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見世物小屋ファンタジー

11月。それは酉の市の月。
酉の日が週末に被ったら、必ず花園神社の酉の市に顔を出している。
七味唐辛子を買うのが主な目的なのだけれど、コロナ以降、どんな祭りも屋台が減り、去年も今年も唐辛子に出会えなかった。

仕方ないので、境内の適当な店に入って酒飲んで帰ることにする。
バラック仕立ての臨時居酒屋。当然、お祭り価格。
プラスチックカップの生ビールが600円。あれ、代々木公園のイベントとそう変わらないか。焼き蛤2個で800円はもはや高いのか安いのかわからん。楽しく飲めればそれでいい。

ほろ酔い気分でお会計して、大鳥居を抜けようとした時だった。
あー、今年もあったよ! 見世物小屋!!

花園神社の酉の市に来るようになって久しいけれど、入ったことはない。興味はあった。でもなんとなく、本当になんとなく通りすぎていた。
一度くらい見てもいいかも。いや、見たい。ええい、いっちょ入ってみるかと、酔った勢いで900円を払い、怪しげな灯りが揺らめく入口を抜ける。そこに待っていたのは、思っていたより賑やかで楽しげな雰囲気の舞台。
まず登場したのは謎のインド人(顔を塗ってるだけで絶対日本人)。蝋燭の束に火をつけ、口に含んで消す。
この後、ホチキス針を刺しても平然としているOLさん→ミミズ食うヤモリ女→串刺し男→原始人と続く。
これが延々と繰り返されるわけで、演目が進むにつれ、観客も入口から出口へと移動していく。
なるほど、昔はこの流れで「お代は見てのお帰り」だったわけだ。

偏見と言われるかもしれないけれど、日常の生活で見れるものではない。
例えば電撃ネットワークも同じく体を張った芸だけれど、ちょっと違う。
電撃ネットワークが現実の世界で、私たちと同じ地に立って芸を披露しているに対し、この日見た見世物小屋の演者は真裏の世界に居て、祭りの時にだけ地上に姿を現している。
そんな感じ。
あるいは、小屋に入った瞬間、私たち観客が、彼らの居る真裏の世界に導かれてしまっていたのか。

笑いの中に、微かな戦慄を覚えた数十分だった。

外に出た瞬間、祭りの喧騒に触れ、現実に引き戻されてなぜかちょっとほっとする。

来年もまた見たいような、これきりでいいような、ふわふわとした妙な気分。
それはきっと飲み足りないせいだ。
屋台のおやきを買って、家に帰って飲み直そう。
そして来年こそは七味唐辛子を買えますように。

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