ミソジニーなし100%、モブサイコ100というアツい少年漫画
こんにちは!全国400万人の40代女子オタクのみんな~!!(注:日本人女性40代の総数は約800万人だが半分くらいはほんとはオタクなんじゃね?と私が思っているので400万人としました)(あと私が40代オタク女子だからです)私は常々この世の中に遺伝子レベルで組み込まれているミソジニー表現もうイラネ~~~~~~とうんざりしているフィクションオタクです、あなたもそうですよね?!ってテイで進んでいきますのでそうじゃない人は回れ右(懐かしいフレーズだね!)ってことで日々マシな漫画アニメを探しております。見つけました。見つけましたと言っても私は前からこの漫画は好きで、2012年に開始して2017年に完結(今から5年も前に完結!)、アニメ化もシーズン2までされているので、今まで私が気がつかなかったのだ!!!読んでたのに!!見てたのに!!!言語化できなかった!!!この漫画(アニメ)は日本のみならず世界からも何かしらの賞を取っているらしいが、『ミソジニーがマジで皆無』というところを評価していたかどうか私は知らん。知ってたら教えて。というわけでヤベーこの漫画ミソジニーまじないんですけど知ってた???!!!知らんかったら読んでみて!!!!アニメはアニメでまた違う意味ですごいから見て!!!なんで気づかんかったん?っていうのはさ…ホラなんでも「在る」ことには気づけるけど「無い」ことには気づきにくいんよ…「無い」ことは証明できないからだ(証明できないならこのnote意味ねえな)(霊幻の台詞がよぎっただけだから許して)
そういうわけでこれからモブサイコ100というクッッッソ面白い漫画にミソジニーが「無い」ことに感動した私が、「無い」ことの証明を始めるわけだが、「在るとするならこのシーン」とか「在った場合はこう」などと無理矢理提示するしかなく、それすらもできない場合はもう「無い」「とにかく無いんである」と言うしかなくなり、読む意味がなくなる。いたたまれなくなった時点でこのnoteを読むのをやめてモブサイコ100を読み返してくれ~~~~!!!!そして実感してくれ!!!
あとふつうにネタバレするよ!!!
登場人物が女性を不当に下げない
このモブサイコ100という漫画、マジで誰ひとりとして"""女"""を馬鹿にしてないんである。全16巻、スピンオフ1巻中本当に一言も出てこない。「女」という属性でひとくくりにしてネガティブな偏見のある台詞もシーンもない。ふつうはどんな漫画にもあるもんです。どんな漫画にもあるものが一切ない漫画ってすごくない?(誇山の「ブス」発言とモブの「おばさん」発言のふたつだけ気になったので各項で言及します)
まずエクボ。世界中に影響を与え全人類から信仰される神になることを夢見る男の露悪的上級悪霊。……ときたらふつう「女を好きな時に好きなだけ」的な思想・言動がどこかに垣間見えるはずである。無い。マジでない。ひょっとしたら描かれてないだけで、あるのかもしれない(だって無い方がこの社会ではおかしいとされるので)。でもONE先生はそれを『一切描かない』という選択をした。
エクボにミソジニー要素が見つけられないのでこれ以上書きようがないが、あるとするならばここかな…というのをこねくり回した蛇足が以下。飛ばして良し。
モブの回想中の、道行く同級生の女子を指して「透視のやりかた教えてほしいか?俺も知らねえよドスケベめ」は、シゲオに構ってもらいたいがために言った台詞であり、この台詞のまま受け取るとエクボは透視のやりかた知らないし、知らなくても別に平気そうである。あとツボミちゃんを指して「いいケツしてんじゃねえか」。これらは女性は性的搾取されて当たり前という前提の上にある台詞であることは確かだが、エクボはこの言葉をその女性に実際に面と向かって言っていないのがミソだ。実際に女性に聞こえるように言ったならばめちゃくちゃ失礼だし腹が立つし恐怖だが、女性に聞こえないところで言うだけなら別に咎められることでもない。それより大事なのは、このふたつとも『エクボとの思い出』を示すために出てきて、それで結局『モブにとってエクボにそこまで思い入れがない』ことを示したエピソードであるということ。エクボ殺されちゃったけどまあこんなくだらないこと言うような奴だったしな…ということを思い返しているわけで、そういう言動に価値などないと主人公が思っているというめちゃくちゃ嬉しい描写は、エクボのこのミソジニー台詞がないと表現できなかった。フィクションとしてはもう万々歳である。
爪の第七支部に侵入するために守衛係の男に憑依したときも、「さぁ~ってついでにキレーな姉ちゃんでもいねぇかな」とかなんかそういう「ちょいワル風キャラがいかにも言いそうなこと」とか絶対言わないんですよエクボ。トメが霊とか相談所に入り浸ることについて、「おい霊幻、女子高生だぜぇ~いいのか?」とかニヤニヤ言ってもいいのに、言わない。トメに憑依しても「久々の女の体だぜ~まあトメなんだけどな!」とか、いっっっっっさい言わないんですよエクボは!裏で言ってる設定だとしてもONE先生はモブサイコ100本編にそれを描かない。「手癖」「テンプレ」をミソジニーですら出さないのは徹底しているなあ…って思ったら山田玲司氏のONE語り動画を見た限りでは、ONE先生は意地でも他の漫画を参考にせず描くらしいのでそもそもそういった『手癖』がONE先生に存在しないのか。それはそれですごい。そういうミソジニーを「なんにも面白くない」と判断して漫画に描かないのであれば、ONE!おまえのその感覚、ちからいっぱい支持するぜ!!!って拳を握ってしまう。
