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遠ざかる楽園

「ここ、回答が抜けているけれど?」

初老の男性スタッフが少々お怒り気味の表情を見せ、書類を差し出す。
しまった。旅行に行けなかったらどうしよう。
怒られたショックよりも、その心配の方が大きかった。

ここはアメリカ大使館。一週間程前に申請した観光ビザを受取りにきたのだった。

「すみません。“いいえ”です」

申請書類の質問事項にひとつだけ記載漏れがあったのだ。スタッフはにっこり笑って、スタンプが押されたパスポートを私に差し出した。これで旅行の準備は整った。
アメリカ大使館まで赴いて一体どこへ行くかというと、なんてことはない、ハワイである。遡ること37年前。4泊6日のハワイ旅行でも、ビザが必要な時代だった。もう一度言うけれど、ESTAではなくVISAが必要だったのである。
当時、パシフィックビーチホテル(現在はアロヒラニリゾート)利用で、16万円くらいだったろうか。私は花の女子大生。当然、そんなお金はない。

「友達とハワイに行きたい」

と言ったら、父がポンとお金を出してくれた。正直に言えば、当時、私は相当なすねかじり娘だった。
憧れのハワイ航路の時代に青春を送った父は、ずっとハワイに行きたがっていて、その夢を私に託したのである(と、理由付けしてみる)。

その数年後、VISAは不要となり、どんどん円高が進み、90年代後半には、3泊5日で¥39,800などという超格安ツアーも売り出された。
ハワイは、日本人にとって、とても身近なリゾートになったわけである。

さて、今年度も有休が余りそうなので、一人旅でも行こうかな、と画策し始めた。コロナ騒動も落ち着いたことだし、久しぶりに海外へ行っちゃおうか。
ギネス級方向音痴の私が一人で行けるのは、何度も訪れたことがあり土地勘のある場所。
となれば、ハワイ・オアフ島しかない。
航空券はマイルで取れる。ホテルはどうしようか……と、予約サイトを見て腰を抜かした。

最後にハワイへ行ったのは2020年1月。パンデミックの直前のこと。どのホテルも、その頃より30%以上は値上がりしている。格安だったサンドビラやアストン系も経営が変わってリニューアルし、ここぞとばかりに宿泊料を吊り上げた。
そして、久しぶりにハワイへ行った方々から現地の状況も続々と耳に入ってくる。

ポケ丼が3,000円とかレストランで食事したら2人で50,000円とか……。一般庶民にはとても無理な話。

円安、恐るべし!!

今の円安はちょっと異常だけれど、US$1=86円なんて時代はもうこないのだろう。

日本人にとって、国内旅行より安上がりだったハワイは、遠い場所になりつつある。

ハワイは、極一部のセレブな人間だけに許された楽園になってしまうのだろうか。
憧れのハワイ航路ならぬ、憧れのハワイ空路なんて言葉が生まれるかもしれない。

これはハワイに限ったことではないし、旅行にだけ影響が出るものでもない。

外国人観光客が高級寿司やA5ランク和牛を食べ、日本人は回転寿司と安いオージービーフで我慢する、という図式が既に出来上がりつつあるのではないか。
何もかも、お馬鹿な政治家のせいだ。まあ、きゃつらは死んだら地獄へ行くんだから、生きているうちにせいぜい楽園を楽しめばいいさ、と悔し紛れに呟いてみる。

有休取ったら、時間をかけてお散歩でもしよう。歩くだけなら無料だしね。

ところで、その後すねかじり娘は改心して、初ハワイから十数年後、自分で稼いだお金で父親をハワイに連れて行った。
めでたし、めでたし。


ワイキキビーチに寝転びたいな(*・ω・)

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