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僕がラグビー登山家になるまで 15歳 | ラグビーとの出会いの話。

僕は小中までサッカーをしており、そのままサッカーをやる予定で僕は高校には入学していた。

しかし、どこの学校にでもあるようなラグビー部の猛烈な勧誘によって気づいたら僕はラグビー部の入部説明会に足を運んでいた。

当時の明和高校のラグビー部の顧問、横地先生が愛知県代表の監督も兼ねており、その先生が発する熱に僕は一瞬のうちに心が沸騰し、魅了されてしまっていた。

「今まで明和ラグビー部は花園に出場したことがない!?」
「新しい歴史を作るのは一年生たちの手にかかっている!?」


しかし、しかしだ。

ラガーマンの「あるある」だが、入部して半年も経つと数あるスポーツの中でなんでラグビーを選んでしまったのか自問自答の日々を過ごすことが多いのは事実だ。お昼休みにお弁当を食べたあたりから気持ちが重くなり、放課後のチャイムが憂鬱で、憂鬱でしかたなかった。
 
僕が高校の時にはスポーツ科学を取り入れられつつあった時でもあるが、良くも悪くも精神論はすぐになくなるわけでもなかった。当時のキャプテンが監督に甘えない、叱咤させないとの方針で、キャプテン自ら鬼のようなメニューを組んでいた。キャプテンが設定したありえない数のランパスにキャプテン自ら吐きながらも、他のメンバーを鼓舞している姿を見て、僕は逃げ出そうとはどうしても思えなかった。

水曜日のメニューであるモールゲームでは戦争を体験した身ではないが、おそらく戦場に行く時のような気持ちで毎回のぞんでいたと思う。高1という身体もまだ出来上がっていない時期は、部室で一息つき、気持ちを入れてからグランドに出たものだった。
 
最下級生ということもあり、グランド整備やボールの管理、、、数え上げれば切りがないが、かなり雑用も大変であった。

ただ、時が過ぎ、これほど人間は矛盾するものかというほど、苦しかった思い出は知らないうちに美化され、ラグビーは輝かしい青春として心に残っている。ラグビーだけでなく、学生時代、皆が経験していたスポーツはだいたい皆こんな感じだと思う。
 
ただ、ラグビーに関して言えばあれほどの非日常の世界はなく、擦り傷は当たり前、どこかを骨折しながらも毎日グランドに立っていた。あんなにも自分に鞭を打ってボロボロの身体を立ち上がり続けることなんて今までなく、あの時の経験があったからこそ嫌いだった自分自身をちょっぴり信用できるようになった。
 
ラグビーというものに凄い経験をさせてもらった。

だからこそ、ラグビーに対して恩返ししたいという気持ちがあったりする。

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