こういう露悪的キャラは他の漫画では女性の扱いがひどいのが普通なので、97話『エクボは』みたいな展開になると「でもおまえクズですよね」と白けるんですけど、エクボはこんな感じに描写されているのでもうスッと物語に入っていけるんですよね。エクボぉぉぉ…泣いちゃう…そう、エクボの項をあとに持ってきたら泣いて話にならないからしょっぱなにもってきたのです。
蛇足の追記。「わたしきれい?」と繰り返し聞いてくる口裂け女に「外見の前に…ハサミ振り回す女は願い下げだな~」と返す台詞がある。いやこれむしろカッコいいんだが。「外見の前に」。外見についてとやかく言うのは野暮なんだぜというこのこなれた大人感。「ハサミ振り回す女は願い下げ」こんなの女じゃなくて人間としての最低限のルールである。ONE先生の「女性に対するめちゃくちゃなほどの気遣い」がひしひしと感じられる上にエクボの露悪的キャラクターが最大限に出た返答で脱帽。
次にテルこと花沢輝気。超能力を使って学園トップに立ち凡人を従わせ傲慢に生きる男子中学生。……ときたら普通「学園の女子をはべらせてとっかえひっかえ」的な言動・思想・コマが出てくると思うのだが、無い。マジで皆無。漫画では軽薄そうに女の子の肩に腕を回しながら街を歩くコマが一コマだけ出てくる。それだけ。アニメでは「ねーえ、どうする今日?」と聞かれて「君はどうしたい?」と微笑を返していた(やさしい)。その少し前にLINEでデートのことを連絡していたカットがあるが、内容から察するにこの女子ひとりの描写だ。えらそうにしている学園のボスなのに女子たちにひどいことをしている描写が一切なく、またたくさんのモブ女子に囲まれてニヤニヤするというテンプレも描かれない。よくある「テルさま親衛隊」だとか「テルくんの取り巻き女子」みたいなものが、本当はある設定にしてもONE先生が本編に描いていないのだ。(←これをきっぱり言ったあとで2巻143pを見て「取り巻き女子いるじゃん???!!」ってなったんだけども、よく見たら1コマ目は取り巻き女子に褒め称え得られていると見せかけてふつうに男子からも褒め称えられていたし、クッキーをくれる女子の後ろに笑顔の女子がいて、親衛隊とか取り巻きに見られる女子の嫉妬のようなものが一切なく、『それほどまでにテルが意識して独占してる女子集団みたいなやつを描きたくないのか…』とびっくりしてしまった。だいたいクッキーを渡す行為なんか思いっきり女の子のほうからの主体的な行動であるということを言いたいがための描写だ。女子に意思があるという表示)ふたり以上の女子を描くなんて面倒だししないだけでは?とも思うが、不良はあんなにたくさんモブを描いているし大体アシスタントに任せることもできる。アニメも徹底して「ふたり以上の女子と絡むテル」を描かなかった。付け足したのはLINEの連絡と会話だけ。ただひとりの女子のための。ちなみに彼の私生活も女性はおろか誰の気配もないように描写されているが、これは彼が一人暮らしをしてるんですよと言いたいだけのはずなのでここでは言及しない。
「男の傲慢さ」を描くのには舞台装置としての「女」描くのがまず手っ取り早いのだが、テルの傲慢さを示すのには「女」は使わない。これはONE先生がテルを「男」と表現したいのではなく「人間」として表現したかったからではないだろうか。「男とか女とかじゃなく人間を描きたい」というテーマはその後スピンオフ『REIGEN ~霊級値MAX131の男~』まで一貫して描かれることになる。
そしてテルは「女子からプレゼントをもらって嬉しい」気持ちがあり、それを恥じることなくモブに話す素直さがある。「女子からプレゼントなんかもらっても……ねえ?」なんて言わない。キャラ設定だけ見れば言いそうなものなのに、言わない。ONE先生がテルをそのように描かないという選択をしたということが大事だ。もらったクッキーに洗脳パウダーが入っていることを知って「怒ったぞ」と(珍しく)言うテルはきっと、わざわざ手作りしてくれたその子の気持ちを、クッキーをもらって嬉しかった自分の気持ちを、洗脳パウダーがないがしろにしたことについて「怒った」のであろう。女性をちゃんと意思のある人間として見ているのだ。
「初めはゲスだったが改心して味方になる敵キャラ」というのはたいてい、改心前も改心後も女性にはゲスでゴミ言動を貫くのでコイツなにひとつ改心させてねえな、と作者に対して白けるものだが、テルはちがう。改心後どころか改心前だって女性にゲスゴミなことしてないんである。ホントはしてた設定だったとしても、女子からもらったクッキーを吐くはめになって怒っているテルなんか見たら好感度が上がってしょうがないではないか。好きなキャラが結局クズだったことを見せつけられて何度も幻滅させられてきた私にとって、キャラクターをちゃんと本当に好きでいさせてくれるONE先生の存在は本当に嬉しい。テルだいすき!本当に良い子!
