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僕がラグビー登山家になるまで 16歳 | 地獄の菅平合宿の話。

高校2年生になると、後輩もでき、1学年上の先輩として、カッコ良いところを見せたいとの思いでいたが、現実は全くの逆であった。

僕は「潜って」いた。この「潜る」という言葉は母校のラグビー部特有の造語で、何をやっても上手くいかず、監督から叱咤を受け続ける状況を指す。

母校の監督というのは愛知県下でも指折りの厳しい指導で有名な方であった。一般的なラグビー部の監督でも恐いのに、他の学校のラグビー部の監督の方からも一目置かれるほどの存在であったと聞く。

後輩の前でも怒られ、試合時は当時付き合っていた彼女の前でも怒られ、とにかく我武者らに努力し、上手くなり、この状況を打破するしかなかった。
しかし、すぐには成果は出ず、何をやっても怒られていた。

当時の気持ちを正直に言えば、自分よりもパフォーマンスが悪いチームメイトも確かにいるのだが、なぜだかチームを代表して怒られるのか。とても心地良いものではなかった。むしろ、最悪な心境であった。

監督の厳しさというのは、中途半端な努力は認めなかった。監督が認めるところのパフォーマンスに達しないと絶対に認めてくれなかった。もちろん、上手く監督の目を掻い潜り、悪いパフォーマンスをしても平々凡々としているチームメイトもいる。それは世渡りが上手い奴で、大人になってもそうであり、逆に僕はかなり不器用な人間であった。

良いプレーもしているはずだと自分自身は思っているのだが、悪いプレーももちろんあり、監督の目はやっぱりそこに行く。僕はかなり長いこと潜っていた。

しかし、転機が訪れたのは16歳の夏合宿の菅平での出来事。

僕は3月に顎の骨を折り、顎にボルトを入れてそれまで練習や試合には参加していたのだが、菅平合宿の2週間前にボトルの摂取手術を行った。医者からはすぐに痛みは治るからと言われていたが、一向に治らない。当たり前だ。全身麻酔をかけ、首の皮膚を開口してボルトを取ったので、それ相当の身体へのダメージがある。それどころか全然口が開かなく、ご飯が食べられなかった。絶体絶命のピンチであった。合宿ではグランドでのトレーニングもそうだが、合宿所でのご飯も大切なトレーニングであり、食べられない姿が見つかるとますます潜ることになることは容易に想像できた。

合宿中では、連日に渡る試合で擦り傷や打撲はあたり前。モモカンで足を引きずりながら歩いている姿が情けないとの理由で合宿所の裏にあるダボスの山にラグビーボールを持って山頂まで走りに行かされていた。問題視していたご飯時は、ほぼ噛まずに気合いで飲み込んでいたと思う。身体的にも、精神的にも色々と追い込まれている状況下、僕はとうとう覚醒した。

タックルはガンガン決まり、ブレイクダンでは体格の大きい相手をはねのけていた。いつしか監督が僕のプレーを見て、怒りの表情から笑顔になるまでに至った。

気付いたら僕は涙していた。

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