わたし妖怪の末裔です。 刀剣 × 十二神将 いざ丸の内!
東京丸の内 明治安田生命館1F 静嘉堂文庫美術館での展示です。
岩崎家が所蔵する美術品の展示館です。
男性を中心に、理屈抜きで刀剣が好きな人は多いと思うのですが、この展示、「刀剣乱舞」なるものとのコラボのためか、平日の午後なのに女性が多かったです・・・「刀剣乱舞」なるものは全くの所掌外にして、どうも今後も関わらない気がします。多分ゲームの名前?よう知らんですすいません。
「曜変天目」 以外撮影可。「曜変天目」というのは、黒茶碗で斑紋に青色の光彩がある茶碗。とても稀少、よって貴重らしい。
自分は打刃物集団の家系です。祖父の代くらいまでは身内でも刃物職人いました。私もこういうのが好きだという感覚を強く受け継いでいます。今回の展示の中には、直接自分の家系と関係のありそうな産地のものはなかったですが、とりあえず面白いです。
さっそく順不同ダイジェストで紹介させていただきますので、よろしくお願いします。
刀にはこうしていちいち丁寧な説明をしてありました。刀剣鑑賞の手引きというビラをいただけるので、それでも復習できました。
で、隻眼一本足巨体の、一本だたらっていう妖怪がいるんですけど、
山の中に住んでて、12月下旬の一本だたらのお休みの時期は、一本だたらが尋常ない勢いで山の中を遊びまくるから、迂闊に山に入ると危ないって話があります。
この妖怪、鍛冶屋集団のことやろ。
たたらを片方の足で踏み続けるから、足が一つだめになり、片目をつぶって火を調整するから、その目が失明する。(片目をつぶってないと、両方の眼が燻られてしまう)
こういうキュプロスだの一本だたらだのいう妖怪の生息地は、製鉄、鍛冶の地域と重なるのです。
要するに、私の祖先はこういう妖怪。
12月に一本だたらがすごい勢いで遊びまわるから危険、というのも、要するに冬至前後は日の入りも早く、危ないから迂闊に山行くな。ということです。麓の祭りも、12月にあるところが少なくない。山に入るなってことですね。
とんぼ兜。とんぼは、前にしか進まないから縁起のいい「勝ち虫」として戦国武将が好んだモチーフです。
しかし私は、うまくいかないことからはさっさと身を引き、勝負を降りる判断とだとか、迅速な方向転換だとかとかのほうを重視します。前進あるのみとか、無策かと。私はいつも非常口と非常階段を速攻確認してます。常に退路の確保は必要だと思いますけどね?
まあ、これは関係ない話で。
火男(ひょっとこ)とか一つ目小僧なんかも、一本だたらの同業者や同郷の妖怪たちです。火男は、まあ妖怪でないかもしれませんが、あれ、にらめっこの結果であんな顔してるわけではなくて、息で火の調整してるんですよ。土蜘蛛なんかも鍛冶屋集団ですね。鉄からこんなに光って鋭いものを作り出す集団に対する畏怖と気味悪さがあるんですね。
「絹の道」があるように「鉄の道」をもって渡来してきたトライ!人であり、従来の土着の民とは習慣や振る舞いに違いがあって、「なんか違う・・・」集団だったということは容易に想像できます。
!でたー!! 鎌倉時代の慶派 木造十二神将ッ!
天目一箇神(あめのまひとつのかみ)なんていう、隻眼の神様もいて、やはりこれは鍛冶の神様。小さい時は近隣にこちらが祭神の神社もありました。片目(場合によっては両目)の失明は職業病ですね。そういえば私の身内にもいますね。鉄砂で呼吸器損傷したりとかもしますね。
一本だたらにしろ、一つ目小僧にしろ、悪事の具体的エピソードに乏しい気がするんですね。土蜘蛛もいわゆる 「まつろわぬ民」で、中央集権的なところから外れて独自にやってた人たち。メインストリームから外れてる人は妖怪扱いであれば、私は今もって妖怪やね。望むところや(笑)。
「童子切」の刀匠の作!!とされていますが、「酒呑童子」を「童子」で略さないほうがいいと思います。何事かと思うではないですか。しかし、平安期の作がこんなにも生き生きしているのが素晴らしい。
まあ、「酒呑童子」だって妖怪でなくて鉱山関係の山の民であったのでしょうが。
土蜘蛛についてのしっかりしたお話はキキさまの記事が素晴らしいので、是非。