以下は飛ばしていいです。
オマケ漫画の「夏」読みました?あれなんなんですか?(突然のキレ)夏休みをどうして過ごしていいか分からないから霊とか相談所に来たって…テルあなた女の子にいつも告白される側とか言ってたでしょ…女の子と遊んだりしないの…エッ…ナンデ…何故…もう宇宙猫状態。要するに、「社会的に男と言われるなにがしか」を描きたいなら必然的に女とされるなにがしかも描かなきゃならんが、そーゆーガワじゃなくって「人間(中身)」を描きたいONE先生にとってそんなのまじど~~~でもいいので描かない。そんだけのことなのであろう。そんな尖った漫画あります?オマケ漫画「夏」、ほんとうに良かった……キャラクター(人間)がイキイキしていた…夏休み中毎日テルには霊とか相談所に入り浸ってほしい…テル謙虚だからそんなことしないけど…ウッ…健気…
モブの弟、影山律。彼が女性について言及するシーンにこういうのがある。だいすきな兄が告白する相手を聞いて、「高嶺ツボミさん…そうか…あの人…うーん…実はちょっと苦手なタイプだ…かくれんぼの途中で帰るような人だった気が…不安だ。もしフラれた時はどうするんだろう。ひどいこと言わない人だといいな…」。この台詞で凄いところは「あの女子」とか「あの女」みたいな言い方してないところ。だいすきな兄がだいすきな女の人、かつ自分が苦手なタイプ、という状況であれば一言くらい悪意をもって「あの女子」と言ってもおかしくない。そんな状況でさえ高嶺ツボミは律のなかではあくまでかくれんぼの途中で帰るような「人」、ひどいこと言わない「人」、苦手な「タイプ」。これがそこらへんにある漫画、例えばドラゴンボールやダイの大冒険やDr.STONEだったら「かくれんぼの途中で帰るような女」「ひどいこと言わない女」「苦手なタイプの女」という言い方になるんですよ。(どの漫画も好きなのであえて出した)でも、律はあの「ひと」と言う。この律のシーンには、「女への悪意」という無駄な情報がない。だからああこの子はほんとうにお兄さんのことが好きで心配してるんだなあと、ONE先生が伝えたい律のことがシンプルに伝わる。上手いんですよ漫画が。(私は律のこのシーンがはちゃめちゃに好きなのだ…。モブを心配する優しい心と控えめな心配の仕方と高嶺ツボミへのミソジニーのない認識すべてが。)(モブを心配する心は優しさじゃなくない?)
