優しさは能力、気遣いは技術
「人に優しくする」というのは、それ自体が能力なのだと思います。意地悪な人や心ない人というのは、この能力が欠如しているのでしょう。
だから、なぜあの人はこんなに意地悪なのか?なぜあのような酷いことを言ったりしたりするのか?などと考えても埒があかないし、考えたところでどうしようもありません。ましてや、私が悪かったのかな、私のせいかな、なんて思い悩む必要なんてありません。
能力というのは磨くことができます。優しくする能力を持っていたとしても、磨かなければ光りません。的外れでない優しさを発揮できる人は、日々の中で優しくする練習を積んでセンスを磨いているのです。本当に優しい人は、人に優しくしようと意識しているわけではないかもしれません。しかし、無意識で優しくできるくらいに日々研鑽を積んでいるということなのでしょう。
気遣いというのは、技術だと思います。どういう時にどうしたら適切に人を手助けできるのか、という知識と実践です。この技術が拙いと、本人は気遣ったつもりでも空回りしていたり、逆に仕事を増やしてしまって迷惑をかけることがあります。気遣いはその人の優しさを基盤にしていることが多いですが、人を気遣うというのは行動であるため、優しさがなくてもある程度は傾向と対策で行うことができるはずです。
だから、優しくする能力がない人でも、せめて気遣いくらいはできるようになっておきたいものです。
意地悪な人、悪意を持って関わる人というのは実際に存在します。私は社会に出てからそのような人に出会い、ひどく傷つき、混乱しました。なんであんなに他人を追い詰めるうのだろう?なぜあんなに酷いことを言って八つ当たりして平気な顔をしていられるのか?そういう人は大抵堂々としているので、むしろ私が悪かったのかのかな…なんてとても悩みました。
今もそういう人に振り回されて、疲れ切っている人がたくさんいると思います。
しかし!悪いのは傷つけられた側ではありません。優しくする能力がない上に、気遣う技術を磨いてこなかったその人の責任です。人を傷つけずに指導する方法はいくらでもありますからね。
だから、そういう人に出会ったら私は自分に非があると自分を責めて、自己否定に陥らないように気をつけています。
そして、そんな人を反面教師にして、自分なりの優しさと、気遣いのセンスを磨いていこうと思っています。
この記事を読んでくれたあなたも、そんな人に振り回されないでください。「あーこの人は優しくする能力がない人なんだなー」くらいに思って、放っておいていいと思いますよ。