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とるにたらない話 #ハッピーになるかもしれない朝エッセイ

とるにたらないもの

脱ぎ散らかした靴下
娘の鼻歌
夫の話し声
息子の笑い声

読みかけの本
出しっぱなしのマニキュア
しまい忘れた夏服
書きかけのnote

犬の鳴き声
キンモクセイの香り
隣の晩御飯
細い三日月

こんがり焼けたトースト
黄色い目玉焼き
淹れたてのコーヒー

今日も生きてる私

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クニミユキさんが、書かれていたポエムが素敵だったので、真似してみました。

ミユキさんのとるにたらないものを読んで、思い出したのが「春はあけぼの!!」から始まる、清少納言の枕草子。
そこに、好きなもの、嫌いなもの、素敵なもの、嫌なものがたくさん羅列されているんです。
高校生のころ、橋本治さんの「桃尻誤訳 枕草子」を読んでから、「いつか、あんな随筆が書きたい」と思っています。

今回、真似させてもらって、ちょっと清少納言の気分に浸れました。
(ポエムなのに、随筆を思い出してごめんなさい)

さて、詩ですが、随筆は好きなのに、詩には苦手意識を持っていました。詩は言葉が少なくて、作者の意図を読みづらいからかなと解釈していたのですが、ミユキさんのnoteに引用されておられる詩の先生のnoteを拝読して、詩の楽しみ方を間違っていたと気づきました。

それぞれの「とるにたらないもの」や詩の解釈はちがう。
それでも。
経験したことないけど、わかる気がする。
自分はそうは思わないけど、でもおもしろいと思う。

「"詩は、小さくうなずくこと"」

枕草子の中に「銀の器で食べるかき氷が素敵!」というくだりがあるんです。
銀の器でかき氷を食べたことがないけど、おいしそうな感じがします。
暑い京の都で、かき氷でキンキンに冷やされた器の冷たさを手のひらに受けながら食べるかき氷、想像しただけで至福。

経験したことがないけど、「なんかわかる」と小さくうなづくことが、詩の楽しみなのだそう。納得。

どこで小さくうなづくかは、読み手それぞれ違うはず。それでよくて、それがいいのが詩なんだそう。

詩に限らず、誰かの書いた文章を読むとき、どこでどう共感し、感動するかは読み手の自由。
学生時代の国語の時間のように「著者の意図」なんて慮らなくていいんです。逆に、「読者の意図」も忖度しなくていいってことです。
自由に読めるから楽しい。自由に書けるから楽しい。

今日のこれも、とるにたらないnoteの片隅のお話。


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RUMI
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