※「あの女」に関して、エクボもツボミちゃんのことを「あの女」と言いましたが、他の漫画とかでビシバシ感じる蔑視が全然ない文脈だったし、それより「あの子」呼びの方が多かったことがポイントです。あの子ですよあの子。エクボ、ちゃーんとツボミちゃんのこと子どもって認識してるんだよ嬉しい…普通の漫画だったらエクボみたいなキャラには全部蔑視バリバリで「オンナ」呼びさせてますよ。オンナは子どもでもオンナとかいうおぞましい思想で。しつこくモブに絡もうとするメザトさんを一度も「この女」って言わないエクボほんと好き。一貫して「コイツ」。女扱いじゃなく人間扱い。涙出るほど嬉しい。他の漫画では有り得ないので…
※メザトさんが彼女の主観として律のことを「女子にモテモテ」という言葉を使っていましたが、実際に絵として描かれた4巻28pなんかはまったくテルのときと同じ、話しかけたのこそ女子ですがそこには女子も男子も混ざった状態で非常にニュートラルに人気者として描かれていてほんとどこまで徹底してるんだっていう。
密裏賢治→覚醒ラボ唯一の女子について別にデレデレしたり女子ということにとくに言及しない。男の子である律の勧誘時に「女の子もいるんだよ~☆」とか、そういうの一切ない。ないんだよ!!他の漫画なら必ずあるの!!なくてもいいのに必ずそのノイズを入れてくるの!本筋関係ないしとくに面白くもないのに!!密裏さんは言わないの!!ありがてえ~!!ほんとに超能力すきなだけの無邪気な大人なんだね!という説得力がある。
鬼瓦天牙→本人にとってあれだけのことがあったのにマリコ含む女子を恨むこともなかった。「恨む必要がない」という真実を悟っている、奇跡のような知性を持つ男。「俺は最初から嫌われていた、何かあればそれをきっかけに表に出ることは分かっていたから別にお前らのせいじゃない」は聡明すぎて衝撃だった。これをさらっと描けるONE先生の頭の中は一体どうなっているのだろう…
誇山→「単細胞だね、遊びはほどほどにしなよ」と言う槌屋に対して「うるせー ブス。」ブスという言葉は女性に対してしか使われないのでこれだけはミソジニーです。しかし、粗野で乱暴、倫理観も社会性も知性もなさそうな男として登場しているのに「うるせーブス」のたった一言で済ましている。オバハンとかババアとか子宮が腐ってるくせにとかマンさんはうるせーなとか、言わないんだ誇山。まず「女のくせに」って言葉が出てこないのすごいと思う。心の底では女も男もなく槌屋を認めてるから外見についてしか言えることがないともとれるし、単純に語彙がないのかも。それでもババアぐらいは言えるでしょ…とはいえ、なんせここまでだけでONE先生の描く漫画のキャラクターだという信頼があるから、改心前も改心後もとくに女性に性加害とかしてないんだろうなってことには思いを馳せられます。嬉しい。コンビニ談義は可愛すぎた。性加害してないなって思うと、純粋にここで可愛いなって思えるんです。重要。
森羅万象丸→女性をバカにするような発言がない。真面目でいい奴。普通なら『真面目でいい奴』設定でも息を吸って吐くように女性をバカにするんだってば。
鈴木統一郎→妻を殴らない、ひどい言葉を言わない、妻という属性については見下さない。そもそも自分以外女も男も全員見下して人間関係をないがしろにしており、そこがダメだとちゃんと指摘される。夫婦関係に関しては単純に相手側の考えを聞き入れなかったという描かれ方をしている。めちゃくちゃフラットな描き方でうれしい。(タイバニのアレがトラウマ)
追記。統一郎の威厳を示すために女はべらせててもおかしくないのに、という感想を読んで確かにッッ……!!!!!ってなってます。女という舞台装置なしでじゅうううううぶん鈴木のアレな威厳が出てるのはもはやONE先生の純粋な実力でしょうね…。
そして我らが主人公モブこと影山茂夫。少年漫画で、正義感の強い主人公として描かれていてもふつうにミソジニーがあって、めっちゃスン…ってなることが体感9割の中で、マジでなんにもない。彼が好きになる女の子はものすごい人なのだ。読んだひとみんなモブの好きになる気持ちが分かるようにツボミちゃんの性格が描かれている。「そんなもの(ツボミちゃんに告白)…こんなに人に迷惑をかけてまでするものじゃない。」という台詞がすごい。男にとっちゃ女に告白って一大行事だろ(だから誰にどんな迷惑をかけても受け入れるべき)的なとこある中でそれを言いきれるのは流石モブ。浅桐みのりに「キミは本当に、あんな感じなの?」と聞くシーンは痺れた。モブは『女はすべて陰湿な生き物』だなんて思っていないのだ。「人は変われるって分かったから」ほらーーー!!!!モブは女のこともちゃんと人間って思ってるんだよぉぉぉぉ!!!!!