの店でうどん食べて下山しました。
なんか橋でバンジーやっとるよ!!
「開運バンジー」・・・?誇大広告やろ!!
太子信仰とは無縁で生きているつもりが、時々すれ違う人生。