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僕がラグビー登山家になるまで 22歳 | 中国マフィアに監禁された時の話。

それは僕が22歳の春の出来事であった。

学生時代に『深夜特急』を読んでから、僕は高校からずっと続けていたラグビーとはまた別の世界を見てみたいとの思いに至り、部活後にバイトをし、貯金を貯め、なけなしのお金で部活がオフの間に旅をすることを決めた。

旅先は東南アジアと中国。予算は15万円ほど。一泊あたり300円ほどの安宿で泊まり、1日で使用するお金は1000円以下で過ごす予定であった。東南アジアの道中は、想像に反して予算以下で旅ができていた。現地の方々から多大なる親切を受け、ご馳走を頂いたり、ご自宅に泊まらせてもらっていたりしていた。

今まで僕が知っていた楽しみとはラグビーのように苦労して、苦労してその先にあるものであり、その一方で、旅というのはテイクアウトのハンバーガーのようにその場に行けば瞬間的に仲間になり、楽しめるものであった。異国の地での人との出会いがこんなに素晴らしく、感動するとはと全く想像もしていなく、僕は旅の魅力にどんどんハマっていった。

シンガポールからはじまった初めての一人旅は、マレーシア、タイ、カンボジア、ベトナムを抜け、中国に着いた。中国は広大であり、どこに行くか迷っていたが、『世界不思議発見』の特集でうる覚えしていた広西チワン族自治区の桂林に行くことを決めた。ここはいわゆる中国の山水画に描かれているような所で、中国古来のダイナミックな自然を楽しめる場所だ。公園でのんびりしていたところ、一人のおじさんに声をかけられた。

「今はタイヤ工場で働いおり、日本語を勉強中なんだ。もし良かったら、この地の案内をするので、日本語をぜひ教えて欲しい。一緒にご飯でもどうか?」

もちろん、僕は二つ返事で引き受けた。

彼の名前はシュウさん。歳は40後半といったところだろうか。彼とはその後、レストランにて食事をとり、お茶をし、地元で有名なお土産屋にいった。シュウさんはこのギャグが日本で流行っているだろうとドヤ顔で見せてきたのはビートたけしのギャグの「コマネチ」。

僕は愛想笑いしていたが、気さくな方だなと思った。働き口もあり、日本語を学んでいるということから、通訳かそれに関わる仕事なんだろう、そして身なりもそこそこ綺麗だ。今までの旅先で見てきた危なそうな人とは一線を画していたことから、僕は完全にシュウさんを信用しきっていた。

そして、この町で一番面白いところがあるから、付いてくるように言われた。もちろん、その誘いを断る理由もなく、僕とシュウさんは町の真ん中にある中国装飾が鮮やかである建物に入り、地下2階の部屋に辿り着いた。

お茶を用意するからと言いい、「ちょっと待ってて」シュウさんが部屋を出ていった。

入口に入る時にチラっと見えた看板から察するに京劇や中国雑技団みたいなショーを観るものなのかなと当初は予想していた。しかし、案内された先には、観客席はこの部屋にはなく、10畳ほどの部屋はカビ臭い匂いが立ち込められている部屋であった。丸テーブルと椅子が二つ、そしてベットがある簡素な作りだ。唯一普通の部屋と違っていたのは照明が蛍光灯ではなく、ピンク色の怪しいネオンであったこと。そのネオンと電圧との相性が悪いせいなのだろうか、ビリビリという低音がずっと鳴り響く部屋に僕は一人椅子に佇んでいた。

なんとなくここの場所がどいう場所なのか、部屋の作りを見た時からだいたい見当はついていた。が、シュウさんから待つように言われているので、このまま待つかこの部屋から出ようか迷っていたちょうどその時、ドアがスッと開く音が聞こえた。

振り返るとそこには下着にシースルーを着た中国人女性が立っていた。そしていきなり、ベットに座り、モゴモゴと話しかけてきたが、こっちは何を喋っているのかわからない。そして次の瞬間、自分の足に鞭みたいなもので叩き出し、急に泣き出した。僕はある程度の物事は予想はしていたが、今、目の前に起きていること、彼女がなぜ自虐的な行動をとっているのか、そして、なぜ一言も会話が成立していない僕に対して睨みをきかせているのか全然わからなかった。その時だった。彼女「キャー」との叫び声が合図となり、中国の若者4人と、シュウさんとは別のいかにも悪そうな50代半ばのマネジャーっぽい人が今度は部屋にドッと入ってきた。

やっとこの状況が理解できた時にはもう既に時は遅かった。本能というべき危機察知能力は正常に働いていたと思う。が、この状況の中で次に何が起きるのかをしっかり見続けたいという好奇心が勝り、僕はそこに居座ることを選択してしまった。

マネジャーが高圧的に喋ってきた。中国語で僕に伝えていた内容は状況から察するにこうだ。

「女の子に乱暴したから、今あるお金を全部よこせ」と言いがかりだ。

「僕は何もしていない。とにかくシュウさんを呼んでくれ。」金切りばりの声で叫んだ。が、もちろん聞く耳を持ってくれなかった。

最悪なことにその時、僕はこの旅における全財産を手持ちで持っていた。僕がずっと拒否していたため、彼らは力ずくで奪おうとしてきた。

なんとなくこの状況がカンフー映画のワンシーンのように思えて、正直笑えてしまっていた。

ジャッキーチェーンならこの後、得意のカンフーで悪者をやっつけて、この危機から抜け出すものだろう。ただ、今の僕がそんなことを今やったらむしろ状況が悪くなり、最悪の場合、殺される。そう思った。