(女は人間だと思ってないこの世界にうんざりしているので、私はこういうときに女に対して人間という言葉を使ってくれるキャラを見るととても嬉しくなってテンションが上がってしまう)また、「女に手を上げる奴がこの世で一番モテないって師匠が言ってた」と言うシーン。(無論女は人間だと言ってほしいが主題からズレるので割愛)「女に手を上げてはいけない」ではなく、「女に手を上げる奴はモテない」という事実だけ伝えているこのやり方、作者も霊幻もうますぎね?って思うのでした。ここで槌屋と戦うためには「女に手を上げてはいけない」ではいけなかったので。(霊幻だって生きていれば女性であっても殴らなければならない場面もあることは知っているから「殴ってもいいけど恨まれる、モテない覚悟の上でやれ」と言いたくてそのセリフになった…とかも考えられる)だからこそやっつけないといけないと思って涙まで流すモブにグッとくるわけです。
ちなみに「手を上げる」というのは立場的に下のものへの言い方なので女性に対して使うと「なんか腹立つな…」って感じがしますが、霊幻も作者もたぶん「女性を殴る」というキツい直接的な響きを避けてこの語彙になったんだろうと推測します。そのあとのモブも「やっつけないといけないんですか」というふうに意地でも殴るって言葉を使っていないし。徹底してますね。ツッチーはそこにこだわりないのでふつうに殴るって言葉を使ってます。
槌屋の初動が「モブのおばさん呼ばわりへの怒り」だったわけですが、まあ私はすすんで読みたくないシーンです。面白くないんで。でもなんか不思議なことに、そこらへんにある漫画に対するいやぁな感じのミソジニーとは違うんですよ。女におばさんと言って馬鹿にしてやろう、という"主観"がそこになく、女性がおばさんと呼ばれたら腹立つのは当たり前、という"客観"で描かれているからですかね。そして注目したいのがモブがおばさんと呼んでいるコマの下にわざわざ『モブ99%』と書いてあること。モブは名前が分からないからおばさんと呼ぶしかなかったし、ひょっとして99%でさえなければ「お姉さん」と呼んでいたかもしれない。せめて「おば…おねえさん」って槌屋が怒る前に言い直していたかもしれないのだ、モブという礼儀正しいキャラクターなら。
まるで生粋のミソジニストがこねる屁理屈みたいなことを書いていますが、もうね、そういうフォローを臆面もなくできるくらいにはモブサイコ100という作品に対して信頼があるんですよね。こういうふうにフォローの妄想をして、アリだなって思えることで、真の意味で「みんなに好かれる主人公」として描けていると思います。槌屋を殴りたくなさすぎて涙さえ流すモブも、「紳士だね。でも侮辱だよ」って端的かつ的確に自分の有りようを語る槌屋もすごくすき。みんなにとっては紳士だね、でも私にとっては侮辱だよっていう。ここでもONE先生が槌屋を「社会的に女性とされているなにがしか」ではなく「単に体が女性タイプなだけの一個人としての人間」として描いていると分かるし、モブは納得して「女性」ではなく「槌屋」をやっつけることができたんでしょう。
この「大人で女性VS子どもで男性」の立場での絡みの塩梅ってめっちゃ難しくて、倫理をちゃんと考えるひとしか描いちゃいけないと思うんですよね。アニメのデュエルマスターズ!なんか大人の女性たちが男の子の主人公を痛めつけて本気で泣かせてギャグにするシーンとか母親が息子を精神的に虐待してそれを息子が越えるべき壁みたいなことにして母親に罪なんかありませんけど何か?みたいな脚本書いてましたからね(根に持ってる)。あれ「男の子だから女には殴られても精神的に虐待されてもOK、我慢しろ乗り越えろ」ってことですからね。めちゃくちゃだよ。槌屋VSモブの塩梅を見習え。(これもデュエマ好きなんで言ってます)
※100%のとき誇山に「大人のお兄さん」って…言ってますね…「大人のおじさん」って言ってれば整合性も取れたな…
霊幻新隆。「かくいう俺もモテたくて仕方ないしな」と言う割にはナンパもせず女性客をそういう目で見ることもなく女子高生のトメを人間扱いする。モブと一時期離れ、自分になにもないことに嘔吐するまで落ち込んだときも、女性にケアを求めることは一切しなかった。ハッキリ言ってこれに気づいたとき私はビビり散らかした。ええーっ普通こういうときって風俗とかキャバクラとか行くのでは…それか昔の女友達に電話するとか…??しない?しないの?しなかったね??ナンデ?ナンデ????どういうこと????一体どこまで「まっとうな大人」なんだ、霊幻新隆!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!すき!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!こんなの嫌いな人いる????????いません!!!!!!!!!!!!!!はい好き!!!!!!!!!!!!!!!みんな霊幻好きだね!!!!!!!!!!!!!!