江戸風情
もちろん僕は江戸時代を知っているわけではないのだが、その古い時代のさぞかし美しかったのであろう風俗や暮らしの、残り香のようなものを若い時代から探し続けていたように思う。
東京に移住した1970年頃は、そのような残り香を求めてよく浅草界隈を訪ね歩いたものだった。
母に縫ってもらった久留米絣の着物に、紺色の剣道袴、そして蛇の目傘に高下駄といういでたちで歩いている僕は、はるかな昔からタイムスリップしてきた青年のように見えていたかもしれない。
浅草にはその頃、まだまだ江戸の名残のような風景やお店も残されていたのを思い出す。観音様の裏の小路にあった『暮六つ』という店などはその典型で、そこにはよく通ったものだった。
ある日そこで一人で飲んでいたら、隣の席の見知らぬお姉さんが「あなたもお飲みなさいな」と、自分たちの飲んでいるお酒を注いでくれたこともあった。
そんな人情があの頃の浅草には、どこにでもあったように思う。
京都時代には汁の美味しいうどんを好んでいた僕だが、東京に暮らすようになると食の好みにも変化があり、いつしか蕎麦好きになっていたのである。
神田に出版社での仕事の帰りには、淡路町に残された江戸の雰囲気を楽しみに出かけた。
蕎麦ならば『藪蕎麦』や『まつや』に、またアンコウ鍋の『いせ源』そして鶏すきの『ぼたん』、そして甘味の店で揚げ饅頭の旨い『たけむら』などにも良く出かけたものだった。
一度まだ7歳くらいだった息子と一緒に『まつや』でそばを食べていたら、昔ながらの装束の大工の棟梁が入ってきた、道具が入った木箱を足元において、まずは焼き海苔と味噌でお酒を飲みだすのだが、海苔を口に運んでぱりっと噛みちぎるしぐさに息子は感動したらしく。その後しばらく海苔を食べる時にその真似をしていたものだったな。
僕はその棟梁のような、粋な男たちの雪駄の履き方に感動したことがあった。下手に雪駄を履くと底に張られた金属の部分が、ちゃらちゃらと音を立てるのだが、上手な人は音をあまり立てずに歩くことができるのである。
それをまねた歩く練習をしたのだが、それにはコツがあって、親指と人差し指で鼻緒をきつく挟まねばならないのだった。最初は指の股が痛くて仕方なかったが、そのうちに少しずつ上達することができたのだった。
京都の正月時に散歩をしていて、芸妓さんや舞妓さんの正装をする姿を見て、僕も少し春めいてきたら着物を着て、江戸風情を味わいに神田かいわいに出かけたくなった次第。