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『香港の未来』

 初めて香港へ旅行したのはもうずいぶん昔のことで、おぼろげな記憶をたどると、おそらく1980年くらいのことだから、今から40年も前の事になると思う。
 東洋の真珠とたとえられた当時の香港は、まさに自由貿易港として、またアジアの金融都市として発展していたうえに、長らく英国の租借地としての歴史を刻んだ建物などもあり、特に香港島などはそのエキゾティックさが魅力だったものだ。
 その時代の香港への空の旅の着陸はスリル満点なもので、ビルが林立する香港市街をかすめながら啓徳空港に降りていくのだが、それがまた香港にやってきた、という気分を高めてくれたものだった。


 当時の僕の興味の中心は、たとえば免税処置により、スイスの高級時計がどこよりも安価に手に入るということや、日本に未輸入の品物がたくさんその街にはあふれているということ。
 ちょっとしたスイス時計などを買い物すると、税金分のお金で、飛行機代が出るという、ありがたい話も合ったくらいだ。またその頃興味を持ち始めていた中国茶の茶器の博物館や、珍しいお茶を扱う『楽茶軒』などの専門店があることなどであった。
 もちろんその街は広東料理を中心とした美食の世界であり、日本ではいただくことができない、様々な中国各地の美食に出会えることも、大きな魅力であった。
 伊丹十三の随筆を読むと、香港に珍しい食材を買うための旅をするという話があり、本格的な食通とはそういうものかと感心したのもその頃のことだ。

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 その街では人々の多くが早足で歩き、彼らが話す広東語のテンポの良さも耳に心地よく響いてきたものだった。特に携帯電話が登場すると多くの人が、仕事の取り引きのためにだと思われるが、大ぶりの携帯電話を片手に大きな声で話ながら歩く姿の、エネルギッシュさに驚かされたものだった。
 香港の電話といえば、多くの人がちょいと拝借と、お店の黒電話を借りて通話をするのにも驚いた。それはお店からのサービスの一つらしく、もちろん香港市内への通話に限りなのだが、なんともおおらかなその感じにも驚いたものだ。

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 ある意味香港は時代ごとの混乱に翻弄され、そこに逃れてきた避難民が作り上げた都市であったともいえる。
 古くは中原の政争に敗れた人々が、客家と呼ばれる流浪の民として大陸を南下し、廣東省や福建省の山間部に移住した人々の一部が、現在は新界と呼ばれる、香港北部に集落を構えた。
 その後も大陸の混乱の時代を逃れてきた人たちが、肩を寄せ合って作り上げた自由の聖域が香港だったのだ。
 特に中国を二分する、国民党と共産党の内戦の時代に、多くの人がこの狭い自由都市に、安寧の地を求めてやってきた。

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 何度も香港に足を延ばすうちに、その美食の町の魅力に見せられ、また骨董家具や、多くは仿造品と呼ばれるコピー物だが、お茶に関する陶磁器集めの楽しさをこの街に来て知り、遊ぶようになっていった。
 しかしそうするうちに、自由の町である香港が、英国による99年の租借期限が迫り、中国との返還交渉が始まることになった。
 そして返還後は香港の自由を最大限に約束する、一国二制度という大陸側の話を知って、50年はそれまでの香港らしさは持続されるというが、きっとその約束は反故にされるに違いないと、僕は危惧するようになった。


 返還の時代となると香港人の多くが、若い世代を中心にあっという間に北京標準語を話すようになったのにも驚いた。香港の中国化が始まろうとしているのは明らかだったからだ。
 そして返還からわずか25年で、様々な締め付けが始まり、それに反発する若い世代が『雨傘革命』を始め、そしてその思いもむなしく香港はどんどんと本土化の嵐にさらされていったのであった。
 ついにアップルデイリーという、自由な言論を張っていた日刊紙の社主が逮捕され、新聞も廃刊に追い込まれるという、まことに時代に逆行するような、民主主義否定の嵐が吹き荒れている。

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 一昨年前の年末にヴェトナム旅行の途中に立ち寄った香港で、レストランで隣り合わせた僕と同世代と思われる、日本語が話せる香港の人が、香港の若者には公方がない、この土地にとどまるにも住宅難で、家賃は高騰するし、仕事も見つけにくくなっていく。彼らの未来は暗澹たるものなのですという話に、「嘘つきは泥棒の始まり」という言葉を思い出し、僕は新底悲しい思いになったものだった。
 このような文章を書くと、もう香港に出かけることができなくなるかもしれない。中国に逆らうものには懲罰を与えるという話だからだ。
 だが僕はこのような事にも、いつか終わりが来ると考えている。
 それは中国自体が劇的な変化を迎えるかもしれないからであり、これまでの歴史がそれを証明しているからだ。

 あの国が革命を繰り返してきたのは紛れもない事実であり、困難な時代をくぐりぬけたところにこそ、真に幸福な時代が訪れるはずだからなのだ。

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