モブがツボミちゃんに告白するというときも、「ツボミちゃんとモブ…互いに等身大のまま歪まずにいられる…そんなパートナーになれたらいいな」というもうなんかとんでもない名言を残している。男女の!!!恋の!!!話なのに!!!「互いに等身大のまま歪まずにいられるパートナーになれたらいいな」!!!!!?????打ってて泣きそう。しぬほどいい奴やん霊幻新隆。ツボミちゃんとモブというふたりを、女と男、などというくくりではなく"個性を持ったふつうの人間同士"として認識しているのである。この凄まじく公平でフラットで尊い感覚が分かりますか…人間はなかなかこれに到達できないんですよ…未来永劫人間はミソジニーと戦っていかなきゃならないので…一度も人類はミソジニーに勝ったことがないので…この漫画に出てくるやつら毎分毎秒大勝利してるんですけど…ううっ
霊幻新隆、いかにも「モブよ~、女ってのはなァ……」ってとうとうと諭してきそうなキャラだけど、言わない。ONE先生が、それを絶対に言わせないのだ。で、これは芹沢克也も思っていたようで。「こんな時こそ役に立ちそうな小手先のアドバイスをするかと思いました。」のくだり。そうしなかったんですよ。「女ってのはなぁ」って言う選択を霊幻はしなかったんですよ。深い関係を築きたい相手に取り繕ってもしょうがないんですよ……。その通りです。最高すぎます霊幻師匠。大好きな漫画で、大好きなキャラでこんな台詞が読めるとは思わないじゃないですか…またここの会話(モブサイコ15巻、140~146ページ)がそれはもう「いかに女性を偏見で語らないか」ということに極振りしててほとほと感心してしまう。こんなミソジニーなし100%の純度の高い恋愛談義を少年漫画で読めるなんて…
ミソジニーというのは「女は男の性欲処理のための生き物(人間じゃない)」という思想も含まれているので、「恋に必ずしも性欲が伴うか?」という疑問を持つ霊幻はそもそもミソジニー思想が限りなくひっっくいのだ。なんぼ考えてもこんなこと言うキャラクターをメインに据えたONE先生すごすぎる。あのシーン、もっと議論を戦わせろって思った読者いっぱいいるやろ、私もだ!
「無い」ことを証明するには可能性についても押さえる必要があるのでこれも。脳電部に勧誘するためトメが霊幻との電話に出たとき、霊幻の「女子か。モブを利用する気だな」というモノローグがある。私がこれにミソジニーを感じない理由として、霊幻は「この状況」で「このタイミング」においてトメという女子が出てくることについて「利用する気だな」と判断を下している、だけ、ととれるから。「女子か…(うんざりした顔で溜息)」とかではないんである。説明のしようがない……モブサイコ100読んだひとはみんな霊幻が女性を見下すような奴じゃないって分かるやんふつうに(マジでこのnoteの存在意義…)
芹沢克也。「30年間女の子を好きになったことがない」ことをなんのてらいもなくさらりと告白できる。すごいフラット。女というトロフィーを獲得してこそ男であるというようなゴミみたいな思想に染まってないんである……うそやん……どういうこと……
※ONE先生がすごいのは、霊幻に「同性愛者なのか?」とすら聞かせていないところ。ここで芹沢の性的指向は本題でないからである。だいたい霊幻の聞き方で「男でも女でもいいので、恋愛感情を持つほどの人間は過去にいたかということを聞いている」と分かるので、芹沢の性的指向がどうたらなんてものを一瞬でも挟むとノイズである。「同性愛者なのかよ(茶化し)(怯え)」みたいなものはどのキャラに言わせるのもただただ面白くないので言語道断である。「描かないこと」をきっちり選択して描けるONE先生すごくない?「異性愛者以外の性的指向は描く必要がない」という暗黙の了解に異性愛者の傲慢さがあることについてはまた別の問題。
そしてモブに「好きな人がいるってだけで羨ましいなぁ。誰に何を言われてもシゲオくんの気持ちが変わらないんだったら、その気持ちは本物ってことだよね。じゃあ理由なんて言葉にできなくてもいいんじゃないかな?」………こんな30歳男性、いる????????泣 本当に、もう本当にさあ、子どもに対して、こういうふうに、社会から見下された女性という属性の人間との付き合い方に対して真摯な発言してくれる大人というのはねえ…もうねえ…一番信頼できるんよ…茶化さないっていうのが本当にね…素晴らしい人間だよ克也ァ…
とまあこういう風に出てくるキャラ全員が素晴らしい人格をしています。クズな人間がいない。「このキャラは素晴らしい人間である」という描き方をしてくる漫画はいっぱいあっても、手癖でミソジニーを出してくるので「いやこいつクズやん」となってしまう。たとえば純粋で綺麗な心を持つから筋斗雲に乗れるという設定の悟空が、「みろよ、シリやオッパイ触らせるだけで宇宙が救えるんだぜ!」(鳥山明『ドラゴンボール』40巻95ページ・集英社刊)って言ったりする。そう、そーゆー齟齬が一切ないから、モブサイコ100には「いい奴」への説得力がむちゃくちゃある。