映画と違い、このような状況では1対1では相手は向かって来ない。当たり前である。僕一人に対して複数人で攻撃してくる。しかし、予想に反して痛くなかった。僕はこの時ほどアドレアリンが出ていたことはそうそうなかった。ラグビーの密集地帯で敵味方関係なくスパイクで踏まれていたことの方が痛く、これぐらいであるならば我慢できるものと思えた。

相手の攻撃が一旦止んだタイミングをみて、絶対に殴ってはいけないと心で誓いながらも、ラグビーで培ったハンドオフでその4人の攻撃をシナるように避けた。

とうとうその3人を押しのけた。残り1人。

「これで脱走できるっ!?」「やっと外に出れるんだっ!?」と振り切ろうとした矢先、新たにそれこそカンフー映画の最後に出てくるボスみたいな坊主アタマのおっさんが部屋に入ってきた。

そのボスも先の若者同様に攻撃を見切れると思っていたところ、頭に石をぶつけられたような強烈な張り手をくらった。先ほどの若者の暴力と比べて、圧倒的に早く、重かった。僕はたまらず後ろにのろけてしまい、後頭部を壁にぶつけ、オドオドしていてしまった。その間に部屋の扉を4人が封鎖された。

それで僕はおとなしく、マネジャーと交渉することに決めた。

中国語はわからなかったため、ノートとペンを駆使してコミュニケーションをとった。今は全然お金がない。こんなことをしても無意味だと言い続けた(実際には書き続けた)。が、相手はこっちは中国マフィアなんだと。おとなしく、従え。ポケットにある財布を見せろとの一点張り。そのことも拒否していたため、今度はその部屋にあったベットのシーツで僕を覆い、先の若者がまたシーツ越しで殴る・蹴るの集団リンチをしてきた。

普通なら、ビビってしまう局面であるかもしれないが、僕は興奮してしまっていた。

この時の心境を嘘偽りなく話すと「世界の現状を知りたいとの思いで海外に出たが、世界のリアルというのはガイドブックに書かれていることより、むしろこいう事かもしれないっ?」

日本に住んでいた時も決して接することがなかったテレビや映画に出てくるアノ悪い人たちというのは本当にこの世界には存在しているのだ。驚きというか、なんと言えばいいのかわからないが感動染みたものがあった。ただ、今のこの状況は依然として最悪なことには変わりない。

とにかくどうすれば、お金も払わずに、自分も無事に帰ることができるのか?若者たちからの暴力を受けながらずっと考えていた。その時、おそらく人生で初めて死の覚悟を持った。それまで思春期の延長線上で自分の命なんてどうでもいいと思っていたことも過去にあったりしたが、この時ほど自分の命が貴いものに感じた時はなかった。

「生きたい」「生きて太陽の光、もしくは今はきっと夜だろうから、夜風を感じたい」と心の底からそう思えた。

頭部に強い一発をもらった。ズンズンと骨に染みる痛みがあった。意識を今の状況に集中し、覚悟を決めた。「これからの僕の一挙手一投足が全て、自分の命に関わる。」

相手の攻撃はずっと続いていたが、シーツを被ったままであれば、交渉もできずにお金も渡さなくて済む。自らシーツに包まり、いわゆる兵糧作戦にでた。

若者の暴力は10分ぐらいかそこかで止み、僕は沈黙を保った。僕は喋る気がないので部屋に1人の見張りをつけて、次第にマネージャーや用心棒は部屋を出ていった。


その見張りがウトウトした瞬間を狙って僕は一か八かの脱走を試み、それが無事成功した。監禁されていた時間はおよそ10時間ほど。夕方ごろにこの建物に入ったので、出てきたのは朝の4、5時ぐらいだったと思う。

僕は少しでも早くこの町から出たいとの思いでバス乗り場に行ったが、もちろん朝が早過ぎやってもなく。アイツラに見つかったら殺されるとの思いもあったのでバス乗り場の前にある建物と建物の間の人目につきにくいところでひっそりと腰を下ろし、こんなことを思っていた。


「先ほどまでの体験が僕のリアルなんだ」

「テレビ、映画、ネットなどメディア側を通して知るというものは作った人側の解釈を飲み込む作業であって、あっちの世界はフィクション。怖い思いをしたが、あの時の興奮した僕の心情がむしろ僕の中で正しく、他者の作った解釈は僕にとって正しくものではなかった」

「マフィアに監禁され、僕は絶体絶命でありながらも、この状況を間違いなく興奮していた自分がいた。それは理屈的にはおかしいものだが、確かに自分はものすごく興奮していたのだ。自分の喜怒哀楽の感情というものは、他者のそれと全く異なる。自分の感情ほど論理的じゃないものはない」

「とにかくリアルと触れなければ。海外にはリアルが山のように転がっている。ちゃんとリアルの場所に己の身を置き、その時の気持ちを自分の中で噛み締めなければ・・・!?」

※ 22歳の時にmixi日記で書いたものです



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