タイの空、地蔵菩薩の慈悲よ降れ

 もう6,7年ほど前になるだろうか、友人と二人でタイへ旅行をしたことがある。

 友人とは小学校からの幼馴染なのだけど、普段遊ぶと言ったらただただ酒を飲むばかり。しかも二人とも酒に溺れるタイプなので、周囲に迷惑をまき散らし、アスファルトに寝ころんだあげく、翌日にはきちんと記憶を無くし、己がしたことを周囲から伝えられ戦々恐々とする。今後、酒は三杯までにしようと誓い合う。そんな繰り返しの日々を分かち合った仲だった。

 そんな友人が、ついに結婚をするという。そのタイミングで、彼から旅行の誘いを受けた。彼は言った。

 「独身生活も、もう終わりだ。振り返れば、お前との思い出は酒でしかなかった。俺はお前と、もっとまともで、建設的な思い出を作りたい。
 海外旅行をしよう! 深酒は無しだ! もう俺には守るべき女性がいるから、絶対に海外でトラブルを起こすわけにはいかない」

 俺は快諾した。ていうか、こいつマジかっけえな。と思った。

 いま一人の自由な青年が、家庭を持つ大人へと変化しつつある。その両の眼は、責任感で燃えていた。マジで大黒柱って感じだ。
 主に金の都合で、旅行先はタイに決まった。飛行機やホテルなど諸々の手配はすべて友人がやってくれた。さすが大黒柱だ。

 そうして、二人でタイへと飛んだ。

 アルコールに溺れない旅行は、とても楽しかった。

 飯は美味いし、でかい仏像はオモロイし、水以外のすべての飲み物――コンビニで買ったペットボトルの緑茶ですら――が激烈な甘さで飲めたものじゃないのもまたオモロイ。酒はバーで数杯と、あとはホテルで少し飲むだけ。バーで頼んだジントニックが約30円で、ここは天国なのかと二人で笑った。

 健全な旅って最高だね。二人はたしかにサワディーだった。

 そうして迎えた最後の宿泊日、俺はホテルから脱走した。

 街は二つの顔を持っている。昼の顔と夜の顔だ。

 昼間には幸せそうなカップルや家族の笑顔で溢れていた街が、夜になると、むせ返るような性と暴力の熱気を漂わせる。まるで交代制のゲームかのように住人はガラッと入れ替わり、日の光で隠されていた何かが姿を現す。その有機的な姿こそが、街にとっての真実なのだ。

 最後の夜、俺は思った。このまま昼の顔しか知らずに、タイという国を離れていいのか? それでタイに行ったと言えるのか? ノー。答えはノーだ。そんなのは、俺の中に燃える社会学的探究心が許さない。  
 考えてみれば飲み過ぎない理由にしたって、そもそも俺が結婚するわけじゃないしな。あれ? でもなんで、あいつは結婚して俺は結婚しないんだ? あっ。誰も結婚してくれないからか……。それならば、俺が一人で酒を飲む分には問題ないのでは? 守るべき相手もいないのでは??

 ていうか、あの30円のジントニックが俺を呼んでいるのでは!?

 俺はシャワーを浴びている友人の扉越しに、「ちょっと出かけてくるわあ」と声をかけ、返事もまたず、部屋入口の横に挿しこまれていたルームキーを手に取って、夜の街へと繰り出した。

 日が沈んでもなお気だるい熱帯夜に、酔っ払いと客引きの喧騒とギラつくネオンの看板。夜のバンコクは、歩いているだけで心が弾んだ。

 何やら、建物に並ぶ行列を発見した。入口には黒人のセキュリティーがいて、チェックを受けた人々が、次々に建物の中へと入っていく。なんだろう? と思った俺は、とりあえず列に並ぶことにした。
 のんきに並んでいたが、いざ自分の番になり、俺はタイ語も英語も全くわからないことを思い出した。当然、セキュリティーが話している内容もさっぱりわからない。金かな? と思い、とりあえず数枚の札を見せたら中に入れた。

 扉を抜けると、そこはストリップ劇場であった

 薄暗い店内にはミラーボールとレーザーの光線が飛び交って、クラブミュージックがガンガンに鳴り響く。中央のステージでは裸の女性がなまめかしく踊り、フロアは音楽に合わせて踊る男と、食い入るようにストリッパーを見つめる男たちでぎゅうぎゅうだった。

