函館で、この風景。
函館一泊。観光客がほぼいないところから、定番スポットまで、気になるところに行きました。楽しいです。
箱館→函館と表記が変わったのは明治2年。しばらくその表記は混在していた様子。正直、「箱館」の方が読みやすくないですかね?
さて。港を見たり、密出国記念像を見たりしながら、函館駅からてくてく3Kほど歩いて、市電終点「どつく前」に来ました。
どつく=DOCK 船渠のことです。船作業のための造成地。なので「どつく」でなくて「どっく」の発音ですね。
私は 「どつく」は「しばく」 とほぼ同義語の暴力的制裁の意味をまず想起します。そういう連想をするのは、西側の人だけ?近畿の人だけ?ひょっとして私だけ?
1・弁天台場跡 どつく前駅の目の前。
新選組 箱館戦争 最終決戦地 弁天台場。
土方歳三と榎本武揚は北海道で蝦夷地共和国を設立するものの、箱館戦争で敗れます。土方歳三はこのとき行方不明(死亡ってことらしいですが)。榎本武揚は投獄されるものの、そののちは北海道開拓使になったり大臣を歴任したり東京農大を設立したりしています。こういう明暗の別れ方こそ、明治維新がナニだったのか、考えるところだと思うんですけど。
2・厳島神社 弁天台場跡のすぐ隣。
弁天台場のある弁天町の名前の由来は、こちらの弁財天(市杵島姫命)をお祀りする神社から。海がすぐそこなので、海洋の神様を勧請したということのようです。
3・ロシア領事館 どつく前 と 大町 の駅の間坂の上にあります。
4・山上大神宮(やまのうえだいじんぐう) ロシア領事館の上。
やまのうえ。ほんとに。
ここらで坂をおりて、「末広町」から「五稜郭公園前」へ市電で移動。
函館もオーバーツーリズム気味とのことで、かなりの乗車率。
5・五稜郭
城址公園のようですが、ここは奉行所が置かれていたところ。城は建ったことがありません。
この太鼓櫓を付けたがために、函館港からの艦砲射撃の的に・・・屋根のあたりの紋は徳川の三つ葉葵。箱館戦争後は一時解体されるも、古写真や資料から平成時代に再建。参考になった古写真はフランスの骨董市で売られていたそうな・・・
五稜郭から、市電で「十字街」へ。
6・「あじさい」 市内あちこちにあるラーメン屋。
「特塩」にしました。券売機で先に券を購入するのですが、食べてる最中にものすごく後悔したのは「大盛にすればよかった」ってことです。あとからでもできたのかもしれないんですが、ちょっと勝手がわかりませんでした。次は、はじめから大盛にしてザンギと餃子もつけよう。
7・函館港
泊まったホテル、大浴場のある最上階のラウンジからの風景。
お風呂からの景色も大変良かったです。
縄文遺跡は公共交通機関では難しいのかな?トラピスチヌ修道院に函館山ハイクコース・・・と、まだまだ行きたいところはあるので、また函館は訪れたいところです。いや~、楽しいですね🦌
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