『白い馬』
僕の小学生時代には学校の講堂で、いろいろと素晴らしい映画を見せてくれたものだった。
中でも印象に残る映画が、アルベール・ラモリス監督による、1953年の映画『白い馬』である。
南フランスの地中海沿いの、大湿地帯カマルグは、大自然が今も残されており、そこには野生の馬が生息している。
映画ではその野生の白い馬と少年の友情が描かれるのだが、その馬を手に入れようとする大人たちがいて、馬と少年は追い詰められ、地中海のかなたに消えてしまうといった物語だったと記憶する。
その抒情的な映像の世界を、この目で見ることなど想像もできなかったのだが、人生というのは面白いもので、そのカマルグの大湿原に僕は旅することができたのだった。
最初のカマルグとの出会いは、BRUTUS誌の地中海特集の取材行で、堀内誠一さんのたっての希望で、毎年初夏に開かれる地元の人々とジプシーが共に行う、サント・マリー・デ・ラ・メールの祭りを見に行くというものだった。
どこまでも眼前に広がる大湿原の彼方に、確かに野生の馬たちがいたし、またガルディアンと呼ばれる、男たちが野生馬を飼いならして載るのも見ることができた。
このガルディアンという人たちのいでたちは、まさにウエスタン映画のカウボーイの原型のようで面白かった。
頭にはテンガロンハットのような幅広のつばのある帽子、ジーンズの原型のようなニーム産の綿のパンツ、ソレイアードの生地に代表される版画らプリントのシャツに、ブーツというスタイルは、まさにカウボーイのそれだった。ニーム産の綿というのは、デニムのことで、その生地は正確にはデ・ニームということなのだ。
白い馬に乗ったガルディアンが先導し、そのあとに地元の人と、この日のためにヨーロッパ各地から集まってきたジプシーの男たちが、教会から持ち出したマリア像をのせた輿をかついで、海のほうに練り歩いていく。
そして彼らはそのまま海に入っていくのだが、それはこのマリア様が、どこからかこの地に流れ着いたという、伝承に従ったものらしい。
それを見て僕は、浅草の観音様が、川から流れついたという伝承を思い出し、物語の始まりが異なる世界でも共通しているということに、面白みを感じたものだった。
そしてそのまたその数年後、当時ニーム市の都市計画のチーフをしていた、友人の建築家ジャン・ミッシエル・ウイルモットの、仕事ぶりを紹介する、テレビ番組の取材のためにニーム市とカマルグ湿地帯を訪ねたのだった。
ローマ時代の遺跡がたくさんある、歴史的な都市であるニームはその頃市政を担っていて、ダイナミックな仕事をしていた、ブスケ市長の肝いりで、近代化と歴史を調和させる、都市計画が進められていて、とても興味深い世界が展開されていたのだ。
すると、思いがけないことに紹介されたのが、あの『白い馬』の原作者のひとりだったという、ドニ・ド・コロンさんだったのだ。
その旅で僕が泊まった、カマルグの宿を営んでいた彼に、子供の頃の感激を伝えると、明日の夕方からパーティーがあるから、そこに招待するよとの話になった。そしてそのパーティーには、映画で少年役をした人にも紹介され、子供時代のことを思い出す素晴らしい機会となったのだった。
ドニさんはパリの由緒ある、旧貴族の家庭に生まれ、文学の道に進んだが、20代の若き日にカマルグの野生世界に魅了され、マ・ド・キャシャレルという、美しい環境に建つこの宿を手に入れたのだそうだが、確かにそこは静けさにあふれる、心を洗われる土地なのだった。