 カウンターで酒を頼み、とりあえずフロアの端っこで飲み始めた俺のテンションは、爆上がっていた。性的にではない。むしろ、こんな賑やかな場所で興奮できる神経がわからない。そうでなく、店内の光景が、まるで映画のワンシーンのようだったのだ。
 主人公がフロアの人ごみをかき分けて店の奥へ進むと、静かな一部屋にギャングの幹部たちが座っていて、その視線が一斉に、突然入り込んできた主人公へと注がれる……。そんな犯罪映画が、俺は大好きだった。

 俺は思い出としてこの光景を写真に収めようと、女性と客が写らないように注意して、天井のミラーボールにスマホを向けて、シャッターを押した。するとその瞬間、俺のスマホはピカッ! と強烈な光を放った。

 フラッシュを切り忘れていた。

 どこからともなく、黒服の屈強な男たちが集まってきた。俺は羽交い絞めされたまま連行されて、カウンターに体を押さえつけられた。スマホは奪われ、黒服の一人が俺の右手を掴み、無理やりに指紋認証を解除する。スマホはカウンターの中にいたアロハシャツを着た小柄な男へと渡り、その男が、写真フォルダを確認し始めた。

 この一連はまさに一瞬の出来事で、俺は何がなんだかわからなかった。

 女性を撮っていたわけじゃないんだ! と説明したいが、言語の違いがそれを許さない。俺はひたすらに、「ノー! ノー! ノーガール! ノーピクチャー! ノーガール! ノーピクチャー!」と叫んでいた。
 ていうか書いていて思ったけど、「no girl , no picture」だと「女の子がいないと写真じゃない」みたいな意味になってない? 盗撮魔が開き直って、煽り入れてる感じになってない? 中学レベルの英語すら身につけないと、こんなことになってしまいます。

 当然だが、フォルダには男二人のほのぼのタイ旅行と、拡大されたミラーボールの写真一枚しか存在しない。確認したアロハシャツの一言で、黒服たちは俺の拘束を解いた。アロハシャツはミラーボールの写真だけ削除して、俺の肩を親し気にトントンと叩いた後、スマホを俺の手に戻し、何事もなかったかのように俺を解放した。

 俺はもう精神的ショックでクタクタのボロボロに打ちのめされて、這い出るように、ストリップ劇場を後にした。

 外は平和だった。

 ああ、無事だった……。それどころか、何一つ失わなかった。良かった。本当に良かった……。心臓は早鐘を打つように、いまだバクバクと鳴っていた。

 半ば放心状態で歩いていると、路上で、日本なら小学生ぐらいの少年がサックスを吹いていた。観光客であろう白人が数人立ち止っていて、その演奏を聴いていた。俺はその安全感漂う空気に強く惹かれ、聴衆の一人になった。
 サックスの音色を聴くうちに、まあ、さっきのもいい経験だったかな、とポジティブな俺が復活してきた。なんかさ、あの押さえつけられた感じも映画っぽかったよな。
 少年が演奏を終えた時には俺の心は全快していて、気分良く、空き缶に金を放り込んだ。

 次はどこに行こうかな、と思案していると、突然に、女性に話しかけられた。たぶん20代前半ほどの、背が低く、大きい瞳に、耳にかかった金色の髪。服装はもう忘れたけど、スカートがひどく短かったのは覚えている。

 女性はタイ語やら英語やらで何やら話しているけれど、相変わらず意味はさっぱりわからない。彼女はそんな俺の様子を見て、「いっしょ、行きませんか?」とカタコトの日本語を口にした。

 「わーっ。逆ナンだ! うわーい。異国の地で、逆ナンだー!」

 と、俺は思った。

 誤解してほしくないが、普段の俺はこんなに馬鹿じゃない。酒が入っていたのだ。当然、これは逆ナンじゃない。売春の営業である。しかしこの時の俺は気づいていない。馬鹿だからじゃない。酒が入っているからで、本当はすごく賢いんです。

 俺は手を引かれ、どこへ向かうのかもわからずに、一緒に歩き出した。

 「ぎゃっくナン。ぎゃっくナン」と心をパヤつかせて歩いていると、道脇におかれた祠のようなもの――日本でいえばお地蔵さんが近い存在なのかもしれない――の前で、女性はふと立ち止り、「まってて」と言って、目をつぶり、手を合わせ、祈りだした。
 その姿は、とても自然だった。わざとらしさや作為的なにおいが一切ない。日常にただ祈りがあるだけ、そんな仕草だった。

 俺はそんな彼女の姿を見て、ようやく気付いた。これは逆ナンじゃなくて、風俗的なやつなのでは?
 俺は彼女が祈っているうちに、スマホの翻訳アプリを立ち上げて、誤解していたことと、断りの文面を英語で表示した。戻ってきた彼女にそれを見せると、やっぱり彼女は売春婦で、俺たちは行為用のホテルへ向かっているところだった。

