#幸せをテーマに書いてみよう 〜私は生きている
「では、麻酔をかけますね。数を数えますから、聞いていてくださいね」
先生は、私の口と鼻にプラスチックでできた大きなマスクみたいなものを乗せた。
先生の声がする。「1、2、3……」
それ以上は聞こえなかった。
今年の4月に、人生初の全身麻酔を体験した。
「ルミさん!」
私の耳元で、私の名前を呼ぶ声がする。
「はい」
と、返事がしたくて、頭を動かそうとするが、思うように動かない。
「ああ、大丈夫ですよ。そのままで。聞こえてますねー。終わりましたよー」
朝、手術台に乗ったはずなのに、気がついたら、お昼を過ぎていた。
意識のなかった数時間、私はどこにいたんだろう。
ストレッチャーで運ばれて、病室に戻った。
小さな穴とは言え、内臓にまで達する手術痕は、相当痛い。
口に当てられた酸素マスクは、しゃべることはおろか、息をすることさえ邪魔して、とても煩わしい。
点滴やいろんな管を付けられた体は、寝返り一つできず、ただじっと天井を見ているだけだ。看護師さんに処置されるがまま、小人に縛られたガリバーのように、ただベッドに張り付けられている。
でも、私は、ちゃんと生きている。
今の私は、何にもできないし、痛いし、煩わしいし、だるいし、お腹はすいているし、いいことなんか何にもないけど、目が覚めて、こうしてベッドで寝ていて、痛いなあとか、しんどいなあとか、退屈だなあと思えることが、生きている証拠。
痛いってわかる。動けないってわかる。
家族や友人が心配してくれていることを、ありがたいと思う。
子供たちは、ちゃんと学校にいったかなと心配する。
退院したら、大好きな友達と快気祝いをやろうとワクワクする。
夜、一人ぼっちで眠れなくてさみしくなる。
ベッドの上で、いろんな感情が通り過ぎて、いろんなことを考えている自分がいる。
それもこれも、今、生きているからできること。
でも、もしかしたら、手術がうまくいかなくて、意識をなくしたまま死んでいたかもしれない。
手術の後、摘出した病変の検査結果を先生から聞いた。
気づかず、ほおっておいたら、命にかかわる病気になっていたかもしれないという。
「人は、たまたま生きている」という言葉を、聞いたことがある。
私もたまたま生きていて、あなたもたまたま生きている。
明日どうなるかわからない、それを繰り返して、今日、ここに生きている。
それって、すごいことじゃない?
だから、生きていること、それがもう奇跡で、幸せなんじゃないかと思うのだ。
幸せの反対は、生きていないこと、意識がないこと、つまり死んでしまうこと。
生きていると、人は喜び、悲しみ、怒り、楽しみ、歌い、踊る、泣き、笑う。
それって、幸せという山を歩きながら、喜怒哀楽という花を見つけだすようなもの。
今日は、嬉しいの花。明日は、怒りの花、そして明後日は、楽しいの中に哀しいが混ざっている花。いろんな思考や感情を、幸せの山を歩きながら、見つけて摘んでいく行為なのかもしれない。
幸せはどこにある? 青い鳥はどこにいる?
もう探さなくていい。
幸せは、私の隣にいる。
もしも、集めた花々を両手いっぱいに抱えて、「ああ、面白かった」と言いながらこの世を去れるなら、その瞬間が人生最高の幸せに違いない。