感情と思い出と居場所のはなし
今回は、自分が感じたことを後先考えずに書いてみようと思います。
元々語彙力も表現力もないので、読みにくい文章になってしまうかもしれませんが
自分の考えを整理していく目的でも、文章力を高める目的でも書いているので、ちょっとだけ付き合ってもらえたら嬉しいです。
この前、浪人時代の友達と当時頻繁に通っていた予備校近くのサイゼリヤに行きました。
浪人を謳歌していた当時、僕らは様々な感情をミラノ風ドリアとメロンソーダとともに大切に流し込んでいました。
志望校を決める要素になる大事な模試の自己採点。
受験後の春休みにちょっとだけ計画していたアメリカ旅行の話。
外部の友達とは精神的に隔離されていた当時の閉鎖的な人間関係の話。
20歳にもならない当時の僕らの全てがそこには詰まっていました。
今思い返せば模試の結果に一喜一憂する必要などなく、アメリカなんかには行けるはずもなく、大学生になればもう会わないような人に気を使ったりしていました。
それでも僕らは、本気でこれらに向き合っていました。
アメリカへの飛行機の値段なんかを何通りも調べていた当時を振り返ると、本気で海外旅行をやってのけるんじゃないかと思ってしまうほどのテンションの高さと熱量を持っていましたね。
今でもここに来ると、そのときの模試の結果が振るわなかった焦りや、旅行を計画していた高揚感、すぐ先にある未来に対する不安などをまるで、その場にいるように肌感覚で思い出します。
誰しも、場所や人や本、電車、ときには音楽などに「あの日、あの時の感情や気持ち」を鮮明に思い出させられることがあると思っています。
思い出なんかとはまた違った濃度で、記憶なんかとはまた違った思いを持って。
僕はこれを「居場所」なんじゃないかなと最近考えたりします。
生きていると通う場所が変わったり、習慣が変わったり、会う人も変わったりします。
「人の性格は7年周期で変わる」なんて話もどこかで聞きました。
よく自分探しの旅に出る人がいますが、「本当の自分」なんかもうどこにもいないのかもしれません。
それでも「あの日、あの時、あの場所で、自分がこんな感情持っていた」ことは揺るがないものだと思います。
それを「居場所」と呼んで、自分に迷ったときの導とすることもできます。
僕は1番好きな歌をここしばらく聴けていません。
あいみょんが歌う、「夢追いベンガル」という曲です。
1回目の受験期、塾の学生チューターと挨拶を交わした後によく聴いていました。
その頃は家族以外とする1日の会話(?)がその挨拶だけだった辛い時期でした。
人と関わらないことがこんなに精神衛生上良くないのかと痛感する毎日でもありました。
今でもこの曲を聴くと複雑な当時の感情を思い出してしまって再生停止ボタンを押してしまいます。
そんな理由でもう2年ほどフルで聴けていません。
それでも勉強に本気で取り組んだ時期のことを鮮明に思い出せる「居場所」として、1番大切にしています。
僕たちにはときには自分を見失ってしまうことも、取り戻せない過去ができてしまうこともあると思いますが
あいみょんは
「今の自分がどうかしてたってその時考えりゃいい」
と夢追いベンガルの中で歌っています。
僕らには裏切られない自分の「居場所」が必ずあって、何かあればそこに戻ればいいと思うので、夢を追ってベンガルのように生きていきましょう。
って話でした。分かりにくくて申し訳なかったです。
着地点を決めないと変な文章になってしまいます。
これもまた味ってことで、許してください。