 彼女は少し粘ったが、俺が断り続けると、それならご飯を奢ってくれと言いだした。なんだか申し訳なかったし、俺が店を選んでいいならば、という条件でオッケーした。もう危ない目はごめんだった。

 外国人が多い、路地に面した明るいバーで、固いサンドイッチを食べながらカクテルを飲んだ。彼女はカタコトの日本語、俺はガタゴトの英語で、翻訳アプリに助けられながら、自分たちについて教え合った。

 バーを出たころには俺はすっかり彼女を信用していて、彼女の行きつけだという二軒目の店へと向かっていた。そこは路地裏にあるカフェバーで、入店するとテラス席へ案内された。狭く、安っぽいプラスチック製の白い椅子が二つとテーブルが一つだけ。テラスというより、アパートのベランダで酒を飲んでいる気分だった。

 そこで、日本人についての話になった。彼女は、「にほんのひと、みんなスケベ。ヘンタイだね」と笑っていた。俺は「すみません」と言って真剣な顔で目をつぶり、手を合わせ、彼女に向かってお辞儀をした。彼女は笑ってくれた。よかった。俺も笑った。

 昨今の日本は、相変わらず所得は伸びず、ここ1年ほどは急激な円安もあって、どんどん貧しくなっていく。それは日本にとって(もちろん俺にとっても)最悪なことだけど、逆に言えば外国の――東南アジアやどこかの女性が、「スケベ」や「ヘンタイ」なんて日本語を知らずに済むということでもある。だとしたら、それは、そんなに悪いことでもないのかもしれない。
 いや、そうなったら今度は日本のどこかの女の人が、外国の「スケベ」や「ヘンタイ」にあたる言葉を覚えることになるだけか。結局なにも変わらずに、ただ巡っているだけだ。
 そんなことを、あの時のことを思い出して考える。別に自分も清廉潔白な人間でもないというのに、棚に上げて。おこがましいことだ。

 でもね、と彼女は言った。

 わたし、お金ためてがいこく行く。アメリカか、にほんでもいい。

 だからいまはがんばってる、と彼女は言った。

 俺はそんな彼女と自分とのギャップが恥ずかしくなり、「うらやましい。俺は、やりたいことなんて全然ない。会社もつまらないし」と本音をアプリで伝えた。
 彼女は、言っている意味が本当にわからないようだった。
 なんで、タイに来れるぐらいにお金もあって、やろうと思えば何でもできる立場なのに、そんなにも自由な身なのに、なんで、そんなにも不自由に生きているのか。なんで? なんで?
 というようなことを、ものすごい勢いで言われた。真実すぎて、俺はまともに返せなかった。俺にもわからない、そんな風に答えた気がする。

 長いこと話してしまった。そろそろ帰らなければいけなかった。店を出て、別れ際に「日本に来たら結婚しようね」と約束して、連絡先を交換しタクシーに乗った。

 ホテルへ戻ると、俺の身をとてもとてもとても心配していた友人が待っていた。節約旅行で二人とも回線はスポットwifi頼りにしていたため、スマホも通じない。それでも何とか連絡を取ろうとした友人は、他の旅行者に回線を借りてまで、何度もメッセージを送ってくれていた。

 申し訳なかった。

 しかも、そのホテルはルームキーを抜いたら部屋の電気が切れる仕組みになっていたらしく、友人はシャワー中に突然真っ暗になったあげく、そのまま何時間も暗闇の部屋で過ごしたらしい。

 気の毒すぎ……。マジで申し訳なかった。

 でもそういう設備はほとんどの場合、キーの重みでスイッチを入れてるだけだから、何か適当なものでも挿しとけば電気はついたのに、アホだなあ。との思いも頭によぎったが、さすがに口には出さなかった。さすがにぶん殴られる気がした。

 こんなことをしでかしても、いまだに彼との友人関係は続いている。本当にありがいことだ。俺にできることは、どうか彼と彼の家族に不幸なことが起こりませんように、とせめてものお詫びに祈るだけだ。

 連絡先を交換した女性とは、二週間ほど熱烈なメッセージを送り合って、どちらともなく返事をしなくなり、それきりだ。

 道端でお地蔵さんを見かけると、時折、彼女の祈っている姿を思い出す。俺も手を合わせてみようかな、と頭にちらりとよぎるけど、上手くやれる自信がなくて、実際にしたことは一度もない。


(終わり)

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