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思い出のスニッカーズ

「スニッカーズ食べていい?」
朝ごはんが物足りなかったのか、冷蔵庫をのぞき込んで、娘が言う。
「いいよー、元気の素だから食べて食べて」
「なにそれ」
娘が「ちょっと何言ってるか分かんない」という顔で、袋入りの小さいスニッカーズを出してきた。
スニッカーズは元気の素、なんて勝手に思うようになったのは、高校時代のあの時から。

1990年代初頭、私の通っていた高校の修学旅行はスキー研修だった。
バブル期のスキーブームについては、先日、あらしろひなこ(ひな姉)さんが詳しく書かれていたのでそちらをどうぞ。


早朝に出発したバスが、スキー場のある県に近づいてくると、雪が降り始めた。私の住む町は冬の間に数えるほどしか雪が降らない。積もることなど年に一度あるかないか。
バスの車窓からは、しんしんと降る雪がめずらしくて歓声をあげた。
「さすが雪国は、たくさん降るなあ」
悠長にそんなふうに思っていた。

夕暮れが差し掛かった。予定では、そろそろ到着するはず。でも、バスはトイレ休憩のためにサービスエリアに停まったまま、一向に走りださない。

サービスエリアの駐車場で教員が話し合っている姿が、バスの窓から見えた。何か起きたらしい。そして、担任が告げた。
「スキー場に向かう山道が、大雪で封鎖されました。封鎖が解けるまで、ここで待機します」

当時は携帯電話もスマホもない時代。
学生の私たちは現状を知る手段が全くない。
引率教員がどんな情報を得て、どんな話し合いを続けているのか何も知らされない。不安なまま、時間だけが過ぎていく。
深夜になり、バスの席で眠ろうと努力するが、窓から入る豪雪地帯のすきま風は、私の住む南国の町のそれとは全然違っていて、肌をつき刺すほど冷たくて、眠れない。
リクライニングを倒したくても、後ろのヤンキー同級生が怖くてできない。
それでも、うとうとしていると、ふいにバスのエンジン音が大きくなった気がする瞬間があって、「いよいよ走りだしたか」と期待して目を開けるけれど、景色は全く変わってなくてがっかりする。朝までその繰り返しだった。

ついに朝が来て、どこから調達したのか、500人分のおにぎりとお茶が配られた。一番心がすさんだのは、トイレ。古いサービスエリアのトイレは汲み取り式で500人の学生には、完全にキャパオーバーだった(思い出してもぞっとする)
今でも、トイレがきれいな所しか行けないのは、この時のトラウマかもしれない。

再びバスが動きだしたのは、翌日の夕方だった。結果、サービスエリアで丸1日過ごしたことになる。
のろのろと大渋滞の山道を、チェーンを付けたバスが進む。走っては止まり、また走っては止まる。反対車線も、スキー場で足止めされていた車が、数珠のように連なって下っていた。
てっぺんのスキー場に到着したのは、深夜0時を回っていた。元気だけが取柄の16歳たちも疲労困憊。風呂にも入らず、バタンキューで寝た。布団で寝られるってこんなに幸せだったのかと思った。

翌日からスキー研修が始まった。
昨日までの疲れを引きずったまま、レンタルしたおそろいの(野暮ったい)ウエアに着替えスキー場に集合した。10人程度のグループに分かれ、インストラクターに付いてレッスンが始まった。
若い女性のインストラクターは、私たちに言った。

「通常なら3日かけてボーゲンができるように教えています。ですが、皆さんは到着が遅れたため、2日しかありません。でも、全員できるようにします。なのでスパルタで教えます」
本当にスパルタだった。
まず最初に、ストックを取り上げられた。ストックを持つと、ついストックに頼って、体幹でバランスをとる練習ができないからという理由。
ストックをなくすと、体がぐらついても体勢を立て直せない。何度も何度も転んでは起き、転んでは起き。
髪の毛やまつげがカチコチに凍っても、雪がふぶいて視界がゼロになっても、レッスンは日暮れまで続いた。

全身筋肉痛、アザだらけの翌朝。
昨日の続きのレッスンを数時間こなした後、インストラクターが言った。
「皆さん、そこそこ滑れるようになったので、コースに出てみましょう」
初めてのコース。
これまでは、インストラクターや同級生の目の前で、数十メートルを滑るだけ。転んでもそこで起き上がって、歩いて元の位置に戻ればいいだけだった。
けど、コースに出て滑り始めたら、転んでも、雪に突っ込んでも自力で起き上がって最後まで滑りきらないといけない。
昨日始めたばかりのおぼつかない技術で、ジェットコースターのようなコースを行く。覚えたてのボーゲンで、のたのたとコースを下った。
何度もしりもちをつく。コースアウトして新雪に突っ込む。新雪は柔らかくて、スキー板がついた足と体がヨガのポーズのようにこんがらがって、なかなか抜け出せない。使ったことのない筋肉を使って必死で抜け出して、立ち上がり、また滑り出す。ベテランが「邪魔」と言わんばかりに、私を押しのけて通り過ぎていく。

無心で、必死で滑った。ついに、ゴールが見えた。
先に到着した同級生とインストラクターが待っていた。
息が上がって、外気は氷点下なのに、体が熱い。汗だくだった。体のあちこちが痛い。
雪に倒れこむようにゴールした。
私の二日間のスキーレッスンは終わった。

全員がそろって、輪になって座った。
「皆さん、たった2日でよくここまでできるようになりましたね」
インストラクターがほめてくれた。
「お疲れ様。これ、食べましょう」
彼女が細長いお菓子を配ってくれた。
手袋を脱いで、袋を開けた。袋はひんやりとしていた。
どうやらチョコレートバーのようだ。
口をつけるとチョコの甘い味がした。思ったよりもバーが固かった。ぐっと力を込めて噛むと、粘っこい触感とキャラメルの味がした。カリンと口の中で音がして、何かを噛み砕いた。チョコとキャラメルの奥にナッツの味がした。
おいしい!! なにこれ、めっちゃおいしい。
チョコとキャラメルの甘さが体にしみる。ナッツの触感が楽しい。
疲れと空腹が一度に解消された。頭の中の吹雪がやんだ。

これは一体なんていう食べ物だろう。もう一度袋を見た。
「SNICKERS?」スニック……? 
「スニッカーズ、おいしいでしょう」
ああ! 知ってる! 「お腹がすいたらスニッカーズ」ってCMしているやつだ。そうか、これが!
こんなに元気が出るお菓子だったのか。

「ねえ、スキー研修の時、スニッカーズ食べた?」
同級生だった夫に聞いてみた。
「食べた、食べた。あの時のスニッカーズ、めちゃくちゃおいしかったよな」
「分かる。世の中にこんなうまいものあったんかって思った。疲れがふっとんだよな」
娘が黙々とスニッカーズを食べている横で、夫と20年前のスニッカーズ談議に花が咲いた。
「あれ、たった1本で248キロカロリーもあるんだよな」
夫が、スマホでスニッカーズの栄養成分をググる。
「糖と脂肪、へとへとの時には、最高の食べ物なはずだわ」
元気の素。間違いない。
息子の試験の日の朝に、「がんばれよ」の気持ちでミニサイズを持たせる。
食の細い娘に「これで精がつけば」と「スニッカーズ食べる?」と勧める。

私もたまに無性に食べたくなるけど、大人になった私にはカロリー過多。
ミニサイズのみ、たまにご褒美として許している。

でも、16歳のときに食べたあのスニッカーズの味には、かなわない。


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ひな姉、あきらとくん、きっかけをくれてありがとう。


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