🌹薔薇と霊山寺
本日の目的地は奈良市の霊山寺(りょうせんじ)です。
近鉄富雄駅から2K程度の道なので歩いていくことにしました。
川沿い東側は3車線道路。西側は農道か河川管理道路?のようで、事前にちらっと地図で確認したところでは、これを道なりに行けばつくはずです。
ここら地域の水辺は、ガードレールとかないので、ふらふらしてたら容赦なくポチャる。ここら辺、ため池とかも柵なしなので、こどもの自転車練習とかをこういうところでやったら危険かと思われます。
そういえば私や同級生は、自転車練習時に田んぼや畑や浅めの用水路に何度か落ちてた。
川沿いの景色を楽しみながら、20~30分程度で霊山寺。
薔薇園の季節にすべりこみ。
一番の見頃は多分過ぎているのですが、
それでもまだまだ咲いてます。
シベリア抑留を体験した当時の住職が、平和の大切さを伝えるために薔薇園を開園したのです。
本堂の鬼門方角に刺のある木(ヒイラギとか)を植える代わりに、刺のある薔薇を植えたのですね。
「きれいなお花の庭」ってだけではない、意味ある薔薇園。
そもそもこのお寺は、聖武天皇が娘の安倍(称徳天皇)の病気治癒のために建てたお寺。夢枕に立った鼻高仙人(びこうせんにん)のお告げに従ったそうです。
私はこの仙人の名前をこの寺以外で聞いたことないですけど、名前の印象だと近畿や半島とは違う顔立ちの人に思えます。南方か中央アジアの人?
それから、私としては称徳さんの病気内容が気になります。神経症とかノイローゼとかそういうのだと言われていますが、父の聖武天皇は繊細、母の光明子は強靭という印象。この二人の残した文字(筆跡)がそれをものすごく表しています。称徳さんはその両方の気質をしっかりひきついでいいるのでは。道鏡とは世間で醜聞とされているような間柄ではなかったと思うんですね、潔癖で熾烈で、感情の持ち方が強い女性に思うんですね。
で、霊山寺に話を戻して、ここは聖武天皇が行基さんに代参してもらって、開基。
その二年後にインドからきた菩提僊那(ぼだいせんな)が故郷の霊鷲山(りょうじゅさん)に似ているということで霊山寺と名付けましたということです。インド僧ならば「鼻高」族な気がする。
本堂は薔薇の開花時期に合わせて、春と秋に特別開扉があるのですが、中は撮影禁止。
・以前は本尊薬師如来は二十年に一度しか開扉されなかったらしく、状態は保たれている印象。
・南北朝時代の四天王も彩色がかなりはっきりしていて、いつもは奈良博で保存されているものが、特別開扉に合わせて里帰りしているとのこと。
・鎌倉時代の「多聞天」とある像がは色も落ちていて持物が宝塔でなかったのですが、何が決め手で「多聞天」認定になったのだろう?境内のガイドさんに聞いたけれどもわかりませんでした。
・青面金剛(しょうめんこんごう)がよかった。踏みつけられているのはてっきり三尸(さんし)かと思ったら、邪鬼でした。
青面金剛(しょうめんこんごう)、人間の悪行を密告する三尸(さんし)を抑えつけるらしいんですよね。しかし庚申信仰(←三尸の活動する庚申の日は、活動防止のためにみんなで徹夜をする習慣とか)、私は以前からよくわからない。報告されて困るような行状を改めるのではなく、報告を抑え込もうとする信仰。奈良市内だと、ならまちでも庚申堂がありますが、やましいことがありますが、ばれなきゃないのと同じこと!!というテンションでしょうか。なんか徹夜で飲食を楽しむ口実にされている気がしなくも・・・
・・・まあ、ちょっと 庚申信仰の、やましくっても表に出さず、ばれないようにしてやりすごそう!は通じないということなんですね。
私はこういうところで手を合わせていても、ご挨拶するという意味合いで、実はあまり何も祈願していないので、神罪の心配はありません(笑)。
駅からここまでの間にも、いくつか神社はあったのですが、ちょっとこの後の都合もあって今日はこれにて駅に戻ります。
中田さまの記事を参考にさせていただきました。
同じ場所でも、人によって見え方が違ったり・・・
やはり奥之院の看板は気に留まりますよね?
本日も楽しい奈良です。ありがとうございました🦌🌹