僕がラグビー登山家になるまで 23歳 | お遍路の話。
お遍路をなぜやろうとしたのかきっかけというのは、海外をバックパッカーで周っている時に外国の方から日本のことをよく聞かれてもうまく答えられなかったからだ。
大学の先輩がお遍路をやったと聞き、メチャクチャ良い経験ができたと言っていた。信仰という僕の好奇心を強く刺激するものであり、やらない理由が見当たらなかった。
実際に経験してみて、お遍路は本当に良かった。確かに苦しい事の方が多いが、湧き水は身体に染み渡り、歩いた後の温泉は格別で、88箇所ものお寺(実際には、最初のお寺を戻り、結願し、お礼参りに行くと90箇所となる)を連続して周るのは一生の一度の経験であったと思う。1200kmに渡る道中では同じ志を持った方と出会う機会がしばしある。
同じ年頃の学生や、脱サラしこれから農場経営をはじめようと思っている方、旦那を亡くされた方、元裏社会から足を洗った方、そして仙人になろうと俗世から離れて12年間途切れる事なく、お遍路を続けている方。
普通には会うことができない方とお会いし、お話することは学生であった僕にとって、とても面白い経験であった。
お接待の文化は本当に素晴らしく、山道を登っては降りるの繰り返しでこれがかなり骨身にしみる。心身ともに疲れきっている所、人から優しくされる機会というものは言葉に言い尽くせない幸せを感じるものがある。善根宿なるものも存在し、タクシー会社の空き部屋、お寺の通夜堂、さらには農家さんのご自宅に泊めてくれたりし、だいたいはお食事もご馳走してくれる。これがまた格別に美味しい。
当初は納経書にスタンプを押してもらうために歩いていたが、次第にお寺にお参りし、お経を読みたいとの気持ちに変わっていることへの僕自身の心境の変化に驚いた。
無心になって歩き続けると、心の霧が晴れるような感覚がある。その後に思惑に耽ると、本当は何を自分はしたいのかと普段は中々考えもしない己の心の声を聞くことができる。
当時の僕は、恥ずかしながら、空海のように徳の高い人になりたいと思えてしまった。お遍路は空海の数々の奇跡をなぞる旅でもあった。各お寺には、空海が一日で仏像を彫ったり、杖を叩いたら水が出たり、病気が治ったりするのを記念してお寺を建てられていたりする。
僕は決して奇跡などは起こせないが、空海が歩いた道を1200年後に自分が歩いていることに改めて空海の凄みを感じ、人類の最初の一歩を踏み出し、その道を後世の方々も歩いて欲しいとザックリとした思いに駆り立てられた。
その思いというのは決して強いものではないものの、このプロジェクトを実行するにあたり、影響しているのは確かだと思う。
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