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相性100パーセントというお守り

「飲むよ、飲むよ!」
泡と琥珀色のビールを割合をきっちり3:7に注ぎきって、満足げな顔で夫がこちらを向いた。
「え、もう先に飲んじゃったよ……」
口についた泡を手の甲で拭って、返事する。
だって、待てないんだもん。
「はぁ?! もう!」
一瞬、ふてくされた顔をした夫が、ビールをグイっとあおる。
私も2口目を飲む。
「はー! 最高!」
半分空いたコップをドンと同時にテーブルに置いた。

校舎の4階の窓から、校庭を歩く人影を見つけた。
彼の名字を大声で呼んだ。
自分の名を呼ばれてきょろきょろしている。
「おーーーい!!」
もう一度呼ぶと、やっと気が付いたのか、上を見上げる。目が合った。
「もう、そんな遠いとこから呼ばんといて! 恥ずかしいから! ほんで、なんか用なん?」
昨日と同じ返事が返ってくる。
「今日も、放課後に行くからー」
「はいはい、どうぞー。っていうか、なんで僕だけ呼び捨てなんよ……」

高校3年の夏、私には放課後に行く所があった。
それは、コンピュータ部の部室。先ほどの彼と彼の友人が所属する。
同級生の紹介で放課後、彼の部室に遊びに行くようになった。
部員でもないのに、数人の同級生が入り浸っていていた。
コンピュータ部のメンバーは、パソコンでソフトウェアを作ったり、絵を描いたり、活動していた。
当然、部員でもない私たちにパソコンは与えられていない。
私たちは、パソコンをいじる彼らの隅で、宿題したり、漫画を読んだり、おしゃべりしたり、試験勉強したりしていた。

彼は毎日、パソコンのキーボードを打っていた。

小学生のころ、私は世の中に登場したパソコンなるものにものすごく興味があった。なんでも「プログラム」という命令を入力すると、命令どおり文字が表示されたり、ゲームが作れたりするらしい。へえ、かっこいい。
当時、パソコンはまだ、一人1台どころか、一家に1台もない時代。それはとても高価なもの、我が家の経済状況では到底手に入れられないものだった。
そんな私にとっては夢のような道具を、彼は自分の体の一部のように扱っていた。
ガリガリに痩せて、「もやしっ子」を絵に描いたような背格好。鼻ばかりが目立つ横顔。大きな箱のようなブラウン管のディスプレイを凝視しながら、タッチタイピングでキーを打つ。

「そういや、何のソフト作ってるん?」
「文化祭用のゲームソフト。簡単な相性診断ができるようにしようと思って。1回50円」
「えー、お金取るん?」
「当たり前。部活の活動資金、稼ぐんよ」

彼が作った相性診断ソフトは、文化祭で大人気となった。
いつも静かな部室に、次々と人がやってきた。
自分と相性のいい子が誰なのか、自分の好きなあの子との相性はどうなのか、みんな興味津々。
友達と結果を見せ合う子。一人でこっそり確認する子。
いい結果がでても、悪い結果がでても、場が沸き立った。
相性診断ソフトのおかげで、コンピュータ部は大もうけしたらしい。

そして、高校3年の秋は終わり、私たちは別々の将来に向かって進んだ……はずだった。

すれ違った瞬間、
「あっ」
お互いの目が合って、同時に声を発した。そこにいたのは、彼だった。
「久しぶり」
そう言って手を振ったのは、私のほうだった気がする。
「髪、どうしたん!? 切っちゃって。それにメガネもなくなってる」
髪を切り、メガネをやめた理由を話すのが恥ずかしくて、一瞬沈黙した。
「遠くから、カワイイ子が歩いてくるなって思ったら、ルミさんだったから、びっくりした。髪型似合ってるよ」
ついにすったもんだしていた彼氏とふられたかと、笑われると思った。
でも、彼は何も言わなかった。
「ああ、イメチェンしてみた。彼氏と別れたし、暇になったから、また遊ぼうよ」
あははと笑って、ごまかした。
でも、彼は私を笑わなかった。
ちょっと嬉しそうにニコッとして「うん、じゃあ、行こう」って言った。
「じゃあまたね」
バイバイと手を振って、すれ違った。
高校を卒業してから2年。
わずか十数秒の再会だった。
数か月後、私たちは付き合うことになった。

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彼は大学を卒業したら、地元のベンチャー企業で働くことを希望していた。
地方のベンチャー企業の経営の不安定さは、都会のそれに勝る。
せっかく自分の好きな分野で大学を卒業し、長い年月をかけて磨いてきたスキルを生かせないのは、彼の今までの人生を捨てるようなもの。
ならば、私が安定した職業に就いて、彼を支えてやろうじゃないか。
一度失敗した就職試験に、もう一度チャレンジしようと思わせてくれたのも彼の存在だった。
それから寝食を忘れて就職試験の勉強をした。
苦手だった理系科目は、彼が自分の大学の研究の後に、電話で夜通し教えてくれた。
私は就職試験に合格し、彼も希望の会社に就職した。

