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僕がラグビー登山家になるまで 13歳 | 家出をした時の話 ①

僕は中学校の時に家出癖があった。

理由は中学といった大人が作り上げた世界にいても何も成長できない、学校の外の世界を見ることにより、己の世界がより大きくなるものと思っていたからだ。正直に話せば、自分が大人になれるイメージが湧かず、このままでは社会の中では生きていけないとの思いになっていた。

ちょうど7年前(1998年)の今日、僕は大規模な家出を決行した。3月の上旬であり寒かったので南の方に行きたった。できれば、九州あたりまで行きたかった。握りしめたお金はお年玉でもらった25,000円ほど。大部分は交通費で消えるが、一日500円で生活し、それで10日間すごそうと計画していた。

計画していた当日。放課後のチャイムが鳴り、学校帰りに何をするかと周囲はペチャクチャお喋りしているいつもと変わらない穏やかな雰囲気ではあったが、その一方で僕はドキドキが止まらなかった。その日は風邪をひいても、熱を出しても必ず行く部活をサボって、以前から考えていたプランを決行した。

クラスメイトのサッカー部の友人には「じゃあ、また後で!?」と、平常心を保って言っていたつもりであるが、半分冷や汗をかき、ソワソワしながら目線を合わせず、その場をすぐにでも立ち去りたいとの思いで一杯であった。

部活の友人にはバレないように、帰宅部のメンバーに紛れて、駆け足で下校。この時の脈拍がおそらく一番高かったと思う。

家に到着。昨日、書いた母と姉への置手紙を玄関に置き、自転車に乗り、春日井駅へ向かった。自宅を出る時、飼犬だったポポがいつものように舌を出してヒィヒィと小さく呼吸を取りながら、僕を見て笑っていた。僕は何か強い罪悪感に押しつぶされそうになりながらも、さよなら振り向きざま、そのままドアを閉めた。

「この旅が終わる時には、僕は何か変わっているはず。その時はちゃんと話すよ。今度の散歩で。」


春日井駅到着。140円の切符買い、訳も分からず、とりあえず名古屋駅方面に向かう。車社会である愛知で、今まで電車に乗ったことは数えるほどしかなかった。時刻表から切り取った路線図だけを頼りに三重県の亀山行きに向かった。3月ということもあり、夕方の空は薄暗かった。名古屋から先には新幹線でしか移動したことがなく、ローカル線のこれから先の風景は見たこともないものだった。

しかし、不安はむしろ無く、この旅の先で僕は何を見ることができ、成長をできるのか?僕は自分が思い描いていた計画を泣けなしの勇気を振り絞って実行できている自分に強い興奮を覚えていた 。

亀山駅に到着。急に後ろ髪を引っ張られているような気がして、元々は計画していなかったことを僕は突如決行するに至った。それは自宅に電話をかけ、この旅を母親に納得してもらうことだった。すぐに電話は繋がり、真っ先に

「ソーキ。帰ってきて・・・。」

母親の声のトーンは想像はしていないものだった。電話をする前は納得してくれるものと思っていたが、実際は悲痛の叫びだった。でも、俺は後戻りすることができなかった。半年も前からこの日にこの旅を決行するものと決めていた。「10日だけ待ってくれよ。僕を信じて欲しい・・・。」テレフォンカードが残高が無くなり、ピー。ピー。と無機質な機械音が公衆電話の受話器から鳴っていた。

「このテレカも母親からもらったんだっけ!?」


何度も言うが、行き先は特に決めていなかった。電車が走っている間はとにかく乗り継ぎを繰り返し、南の方面に行きたった。ポケットに入っているクシャクシャの路線図を見て、次の目的地を京都市の加茂駅行きに決めた。駅のホームでその日の夕食であるメロンパンを購入した。山から吹き込む冷たい風が頬にあたり、少しだけ震えていたが、いつも食べているメロンパン比べて数倍もの甘みを感じていた。

次の電車まで1時間30分。どうしても先ほどの母親の声が脳裏に残っており、もう一度、自宅に電話することにした。今度は学年主任もなぜだが僕の自宅にいた。母親はさきほどと同じ事を言っていた。今度はこっちから一方的に電話を切った。

「理解してくれない。言っても意味がない。」


加茂駅に着いた時には辺りはもう暗く、何も駅のホームからは見えなかった。すぐに次の電車も来たこともあり、僕は大阪方面に向かった。仕事帰りのサラリーマンの帰宅時間とも重なり、お酒を飲んだであろうオッサンは陽気でうるさく、その一方で疲れ切ったサラリーマンも隣におり、そのコントラストが当時の僕にとってはとても新鮮であった。駅の蛍光灯がいつもよりギラギラ光ってように見え、無言の大衆というものをマジマジと僕は観察することにした。

ここで僕は真っ直ぐ南に向かうのではなく、遠回りしても長尾駅を通ることにした。長尾駅の近くに父親のお墓があり、今回の僕の旅を父親だけにでも許してほしかったからだ。

長尾駅周辺で今回の僕の終点地を決めた。それは尾道。母親が初めて一人旅をしたところが尾道であったからだ。

※ 20歳の時にmixi日記で書いたものです



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