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僕がラグビー登山家になるまで 21歳 | 花園で学生クラブ日本一になった時の話。

高校時代の「夢」は花園でプレーすることだった。

そんなこともあり「花園」の地が学生クラブの東西のチャンピオンが日本一を決める舞台であるとのことを入部する前から聞いていたので、高校時代の雪辱をいつかは果たしたいとの思いでいた。

大学2年時。メンバーにも恵まれ、僕たちは関東学生クラブで快進撃を続けていた。キャプテンのリーダーシップの元、敵陣でプレーするキック主体の戦術で、ラインアウトからグイグイモールでトライをとる固い試合運びで僕たちのチームは連勝街道を突き進んでいた。昨年大敗したくるみクラブには「去年の負けを忘れるな」とキャプテンから発破がかかり、僕たちは激しいブレイクダウンを制し、勝利。同時に同リーグで優勝を決め、「花園」への挑戦権を手にした。

高校の時の「花園」の思いと、大学生の時の「花園」の思いは似ているようで意味合いが少し違っていたような気がする。高校の時は恩師のために「花園」に行きたかったのだが、大学では母親のために「花園」に行きたかった。

高校時代には朝早くからお弁当を作ってくれ、泥だらけのジャージを洗濯してもらい、怪我では病院の送り迎え、入院時では看病してもらっていた。女手一つで僕を支えてくれており、働きながらも懸命にサポートをしてくれていた。それをわかっていながらも、当時は当たり前のように思ってしまっていた。

浪人時代に喧嘩をしてしまっていたからこそ、今まであまり感謝を伝えていなかった母親に対して、横浜で一人暮らしをし、成長した自分の姿を「花園」の地で見て欲しかった。


2006年12月。対戦相手は立命館大学グラスルーツ。関西学生クラブの優勝チームであり、噂通り、手強い相手であった。

終始、点を決めたら、入れらるシーソーゲームの展開でトライ数では負けていたものの、キックの精度の差で35-34で僕たちは勝利した。人生って本当に面白いとその時強く思ったもので、高校時代、僕の夢を奪った対戦相手は今度は味方になり、プレスキッカーとして僕の「夢」を叶えてくれた。

「夢」であった花園の地で勝利をおさめ、学生クラブ日本一になれたことは、おそらく自分の人生の中で最もハレの瞬間であったものだと思う。

高校の時に見た「夢」を4年越しで実現できるとは愛知県決勝大会で負けた瞬間には想像できなく、志をを高く持ち続ければ、人生のどこかのタイミングでかつての「夢」を回収できるものかもしれないと思った出来事である。



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