※私の血肉はドラゴンボールで出来ていますが、最近上記のことを言いふらして「悟空クズですね」ってコメントをいただくのが楽しくなってきました。
女が男をビタ一文ケアしない
少年漫画では男が主役で女はサブ、女はいつでも男を愛して叱って受け止めて、母にも娼婦にもトロフィーにもなる便利屋に必ず配置されるが、ツボミちゃんもメザトさんもトメさんもエミも浅桐みのりも、一切誰かを物理的精神的にケアするシーンがない。みーんな男キャラと対等に物語をつくっている。「外側が女性というタイプなだけで、それぞれ個性ある一個人」として描かれているのだ!!!!!!!こんな漫画「映像研に手を出すな」以外にこれしかねえんだよ!!!!!!!(感動)ほんと、エミの回とトメさん宇宙人回は本当に脚本が美しくて涙が出た。女が人間なのだ…。
主人公であるモブが一番喋って絡んでいるのはメザトさんだと思うが、本当にびた一文モブをケアする役目を担っていなくて何度でも新鮮に驚く。なんならモブもメザトさんをケアなんてしない。そんな一方通行なんかくだらなくて描けないよねえ。一方通行のケアなんて、人間関係ではあまりにも不健全だし無価値だ。出てくる女全員が男を毫ほどもケアしない少年漫画、これはほんとうに少年漫画か?って思うけど、実はこれこそが純粋に「少年漫画」と呼ばれるものなのだろうな。まさしく少年に不要なものを描いていないという点で。てかモブの母親さえケアとか担ってなくてもはや笑うしかない。母親すらもケアしない!霊幻新隆の母親もだ!!!!(あのメールはONE先生はケアの役目で描いてないし新隆はケアされませんでしたwwwしかし同じ母親として行動はとても分かる…私も息子がああなったらあんなメール送る…)
浅桐みのりは人間である
主人公の男が、女を救う。というとお手軽に自己肯定感と性欲が満たせる手垢のついた展開だが、モブサイコ100最上編で浅桐みのりは「偏見にまみれた女性像の上に作られた女性キャラ」ではなく「事実として体が女性なだけの個性ある一個人」として描かれているため、最後のカタルシスがものすごいことになっている。あれを読んで「やっぱり女は陰湿だわ」って感じたならそれは自分の問題だと思う。どこにも「女だから陰湿」という表現が見当たらないからだ。最上世界の登場人物さえもそういうことを言わない(「浅桐っておもしれーよな!男子のノリ分かるし!」には「女子なのに」という言葉が省略されている。ここまでくるともはやわざとだ。すごい)。無理矢理理由をひねり出すなら「金持ちの子どもだから陰湿」くらい…?えっでも知り合いに金持ちいますけどめちゃくちゃいい子やで…だからさ~~そういうことなんですよ、金持ちだって女だって人間だからいろんな奴がいるじゃないですか。要するに「女ってそうだよね」っていう描き方じゃなくて「いるよね人間にこういうやつ、女タイプで」っていうような描かれ方になってたわけです。女だって悪いことしますよ、だって人間なんだから。「やっぱり女は悪」って描き方してないでしょ。男の体をしているやつにいろんなやつがいるのとおなじように、女の体をしているやつにもいろんなやつがいるんですよと。私はそう感じた。なんでかわからん。(存在意義…)
あと最後で「また逢いたいな」とみのりに言わせておいてそれっきり描かないの、もう最高にイカしてる。
スピンオフ『REIGEN ~霊級値MAX131の男~』は最高のフェミニズム漫画
少年漫画をフェミニズム漫画です!って断言していいのか?って感じですが、だって私むっちゃびっくりしたんですよ。これはトメを主人公にして、トメから見た霊幻およびその群像を描いた作品ですが、当たり前のように霊幻もエクボも芹沢も、トメとカップルになりたい星田先輩でさえもトメを人間扱いする。"女という生き物"扱いをしない。「霊とか相談所」にしつこく関わろうとしてくるトメを、危険だからと出禁にしようと言ってくるエクボなんか一番丁寧に人間扱いしてますよ。(「女子高生には無理」って台詞はあるけどエクボにトメが女という属性をことさら強調する意図が感じられない…だってなんかずっと能力のない素人って言ってるし)星田先輩はトメの内面をちゃんと見てくるし、芹沢はトメを「事務所の仲間」と言い切り、霊幻はトメのために見せたくない本当の自分を曝け出す。最終回ではあんなに苦労したのに!今は本当に大切なことを知った霊幻…!ああ、書いてて胸が熱い。こんな漫画読んだことない。こんなクソ面白い漫画を、私はずっと読みたかった。