そして数年後、私たちは結婚した。

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結婚して気づいたけれど、私たちに、お酒のほかには、あまり共通の趣味がない。
相変わらず、私はコンピュータもプログラミングも分からなくて、夫がキーを打つ横顔を眺めているだけだし、夫は私の書いた文章を読まない。
夫はミステリー小説が好きだけど、私は恋愛小説やエッセイやビジネス書が好き。音楽の趣味もイマイチ合わない。夫は根っからのインドア派で、友達も多くなくて、ずっと家にいられる人。私は、時々、外に出ていろんな人と話さないと息苦しくて死にそうになる。

そんな私たち夫婦の、唯一の共通の趣味は、お酒を飲むこと。
まだ2人で暮らしていたころは、週末、よく飲みに出かけた。
キッチンに小さなバーカウンターをこしらえて、深夜にバーの真似事をして楽しんでいた時期もあった。
子供が生まれてからは、近所の居酒屋に子連れで通った。

家を建て郊外に引っ越してからは、歩いて行ける距離に飲み屋がなくなったので、家で飲むようになった。
はじめは、子供が眠ってから、海外ドラマを見ながらポテトチップスをアテに飲んだ。家事と育児に疲れて、最後には夫にもたれて眠ってしまう。
子供が少し大きくなってからは、晩御飯と一緒に。
「おうち居酒屋」などど勝手に名前を付けて、毎週末、その日飲みたいお酒に合わせて、本で、ネットで、口コミで聞き習った料理を、4、5品用意する。子供用にはジュース。
時には、娘や息子と将来について話したり、グチに付き合ったり(主に夫が聞き役)
そんなありきたりな家族のだんらんが今は楽しい。

「ルミさんといると、楽なんだよなぁ」
つきあい始めたころに言われた。
女の子といると、男らしくしなきゃとか、彼氏らしくいなきゃとか思うらしいけど、私といるとそういうのを考えなくていいらしい。
まあ、どっちかと言えば、私が「ついてこい」って言いたいほうだし、無理して相手に合わせることや、彼氏・彼女らしさなんて幻想で、お互いを苦しめる鎖にしかならないということは、過去の恋愛から学んだ。
だから、私も無理しない。
体力もなくて、ちょっと頼りないけど、私の自由にさせてくれる夫といるのはすごく居心地がいい。
遠慮がないおかげで、小さな口論も絶えないけれど。

いつだったか、ほろ酔いで上機嫌の夫が、娘に昔の話を聞かせていた。
「高校の文化祭で、相性診断ゲームのソフトを作ったんよ。名前と生年月日を入力したら相性をパーセントではじき出すやつ。それでな、ママとは、相性100パーセントだったんよ」
「えー、なにそれ。きもー」
スマホの画面を見つめる娘に軽くあしらわれて、
「ね、そうだよね、ママ」
私に同意を求めてくる。
「そうだったっけなぁ?」
照れくさくなって、忘れたふりをして何口目かのビールを飲みこんだ。

忘れてなんかない。
君の作ったあの相性診断ソフトは当たってた。
こうして君と20年も暮らしている。

でもね……

相性100パーセントはきっかけでしかないとも思う。
あの時はじき出された数字は運命だったかもしれない。だけど、神様はいたずら好きで、運命なんて簡単に変えてしまう。相性診断の結果なんか指先一つで、80パーセントにも30パーセントにもしてしまえる。

趣味も好みも合わないし、同じ家に暮らしていれば雨の日もあれば、風吹く日もあった。もうだめかもしれないと思った日もあった。
だけど、今日まで結婚生活を続けてこられたのは、私たちは相性100パーセントだ、きっとうまくいくと信じて、いろんなことを乗り越えてきたからではないだろうか。つまり、お互いの努力の結果。
そう考えると、私たち、よくやってきたな。

もう本当の相性なんて何パーセントでもいい。
あの再会した日から、私の人生はあなたの人生で、あなたの人生は私の人生なんだから。
100パーセントはただのお守りにすぎない。

「今週末はどて焼きと熱燗でどう?」
SNSを見ながら、私がつぶやく。
「どて焼きが何か知らんけど、まあ、おいしかったらなんでもええわ」
「牛すじのみそ煮込みだよ。お酒は、焼酎の湯割りでどう?」
「ほう、週末は寒くなるっていうから、ちょうどええな」
「だろ?」

人生100年というけれど、あと何年、こうして週末の晩御飯の話をしながら暮らしていけるのだろう。
もう、君の名字を呼ぶこともないし、突然イメチェンすることもないけれど、1日でも長く一緒にいたいと思えるなら、それだけで、私たちの相性は100パーセントってことでいいんじゃない?

ねえ、今週末は何を飲む?
まだ月曜日なのに、もう週末のことを考えている。


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嶋津さんの、教養のエチュード賞に参加させていただきました。

第3回を数える教養のエチュード賞。どの作品も書き手の渾身の作ばかり。
出すのに気後れしてしまいますが、エチュードとは「練習曲」という意味。
今書ける精一杯と、それをちょっと超える努力が「練習」にふさわしい。
今まで書いてきたいくつかの作品をまとめてリライトし、ブラッシュアップした作品となりました。
よろしくお願いします。

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RUMI
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