中学時代をずっとオカルト趣味に捧げて生きてきたトメは高校生になり、ちゃんと"女子高生"になろう、社会で"女"とされてるものになろう!と自分のオカルト趣味を封印して高校生活を送るが、化粧品や彼氏の話をする高校の仲間にいっこうに馴染めず、ひょんなことから仲間たちも社会で女の趣味ではないものとされる変わった趣味を隠していたことを知る。「なんだみんな一緒じゃん」と心が軽くなるトメ。ここで大事なことは、トメは「私はこの"女"たちとは違う」というように下に見たりしていないということ。「男や芸能人の話ばっかりして、女とはくだらないもの」なんてことはいっさい思っていないのだ。「みんないい子たちだけど馴染めない」って思っている。「みんないい子たち」とトメにハッキリ言わせ、毎回ちゃんと彼女たちと楽しくふつうに会話させて、仲間を下に見ているわけではないということをきっちり示したのはONE先生のストーリーテラーとしての手腕だ。ONE先生は「男」とか「女」とかを描きたいのではなく、ただ「人間」を描きたいのであって、「私はこんな女たちとは違う」と思ってしまうトメを描いてしまうと「じゃあトメは自分がどんな"女"(社会的に女とされるもの)だったら満足するのか」になり、「人間(本当の自分)」から外れてしまう。もっと言うと「じゃあトメは自分が男だったら満足するのか」になってしまう。それは主題ではない。描きたいものが霞むようなことはONE先生はしない。描きたいものをストレートに読者に伝えるために、「自分はこんな女たちとは違う」というミソジニーを徹底的に排除することが漫画家のONE先生にとってのプロとしてのテクニックなのである。そうして、外伝のタイトルになっている霊幻新隆という人間すらも「すごいひとだと思っていたが実は何も能力がなく、それでもいつも特別な仕掛けは必要ない」人物であることが分かり、トメは自分を偽らず生きていくことに希望を得てこのスピンオフは完結する―――いや真面目に聞くけどこれがフェミニズムじゃなかったら何をフェミニズムって言うんだよ、ってレベルでフェミニズムです。繰り返すけど、「わたしは女の体をしているけれどべつに社会的な女性像にハマらなくてもいいんだ、だってみんなべつにハマってないしみんな違うしおんなじだったって分かったし、霊幻さんだってわたしの偶像にハマってなかったけど結局霊幻さんは霊幻さんで変わらなくてそれで面白くて退屈しないし」っていうオチですよ。ONE先生、人間の話描くのがうますぎるから女性を描いたらふつうに「女性が人間の話」になってフェミニズムの聖典みたいになってしまう。(荒木先生だって「アレッ、女主人公でやってもおんなじだわ」ってなって描いたのがストーンオーシャンだしね)霊幻のスピンオフがあんの?!まじ?!いっぱい霊幻新隆の新作が読めるの???!!って思って読んだら霊幻新隆沼に転げ落とす人類史上最高のフェミニズム少年漫画だったときの私の心境よ。「女の体をしているひとも人間なんだよ、違う生き物じゃないんだよ、男の体をしているひとと同じように、ふつうに個性があって意思があって痛みも感じる、ひとりひとり違うただの人間ってだけなんだよ」っていうことを、この世のみんなが思っていなくて、だから女という属性が苦労してるこの現状で、この漫画は、ほんとに泣けるくらい嬉しい存在です。ただのフェミニズム漫画じゃないところが凄い(逆説的になってきたな)。霊幻新隆がもっと好きになるフェミニズム漫画…?なにそれ…このスピンオフですよ…
ONE先生が意識して徹底的にミソジニーを排除していることが、読みながらみなさんもお分かりいただけたはず…と思うのですがどうでしょう。だってこれ意識してないと出来ないよ。マジで。トメを霊幻が抱き締めるコマもむちゃくちゃ配慮されてて感心した。顔同士はつけない、胸や下腹部に触れない、考え抜かれた構図。天才。ラッキースケベというゴミ概念が一切存在しない。本当にノイズの一切ない素晴らしい世界。なに?ONE先生の絵柄でラッキースケベなんて誰得ですって?そういうことじゃない!あのコマはそういうわけでむちゃくちゃすき。霊幻がもはや神々しいんよ…あの抱き締め方…トメを助けるためには、と頭をフル回転させた結果自分で悪霊を引き受けるというシーン…もうねこの溢れる母性…(霊幻が自分で言ってる)ハァ~~~~~~~~~霊幻~~~~~~~~~~~好きすぎてしにそう…えっみんな好きですよね…好きだ~~~こんなに「女の体をしているひと」をバカにしてなくて、ちゃんと人間として描いてくれているような漫画で、こころから好きになれるキャラクターがいるっていうのは女オタクである私にとって至上の幸福です。ほんとうに。
話が3行でずれた。本当に面白いものを描きたいならクリエイターは手癖のミソジニーを意識して排除していけよ~ってことが言いたかった。ミソジニー完全排除したモブサイコ100がこんなに面白いんやぞ。俺はこれが言いたかったんや…
モブサイコ100アニメ三期、いよいよ来月!!!!2022年10月4日開始!!!!!楽しみすぎてやば~い!!!!!!(これが一番言いたかった)